古今著聞集 内容。 古今著聞集 20巻. [4]

『古今著聞集 ほか』(阿刀田 高)|講談社BOOK倶楽部

古今著聞集 内容

中世は説話の時代です。 「和歌を詠む私」に迷いなく没入するのが王朝物語の世界だとしたら、「『和歌を詠む私』ってなんだろう? と、ふと考えてしまう私」の視点で書かれたものが説話であるといえるでしょう。 鎌倉時代中期に成立した『古今著聞集』は、雅やかな宮廷生活を伝えようとしながら、いつのまにか首尾一貫しない見聞や怪しげな噂を語り、生活感あふれる風刺や笑いを紡ぎだしていきます。 天皇や上皇、源頼朝をはじめとする鎌倉幕府の武士たち、高僧と楽人、泥棒に詐欺師、犬・猿などの動物から、鬼・天狗のような異界の住人まで、さまざまなキャラクターが、縦横活躍します。 中世人のまるごとの世界観を、ぜひ味わってみてください。 著者略歴 「BOOK著者紹介情報」より 本書は、その名の通り『古今著聞集』の解説書である。 とは言え、決して説話自体の読解を目的としている訳ではなく、寧ろ、当時の時代背景や権力者、或いは、物語に登場する寺社を紹介する事に依って『古今著聞集』の背景を探る内容なのである。 概して「『古今著聞集』の歴史的手引書」と思って頂ければ間違いなく、正しく「物語の舞台を歩く」と言うに相応しい一冊であった。 さて『古今著聞集』と言えば、鎌倉中期、橘成季が宮廷文化を中心に「神祇」「釈教」「政治」「文学・和歌・管絃・能書」「蹴鞠」「遊覧」「祝言」「興言利口」等について編纂した説話集である。 だが、著者は『古今著聞集』についてこう語るー「作者の意図を超えた部分…即ち、作者の見聞にかかる鎌倉時代のエピソードが、社会や人々の活力を見事に伝えてくれる」事こそが、この作品の魅力なのだ、と。 依って、本書ではあらゆる階層の人々が織り成す社会に目を向ける。 具体的に挙げるならば、蓮華王院の宝物、貴族の邸宅と景観、犯罪者や博打、装束、信仰と怪異譚、そして最後に武家社会など等…。 成程、確かに橘成季が目指したのは「王朝懐古」だったかもしれないが、本書を読むと『古今著聞集』の背景に潜む全くの別世界が見えて来る。 同作品を読むに当たり、如何なる点に着目するべきかを教えてくれる案内書として大いに参考になった。 尚、本書は原著を引用しながら解説を進める展開なので、実際の作品に触れる機会も与えてくれるし、また、資料も豊富である。 特に、注釈やコラム形式で写真や絵画作品、地図や系図、或いは解説図版等を多数掲載する構成は、少々脱線しながらも学ぶ事が多く、楽しみながら読む事が出来るであろう。 但し、この各頁毎に設けられた「注釈・コラム」が本文の流れを分断してしまう為、雑然とした印象も無くはない。 また、幅広い題材を扱っているだけに「広く浅く」になりがちなのも事実だ。 何しろ、長大な『古今著聞集』の内容をコンパクトに纏めるともなると、どうしても網羅性に欠けてしまう点は否めず、特に本書は、歴史や特定の人物の紹介に比重が置かれがちなので尚更であろう。 『古今著聞集』の概要を知りたいという方にとっては有用な一冊となってくれるであろうが、その一方で、中世史に詳しい方や宮廷の遊芸等に造詣が深い方にとっては、残念ながら若干の物足りなさが残るのではなかろうか。 『古今著聞集』の舞台を歩く…というコンセプトは非常に魅力的だ。 然しながら、本書はあくまでも「手引書」という位置付けである事から、ほんの触りの部分を見せてくれるだけに留まり、全ての項目がやや断片的な扱いで終わってしまっている点が残念でならない。

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一五一 平等院僧正行尊詠歌して住吉神主の家に宿らざる事 こちらの話のオチがよくわかりません 特に後半の部分がわからないのですが、どのような状況なのでしょうか 平等院僧正諸國修行の時、攝津國住吉の渡りにいたり給て、齋料のつきにければ、神主國基が家におはして經をよみて立給ひたりけり。 其聲微妙みめうにして聞人たうとみあへりけり。 國基御齋料奉るとて、いづかたへすぎ過ぎさせ給ふ修行者ぞ。 御經たうとく侍り。 今夜ばかりはこゝにとゞまり給へかし。 御經の聽聞仕らんといはせたりければ、とかくの返事をばの給はず哥をよみ給ける。 世を捨てゝ宿も定めぬ身にしあればすみよしとてもとまるべきかは かくいひてとをり給ひぬ。 其後天王寺別當になりて彼寺におはしましける時、國基參りて天王寺と住吉との境の間の事申入けるに、しばし候へとてあやしく御前へめされければ、かしこまりつゝ參りたりけるに、僧正明障子引あけさせ給て、あの住吉とてもとまるべきかはといかにと仰られたりけるに、國基あきれまどひて申べき事も申さで、とりばかま取り袴してにげ逃げにけり。 いと興有事也。 前半は ご飯を食べるお金が無くなった僧正が、國基の家で御経を読んだところ、声が素晴らしくて聞いた人が感激し、國基がご飯をお金をお渡ししましょう。 どちらへゆかれる修行者ですか。 御経が素晴らしかった。 今夜ばかりはここにお泊まりください。 御経がーーー(わかりませんでした)とおっしゃったところ、僧正は歌を読んで答えた 修行者の身であるので、住吉が住みよいところだからといってとどまるべきだろうか、いやとどまるべきではない こんな感じで訳しました。 後半は、僧正が天王寺の別当頭になって、そこに國基が天王寺と住吉の境のことで何らかのトラブルに相談に来たことはわかったのですが 僧正の前までいく部分の状況と、僧正が「私の歌はどうでしたか?」と聞いた國基が、なぜびっくりして聞きに来たことも聞かず、袴を持ち上げさっさと逃げ帰ってしまったのかわかりません。 よろしくお願いします。 前半は、「平等院僧正」(行尊)が、諸国で修行中の身だったときのエピソードです。 「僧正」の身分になるのは、もっと後になってからの話です。 なお、行尊も、住吉大社の神主・国基(津守国基)も、歌人として知られる人です。 ちなみに住吉大社は和歌の神としても知られています。 で、前半は、修行中だった行尊を、国基が気に入って引き止めたところ、行尊は和歌で断りの返答をした、という話です。 後半は、行尊が天王寺(四天王寺)の別当になってからの話。 当時、四天王寺と住吉大社は、領地の境界のことで争っていたそうです。 なので、この国基の行動も、相談ではなく、四天王寺にお互いの領地の境界にクレームを申し入れに行った、と考えられます。 国基は、「別当」が、かつての修行僧だと言うことは知らなかったのではないでしょうか。 だから、話を申し入れに行った相手が、かつて「世を捨てて…」の歌を詠んだあの修行僧だとわかって、「これは敵わない」と驚いて退散した…というところではないかと。 それだけ行尊の歌や態度が威厳に満ちて素晴らしかった、ということではないでしょうか。 國基の方が立場的に上ではないのか?何を逃げ帰ることが有るのか?と思ってたんですが 修行者だったころの御経と歌が才覚の違いをまざまざと見せつける殆ど素晴らしかったということだったんですね。 もしご迷惑でなければ下のところも教えてください。 國基の発言の 御經の聽聞仕らん は修行者の僧正に神主の國基が教えを乞うようなことを言うにはおかしな言葉だと思っていたのですが 僧正の御経が素晴らしかったので、僧正の聴聞を聞きたい、とそのまま訳してかまわないのでしょうか? また、後半 しばし候へとてあやしく御前へめされければ、かしこまりつゝ參りたりけるに この部分がよくわかりません。 ここの「あやしく」は不思議だの意味なのでしょうか? それとも通常では僧正と面会は許されないのに、僧正と面通りが叶ったので「通例とは違って」というようなニュアンスなんでしょうか? よろしくお願いします。 1です。 お礼コメントありがとうございました。 追加のご質問の、 >修行者の僧正に神主の國基が教えを乞うようなことを言うにはおかしな言葉だと思っていたのですが この時代は神仏習合ですので、神職が仏僧を尊敬する、というのは、おかしなことではないと思います。 むしろ、仏教>神道と見なされていた時代の話ですし。 ただ、「聽聞仕らん」は、そのまま訳せば「聴聞申し上げたい」ということで、特に「教えを請う」まで意味はないと思います。 行尊の御経が素晴らしいので、ぜひ聞きたい、という理解で十分かと思います。 「あやしく」については、手元で見られる注釈書にも特に記載がなく、断言できる知識が私にはありません。 すみません。

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説話文学(せつわぶんがく)とは

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母子猿~豊前の国の住人太郎入道といふ者ありけり~ 【冒頭部】 豊前の国の住人太郎入道といふ者ありけり。 男なりけるとき、常に猿を射けり。 【現代語訳】 豊前の国の住人で太郎入道という者がいた。 まだ出家していなかった頃、毎日猿を射ていた。 ある日山を通った時に、大猿がいたので、木に追いたてて矢を射たところ、狙ったとおりに木のまたのところへ射止めてしまった。 (大猿は)今にも木から落ちそうになったところが、何であろうかある物を木のまたに置くようにするのを見ると、子猿であった。 自分が傷を負って地上に落ちようとしているので、背負っていた子猿を助けようとして、木のまたに置こうとしたのであった。 子猿は子猿で、母にすがりついて離れまいとした。 このように何度もしていたけれども、それでも子猿がすがりついたので、母子ともに地上に落ちてしまった。 (太郎入道は)それから長いこと、猿を射ることをやめてしまった。 【語句】 過つ・・・失敗する。 間違える。 かく・・・このように。 もろともに・・・一緒であるようす。 とどむ・・・中止する。 やめる。 刑部卿敦兼と北の方(第一小段落)~刑部卿敦兼は、みめのよに~ 【冒頭部】 刑部卿敦兼は、みめのよに憎さげなる人なりけり。 【現代語訳】 刑部卿敦兼は、顔かたちがひどく醜く見える人であったのだった。 その北の方は、派手な人であったのだったが、五節の舞を見物しました時に、(見物人の中に)さまざまに、きらびやかな人々がいるのを目にするにつけても、何はさておき自分の夫の醜さが嫌だと感じられたのだった。 家に帰って、全く一言さえもしゃべらず、目を見合わせもせず、そっぽを向いているので、(敦兼は)しばらくは、何事が起こったのかと、合点が行かないと思って過ごしているうちに、(北の方は)だんだんと避けることが多くなって、見るも気の毒なほどである。 以前のように同じ部屋にいることもせず、部屋を変えて暮らしたのでした。 【語句】 はなやかなり・・・際立って美しい。 かたはらいたし・・・端から見ていても気の毒だ。 刑部卿敦兼と北の方(第二小段落)~ある日、刑卿出仕して~ 【冒頭部】 ある日、刑卿出仕して、夜に入りて帰りたりけるに 【現代語訳】 ある日、刑部卿が(役所に)出仕して、夜半に及んでから帰ったところ、出居の間(応接間)に明かりをすらも点さず、装束は脱いだけれども、畳む人もいなかったのだった。 女房たちも、みなご主人(北の方)の目配せに従って、(敦兼の世話をしに)前に出るものもいなかったので、どうしようもなくて、車寄せの開き戸を押し開けて、一人で物思いに耽っているうちに、夜も更け、夜は静かで、月の光や風の音など、(目や耳に入る)物それぞれに身体中にしみじみとして、妻の恨めしさも、付け加えて(うら寂しく)感じられたのに従って、気を静めて、篳篥を取り出して、季節に応じた調子に十分に合わせて、 (荒垣の内にある白菊も、色褪せるのを見るのは悲しいことだ。 《大事に囲ってある女でも、移り気に遭うのは悲しいよ》私が通って逢った方も、こうして見ていながら白菊が枯れるように離れてしまったよ。 ) と何回も歌を朗詠したのを、北の方は聞いて、心が瞬時に元に戻ってしまったのだった。 それから特に夫婦仲がむつまじくなってしまったとか。 風流のわかる北の方の気質であるに違いない。 【語句】 せんかたなくて・・・どうしようもなくて。 優なる・・・味わい深い。 風流だ。

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