禍い 意味。 【故事成語100選】有名な故事成語一覧と意味付き

『コロナ禍』ってなんて読むの?「禍」の読み方と意味・ことわざ

禍い 意味

「人間万事塞翁が馬」とは? まずはじめに読み方と意味を紹介し、次にその言葉の由来を解説してゆきます。 読み方は「にんげんばんじさいおうがうま」 「人間万事塞翁が馬」は「にんげんばんじさいおうがうま」と読みます。 「塞翁(さいおう)」とは「塞(とりで)」に住む「翁(老人)」という意味です。 「人間」は詳細は後述しますが「人」の意味ではなく、「ジンカン」と音読みする読み方もあります。 また「塞翁が馬(さいおうがうま)」だけで用いられることもあります。 「禍福は予測ができないものだ」という意味の逸話が起源 「人間万事塞翁が馬」の意味はさまざまな解釈がありますが、簡潔に要約するなら「禍い(不幸)や福(幸福)は予測ができないものだ」となります。 さまざまな解釈がある要因としては、その由来が中国の古い思想書に書かれた漢文の寓話であるということや、その思想書の背景には異なる思想を融合した老荘思想があることなどが挙げられます。 「人間万事塞翁が馬」の原文 「淮南子」の人間訓に原文がある 由来となったのは「淮南子(えなんじ)」という紀元前に中国で編さんされた思想書です。 これは古代中国人の思想や宇宙観が体系的に記述されたもので、雑家の書とされています。 淮南子は21篇から成り、その中の第18篇「人間訓」に「人間万事塞翁が馬」のことわざの由来である逸話の原文があります。 「人間万事塞翁が馬」の言葉がそのまま書かれているわけではなく、漢文で書かれたお話しが書かれています。 そのあらすじは、老人の馬が逃げたところ、その馬が優れた別の馬を連れて帰ってきた。 今度は老人の子供がその馬から落馬して足を折ったが、そのおかげで兵役を逃れて命が助かった。 というものです。 この逸話は「禍福は予測ができないものだ」ということを伝えています。 そのことから「塞翁が馬」の教訓が生まれました。 「人間訓」の「人間」とは「世間」の意味 また、この逸話が書かれている第18篇「人間訓」の古い日本語訳には「人世の利害禍福等について述べたもの」と冒頭に記されています。 日本語で「人間」というと「人」のことですが、中国語で「人間」は「世間」という意味です。 「人世(じんせい)」とは「世間」という意味です。 そのことから、「人間万事塞翁が馬」の「人間」は「人」ではなく「世間」のことを指しているという解釈ができます。 このことを踏まえて言葉の意味を付け加えると、「世の中に起きる悪いことも良いことも予期できず、それに振り回されてはならない」という格言だというのがもう少し深い意味となります。 いずれにせよ、人の生き方を戒める言葉であることは変わりがないため、「世の中に起こること」でも「人生に起こること」でもどちらの解釈でも意味はかわらないといえるでしょう。 老荘思想を背景とした戒めの故事成語 さらに、「淮南子」は道教の老荘思想を基本とした修身論であり、人と自然との関わり方を重視しています。 淮南子の教えの骨子は「人間社会に起こるさまざまな欲望を追及せず、自然と一体となる本来の自分を守ることが大切である」ということです。 簡単に言うなら「ありのままを大切にしなさい」という意味です。 その教えを頭に入れて「塞翁が馬」のエピソードを考えてみると、この寓話の奥に広がる壮大な思想を読み取ることができるでしょう。 「人間万事塞翁が馬」の使い方 「人間万事塞翁が馬」には先に説明した事柄から、さまざまな解釈がされています。 言葉の意味と解釈は別であるため、それぞれの解釈で用いるのは問題ありません。 というより、さまざまに解釈をして座右の銘としたり、心のうちに秘めて大切にするのが格言であるといえるでしょう。 さまざまな解釈がある 使い方の例文を紹介する前に、一般的に用いられているさまざまな解釈を紹介します。 不幸や幸福は予測ができないのだから、安易に悲しんだり喜んだりするべきではない• 人間の禍福は変転を繰り返し定まることが無いというたとえ• 幸運は喜ぶことでもなく、不幸は悲しむにも足らないことであるとのたとえ• 世の中で起きることは全く予想がつかないという意味• 人生は予測ができないことでできているので、起こることに意味はない• 幸不幸は予期できず、何が禍福に転じるかはわからない 使い方の事例 ある元外務大臣の言葉が次のように新聞などに掲載されことがありました。 人生で経験することに無駄はない。 「塞翁が馬」という言葉の通りです。 その言葉の意味とは、それぞれの仕事で学んだことは、次の仕事の役に立っている。 だから何を選択しても大丈夫だ。 ということだといいます。 「ありのままの自分を大切にする」という教えが「塞翁が馬」に含まれていることを読み取れる良い事例といえるのではないでしょうか。 「人間万事塞翁が馬」の類語 最後に類語を紹介します。 似ているようで似ていない、類語の意味を味わってみてください。 「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」の意味 人生を川の瀬の浮き沈みに見立てて、不運があっても、そればかりではないから落ち込まないことだ、という意味のことわざです。 「禍福は糾える縄の如し」の意味 「かふくはあざなえるなわのごとし」と読み、交差する縄の表裏をたとえて、幸福と不幸は表裏一体となってやってくるものだという意味のことわざです。 まとめ 「人間万事塞翁が馬」は二千年以上も前に書かれた思想書から生まれた故事成語です。 「世の中に起きる悪いことも良いことも予期できず、それに振り回されてはならない」という意味で、座右の銘としている人も多い教訓の言葉です。 この言葉に出会う人生のタイミングによって、受け取る印象や、その言葉の重みが変わる格言といえるのではないでしょうか。 二千年の間に、どれほどの人たちがこの言葉に思いを馳せたのかを考えてみるのもまた、理解の助けとなることと思います。

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「災い転じて福となす」とは?意味や使い方を解説!

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「人間万事塞翁が馬」とは? まずはじめに読み方と意味を紹介し、次にその言葉の由来を解説してゆきます。 読み方は「にんげんばんじさいおうがうま」 「人間万事塞翁が馬」は「にんげんばんじさいおうがうま」と読みます。 「塞翁(さいおう)」とは「塞(とりで)」に住む「翁(老人)」という意味です。 「人間」は詳細は後述しますが「人」の意味ではなく、「ジンカン」と音読みする読み方もあります。 また「塞翁が馬(さいおうがうま)」だけで用いられることもあります。 「禍福は予測ができないものだ」という意味の逸話が起源 「人間万事塞翁が馬」の意味はさまざまな解釈がありますが、簡潔に要約するなら「禍い(不幸)や福(幸福)は予測ができないものだ」となります。 さまざまな解釈がある要因としては、その由来が中国の古い思想書に書かれた漢文の寓話であるということや、その思想書の背景には異なる思想を融合した老荘思想があることなどが挙げられます。 「人間万事塞翁が馬」の原文 「淮南子」の人間訓に原文がある 由来となったのは「淮南子(えなんじ)」という紀元前に中国で編さんされた思想書です。 これは古代中国人の思想や宇宙観が体系的に記述されたもので、雑家の書とされています。 淮南子は21篇から成り、その中の第18篇「人間訓」に「人間万事塞翁が馬」のことわざの由来である逸話の原文があります。 「人間万事塞翁が馬」の言葉がそのまま書かれているわけではなく、漢文で書かれたお話しが書かれています。 そのあらすじは、老人の馬が逃げたところ、その馬が優れた別の馬を連れて帰ってきた。 今度は老人の子供がその馬から落馬して足を折ったが、そのおかげで兵役を逃れて命が助かった。 というものです。 この逸話は「禍福は予測ができないものだ」ということを伝えています。 そのことから「塞翁が馬」の教訓が生まれました。 「人間訓」の「人間」とは「世間」の意味 また、この逸話が書かれている第18篇「人間訓」の古い日本語訳には「人世の利害禍福等について述べたもの」と冒頭に記されています。 日本語で「人間」というと「人」のことですが、中国語で「人間」は「世間」という意味です。 「人世(じんせい)」とは「世間」という意味です。 そのことから、「人間万事塞翁が馬」の「人間」は「人」ではなく「世間」のことを指しているという解釈ができます。 このことを踏まえて言葉の意味を付け加えると、「世の中に起きる悪いことも良いことも予期できず、それに振り回されてはならない」という格言だというのがもう少し深い意味となります。 いずれにせよ、人の生き方を戒める言葉であることは変わりがないため、「世の中に起こること」でも「人生に起こること」でもどちらの解釈でも意味はかわらないといえるでしょう。 老荘思想を背景とした戒めの故事成語 さらに、「淮南子」は道教の老荘思想を基本とした修身論であり、人と自然との関わり方を重視しています。 淮南子の教えの骨子は「人間社会に起こるさまざまな欲望を追及せず、自然と一体となる本来の自分を守ることが大切である」ということです。 簡単に言うなら「ありのままを大切にしなさい」という意味です。 その教えを頭に入れて「塞翁が馬」のエピソードを考えてみると、この寓話の奥に広がる壮大な思想を読み取ることができるでしょう。 「人間万事塞翁が馬」の使い方 「人間万事塞翁が馬」には先に説明した事柄から、さまざまな解釈がされています。 言葉の意味と解釈は別であるため、それぞれの解釈で用いるのは問題ありません。 というより、さまざまに解釈をして座右の銘としたり、心のうちに秘めて大切にするのが格言であるといえるでしょう。 さまざまな解釈がある 使い方の例文を紹介する前に、一般的に用いられているさまざまな解釈を紹介します。 不幸や幸福は予測ができないのだから、安易に悲しんだり喜んだりするべきではない• 人間の禍福は変転を繰り返し定まることが無いというたとえ• 幸運は喜ぶことでもなく、不幸は悲しむにも足らないことであるとのたとえ• 世の中で起きることは全く予想がつかないという意味• 人生は予測ができないことでできているので、起こることに意味はない• 幸不幸は予期できず、何が禍福に転じるかはわからない 使い方の事例 ある元外務大臣の言葉が次のように新聞などに掲載されことがありました。 人生で経験することに無駄はない。 「塞翁が馬」という言葉の通りです。 その言葉の意味とは、それぞれの仕事で学んだことは、次の仕事の役に立っている。 だから何を選択しても大丈夫だ。 ということだといいます。 「ありのままの自分を大切にする」という教えが「塞翁が馬」に含まれていることを読み取れる良い事例といえるのではないでしょうか。 「人間万事塞翁が馬」の類語 最後に類語を紹介します。 似ているようで似ていない、類語の意味を味わってみてください。 「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」の意味 人生を川の瀬の浮き沈みに見立てて、不運があっても、そればかりではないから落ち込まないことだ、という意味のことわざです。 「禍福は糾える縄の如し」の意味 「かふくはあざなえるなわのごとし」と読み、交差する縄の表裏をたとえて、幸福と不幸は表裏一体となってやってくるものだという意味のことわざです。 まとめ 「人間万事塞翁が馬」は二千年以上も前に書かれた思想書から生まれた故事成語です。 「世の中に起きる悪いことも良いことも予期できず、それに振り回されてはならない」という意味で、座右の銘としている人も多い教訓の言葉です。 この言葉に出会う人生のタイミングによって、受け取る印象や、その言葉の重みが変わる格言といえるのではないでしょうか。 二千年の間に、どれほどの人たちがこの言葉に思いを馳せたのかを考えてみるのもまた、理解の助けとなることと思います。

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「パンドラの箱」の中身とは?正しい意味と使い方!英語表現も解説

禍い 意味

「人間万事塞翁が馬」の原文とは? 「淮南子」という中国で紀元前に編さんされた思想書が、「人間万事塞翁が馬」の由来です。 この思想書は、雑家の書とされており、中国の古代の人の宇宙観や思想が体系的に記載されているものです。 21篇から「淮南子」は成り立っており、「人間万事塞翁が馬」の由来の逸話の原文がこの中の第18篇の「人間訓」にあります。 そのまま「人間万事塞翁が馬」の言葉が記載されているということではなく、漢文で記載されています。 このあらすじは、次のようなものです。 老人の馬が逃げた結果、逃げた馬が別の優れた馬を連れてきました。 その馬から老人の子供が落ちて足を骨折したため、兵役から逃れられて命が助かりました。 老人の馬を巡って、禍が福となって、さらに禍が福になったという話です。 「禍福は予測できない」ということを、この逸話は伝えています。 「人間万事塞翁が馬」の言葉は、このことから生まれました。 また、この逸話が記載されている第18篇「人間訓」の日本語訳の古いものには、冒頭に「人世の利害禍福などについて述べたもの」と記載されています。 「人間」というと日本語では「人」になりますが、中国語では「人世」になります。 「人世」の意味は「世間」になります。 そのため、「人間万事塞翁が馬」の「人間」の意味は、「世間」のことであると解釈できます。 このようなことを考慮すると、「世の中に起きる良いことも悪いことも予測できないため振り回されてはいけない」というような意味になります。 いずれにしても、人の生きる方法を戒める言葉であるため、「人生で起きること」でも「世の中で起きること」でもいずれの解釈でも意味は同じであるといえるでしょう。 さらに、「淮南子」は、自然と人の関わり方を重要視している、基本的に道教の老荘思想の修身論です。 「淮南子」の教えの意味は、「人の世の中に起きるいろいろな欲望を追い求めず、大切なのは自然と一緒になるもともとの自分を守ることである」ということです。 簡単にいうと、「自然のままを大事にしなさい」ということです。 この教えを考慮して「人間万事塞翁が馬」の逸話を考えてみれば、この逸話の奥に広がっている思想の壮大なものが読み取れるでしょう。 「人間万事塞翁が馬」の類義語とは? ここでは、「人間万事塞翁が馬」の類義語についてご紹介します。 「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」 「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」の意味は、浮き沈みが人生にはあるということです。 人生には不運なこともいいこともあり、不運なことのみが継続するということではないため、気に病んでも仕方がない」という戒めです。 ニュアンスとしては、「人間万事塞翁が馬」の一つの解釈である「幸不幸に一喜一憂しない」というものに近いものです。 なお、「瀬」というのは、浅い川であるため歩いて渡れるところという意味です。 「楽あれば苦あり」 「楽あれば苦あり」の意味は、人生は苦しいことのみが継続したり、楽なことのみが継続したりするものではないということです。 人生は苦しみも楽もあるという意味です。 しかし、次のようにニュアンスが「人間万事塞翁が馬」とは違うときもあるため、使うときは注意しましょう。 生活を怠けていると必ず後から苦労するようになるという戒めの言葉として使ったり、今苦労しておくと楽が後でできるという言葉として使ったりします。 「禍福は糾える縄の如し」 「禍福は糾える縄の如し」の意味は、福と禍は表裏一体で、縄をより合わせたようにやってくるということです。 幸福と禍は表裏一体であり、不幸と幸福は交代でやってくるという意味です。 「不幸であると考えたことが幸福になったり、あるいは、幸福であると考えていたことが不幸になったりする」という意味合いがあります。 そのため、「人間万事塞翁が馬」と同じように「禍福は糾える縄の如し」は使えるでしょう。 その他の類義語 このような類義語の他にも、意味合いは違っていますが「人間万事塞翁が馬」とよく似た類義語としては次のようなものがあります。 「怪我の功名」 「怪我の功名」の意味は、何気なくやった行為やミスと思われたことが予想に反していい結果になることです。 「災いを転じて福となす」 「災いを転じて福となす」の意味は、上手く身にふりかかった災いを利用して自分に役に立つものにすることです。 「人間万事塞翁が馬」の英語表現とは? ここでは、「人間万事塞翁が馬」の英語表現についてご紹介します。 「Every cloud has a silver lining. 」 「Every cloud has a silver lining. 」を直訳した意味は、「雲には全て光の裏地を持っている」ということです。 雲の全ての向こうには光が必ずある、つまり、いかに難しい状況でも、必ずその先にはいいことがあるという意味が含まれていることわざです。 「人間万事塞翁が馬」と同じように、頑張っている人や落ち込んでいる人を励ますときに使うことができます。 「Joy and sorrow are today and tomorrow. 」 「A joyful evening may follow a sorrowful morning. 」の意味は、「喜びの夕べが悲しみの朝には続く」ということです。 「人間万事塞翁が馬」の「悪いことと良いことは交代で起きる」というような意味合いの英語表現といえます。 また、「将来的なことは予測できないこと」を表現するときは、「Inscrutable are the ways of Heaven. 」を使うといいでしょう。 「Inscrutable are the ways of Heaven. 」を直訳した意味は、「天のやり方はわけがわからない」ということです。

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