いかに心もとなく思すらむ 現代語訳。 更級日記(全文)

☆十訓抄「大江山(小式部内侍)」原文と現代語訳と解釈: 『大学受験古文』

いかに心もとなく思すらむ 現代語訳

古典が分からないです、大江山の歌の問題を教えてください 大江山の歌について答えよ 和泉式部、保昌が妻にて、丹後に下りけるほどに、京に歌合ありけるを、小式部内侍、 歌詠みにとられて、歌を詠みけるに、定頼 の中納言たはぶれて、小式部内侍ありけるに、 「丹後へ遣はしける人は参りたりや。 いかに心もとなく思すらむ。 」 と言ひて、局の前を過ぎられけるを、御簾より半らばかり出でて、わづかに直衣の袖を控へて 大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天の橋立 と詠みかけけり。 思はずに、あさましくて、 「こはいかに、かかるやうやはある。 」 とばかり言ひて、返歌にも及ばず、袖を引き放ちて逃げられけり。 小式部、これより、歌詠みの世におぼえ出で来にけり。 上記の文を読んでこれらの問題を教えてください 問題1 「いくの」は掛詞であるが、何と何が掛けられているか? 問題2「いくの」以外にもう一つ掛詞があるが、それはどの言葉か。 和歌から抜き出しなさい。 以上です。 ご回答よろしくお願いします。 A ベストアンサー 小6で中学の数学を勉強するというのは全然おかしくないし、敢えて言えば、普通のこと(特に、進学校では)。 私もやってたから(塾+参考書を使っての独学で)、全然無理なことじゃない。 とは言っても、塾で教えているんなら、それをきちんと教えるのが塾の仕事でしょ、という気がするが。 小6で中学の数学を勉強するというのは全然おかしくないし、敢えて言えば、普通のこと(特に、進学校では)。 私もやってたから(塾+参考書を使っての独学で)、全然無理なことじゃない。 とは言っても、塾で教えているんなら、それをきちんと教えるのが塾の仕事でしょ、という気がするが。 (より詳しく言えば、「足し算・引き算で表されている数式をカ... A ベストアンサー 詳しいことは分かりませんが、近世、江戸時代中期に、江戸などの芸娼妓、女郎が[わたくし]という発音で自分のことを言ったり、それをさらに[わたい]とか[わたし]というようになったのが出発点らしいです。 それよりも以前は、[わたくし・私]は[公]に相対する意味で使うのが普通だったようで、ただの自称の代名詞のような使い方はあまりしなかったようです。 また、[わたし]が変化して[あたい][あて]という言い方も女の自称として使われ、大阪や京都では[わい][うち][わて]も使われ、江戸や関西でも女だけでなく男も自称用に使うように広がったようです。 綿 わた 、渡し わたし は発音できて、私 わたくし、わたし は《タ抜き》になるというのは考えにくいのだと思います。 どちらにしても、近世になって自称に[わたくし]や[わたし]を使うようになったのは女が潜行したのだろうと思います。 そして3音を2音にして[わし][わい][うち][わて]のようにしたのも近世の女、特に色町の女ではないかと思います。 詳しいことは分かりませんが、近世、江戸時代中期に、江戸などの芸娼妓、女郎が[わたくし]という発音で自分のことを言ったり、それをさらに[わたい]とか[わたし]というようになったのが出発点らしいです。 それよりも以前は、[わたくし・私]は[公]に相対する意味で使うのが普通だったようで、ただの自称の代名詞のような使い方はあまりしなかったようです。 また、[わたし]が変化して[あたい][あて]という言い方も女の自称として使われ、大阪や京都では[わい][うち][わて]も使われ、江戸や関西でも女だけでなく男... A ベストアンサー Nativeは習慣として何気なく使い分けていますが、実はこれ、かなりややっこしいのです。 場合によっては、論理的(数学的?)に反省しながら注意深く使い分けないと、混乱が生じます。 [1] おきに 「n[UNIT]おきに」という表現は、「間隙 interval がn[UNIT]である周期を作るように」ということです。 しかし、これだけでは、意味が決まらない。 1 離散的 discrete な同類のものごと(すなわち、個数が数えられるものごと)を並べた列を考える場合 ある日, 次の日, さらに次の日…という列、ある年, 次の年, さらに次の年…という列、(一列に並んだ人たちの)ある人, その隣の人, さらにその隣の人…という列を、「離散的な同類の個体が繰り返されている列」とみなす、ということです。 薬を一日おきに飲む。 一年おきに大会が開かれる。 ひとりおきに帽子をかぶる。 ふたりおきに帽子をかぶる。 という意味になる。 たとえば、「2019年12月に大会があり、次の大会は2021年1月」ということもありうるのです。 ) 2 連続的な一連のものごとを考える場合。 UNITが 1時間 1 hour の場合を考えますと、例えば朝8時00分から9時00分までの1時間と、午後7時から午後8時までの1時間を、それぞれ「個体」とはちょっと思えないでしょう。 なので時間の経過を「個数が数えられる、離散的な同類の個体が繰り返されている列」とは捉えられません。 実際、「年(とし)」「日(ひ)」「人(ひと)」はある「個体」を指す名詞として成立するが、「時間」はそうではない。 「この時間はニュースをお伝えします」という表現の「時間」の長さは1 hourとは限らない。 つまり、「時間」は「個体」になっておらず、離散的ではない(個数を数えることができない)。 すると、 薬を2時間おきに飲む。 (ただし、「2時間」という指定の精度を考慮すると、「13分」は誤差の範囲とみなされます。 だから、6時13分に薬を飲めば、6時ごろに薬を飲んだのだから、次に飲むのは8時ごろ、ということです。 ) 薬を24時間おきに飲む。 (ただし、「24時間」という指定の精度を考慮すると、5月8日6時13分に薬を飲めば、5月8日の朝に薬を飲んだのだから、次に飲むのは5月9日の朝、ということです。 特に注意が必要です。 だから、あいまいな表現です。 使うべきではありません。 [2] ごとに 「n[UNIT]ごとに」という表現は、「every n[UNIT]」ということですが、そのUNITたちが、必ずしも一列に並んでいなくても構いません。 ただし「UNITをひとつずつ数える」という過程が伴っています。 たとえば「クラスの一人ごとに鉛筆を1本与える」とすると、クラスの全員がそれぞれ1本ずつ鉛筆を受け取るということです。 しかし、「全員ひとり1本ずつ鉛筆を取りなさい」という命令を出して鉛筆の山にクラス全員が一斉に殺到したとしますと、それは(「鉛筆を一人に1本与え」ているけれども、)「一人ごとに鉛筆を1本与える」にはなっていない。 「一人ごとに鉛筆を1本与える」ためには、「ある一人に鉛筆を手渡して、次の(まだ鉛筆を貰っていない)人に鉛筆を手渡して、…」というsequenceを行う必要があります。 「五人ごとにボール1個を与える」場合にも同様に、「5人を数えてグループを作り、そのグループにボールを1個与える」という操作を反復するのです。 なお、このボールが5人のうちの誰のものかは指定されていませんから、5人の共有物である、ということが暗示されています。 この杭から、道路にそって10mごとに杭を打つ。 という場合、道路にそって巻尺を伸ばして行って、直前に打った杭から10m離れたら、その場所に杭を打つ、という操作を反復する。 その結果、杭を10mおきに [1] 2 の解釈)打つことになります。 三日ごとに薬を飲む。 のであれば、最後に薬を飲んでから時間を測って、三日経過したら、その時に薬を飲む、という操作を反復する。 その結果、薬を3日おきに [1] 2 の解釈)飲むことになります。 Nativeは習慣として何気なく使い分けていますが、実はこれ、かなりややっこしいのです。 場合によっては、論理的(数学的?)に反省しながら注意深く使い分けないと、混乱が生じます。 [1] おきに 「n[UNIT]おきに」という表現は、「間隙 interval がn[UNIT]である周期を作るように」ということです。 しかし、これだけでは、意味が決まらない。 1 離散的 discrete な同類のものごと(すなわち、個数が数えられるものごと)を並べた列を考える場合 ある日, 次の日, さらに次の日…という列、ある年, 次の年,...

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「十訓抄/大江山の歌」

いかに心もとなく思すらむ 現代語訳

[大江山いくのの道の遠ければ まだふみもみず天の橋立] と詠みかけけり。 思はずに、あさましくて、 「こはいかに、かかるやうやはある。 」 とばかり言ひて、返歌にも及ばず、袖を引き放ちて、逃げられけり。 小式部、これより歌詠みの世に覚え出で来にけり。 これはうちまかせての理運のことなれども、かの卿の心には、これほどの歌、ただいま詠み出だすべしとは、知られざりけるにや。 大江山の現代文 和泉式部が、保昌の妻として、丹後に下った頃に、京で歌合わせがあったところ、小式部内侍が、歌詠みに選ばれて、 歌を 詠んだのを、定頼中納言がふざけて、小式部内侍が 局に いた時に、 「丹後 の母のもと へおやりになった人は 帰って 参りましたか。 どんなにか待ち遠しくお思いのことでしょう。 」 と言って、局の前を通り過ぎられたのを、御簾から半分ばかり 身を 乗り出して、ほんの少し直衣の袖を引っ張って、 [大江山を越え、生野を通って行く道のりが 京から 遠いので、 母がいる丹後の 天の橋立はまだ踏んでみたことはありませんし、 母からの 手紙もまだ見ていません。 ] と詠みかけた。 定頼は 思いもかけぬことに驚いて、 「これはまぁなんとしたことだ。 こんな =当意即妙に歌を詠む ことがあろうか、いや、あるはずはない。 」 とだけ言って、返歌もできず、袖を引き払ってお逃げになった。 小式部は、この時から歌詠みの世界に名声が広まったということだ。 こうしたことは、ごく普通の当然のことであったけれど、あの卿の心の中には、これほどの歌をすぐに詠み出すことができるとは、おわかりにならなかったのであろうか。 大江山の単語・語句解説 [妻にて] 妻として。 「にて」は資格を表す格助詞。 [遣はしける人] おやりになった人。 [参りたりや] 帰って参りましたか。 [心もとなく] 待ち遠しく。 [思す] お思いになる。 「思ふ」の尊敬語。 [局] 女房や女官のいる部屋 [御簾] すだれの敬称。 [遠ければ] 遠いので。 [かかるやうやはある] こんなことがあろうか。 [歌詠み] 歌を詠む人。 [覚え出で来にけり] 評判が高くなったということだ。 [うちまかせての] ごく普通の。 答え:小式部内侍が定頼中納言の袖をひかへた。 まとめ いかがでしたでしょうか。 今回は十訓抄の大江山についてご紹介しました。 その他については下記の関連記事をご覧下さい。

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『源氏物語』の“紅葉賀”の現代語訳:6

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大江山 ・ (古文記事一覧)>ひと目でわかる 和泉式部、保昌が妻にて、丹後に下りけるほどに、 和泉式部が、保昌の妻として、丹後に下ったころに、 京に歌合ありけるに、小式部内侍、歌詠みにとられて、 京で歌合せがあったところ、小式部内侍が、歌詠みに選ばれて、 詠みけるを、定頼中納言たはぶれて、小式部内侍ありけるに、 詠んだのを、定頼中納言がふざけて、小式部内侍が部屋にいた時に、 「丹後へ遣はしける人は参りたりや。 「丹後へおやりになった人は帰って参りましたか。 いかに心もとなく思すらむ。 」と言ひて、 どんなにか待ち遠しくお思いのことでしょう。 」と言って、 局の前を過ぎられけるを、御簾より半らばかり出でて、 局の前を通り過ぎられたのを、御簾から半分ばかり身を乗り出して、 わづかに直衣の袖をひかへて、 ほんの少し直衣の袖を引っ張って、 大江山いくのの道の遠ければ 大江山を越え、生野を通って行く道のりが遠いので、 まだふみもみず天の橋立 天の橋立にはまだ行ったことはありませんし、手紙もまだ見ていません。 と詠みかけけり。 と詠みかけた。 思はずに、あさましくて、「こはいかに。 思いもかけぬことに、驚いて、「これはなんとしたことだ。 かかるやうやはある。 」とばかり言ひて、 こんなことがあろうか、いや、あるはずがない。 」とだけ言って、 返歌にも及ばず、袖を引き放ちて、逃げられけり。 返事もできず、袖を振り払って、お逃げになった。 小式部、これより歌詠みの世に覚え出で来にけり。 小式部は、この時から歌詠みの世界に名声が広まった。 これはうちまかせての理運のことなれども、かの卿の心には、 こうしたことはごく普通の当然のことだったけれど、あの卿の心の中には、 これほどの歌、ただいま詠み出だすべしとは、 これほどの歌を、すぐに詠み出すことができるとは、 知られざりけるにや。 おわかりにならなかったのだろうか。 Copyright プロ家庭教師タカシ All Rights Reserved.

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