バレエ 音楽。 ペトルーシュカ

ドン・キホーテ(バレエ)Don Quixote 解説・あらすじ・ストーリー

バレエ 音楽

バレエの歴史 [ ] 起源 [ ] 期のに起源を発する。 当時、宮廷では余興として詩の朗読、演劇などが演じられていたが、その一部として バロ( Ballo)と呼ばれるダンスが生まれた。 宮廷の広間で貴族たちが歩きながら床に図形を描いていくもので、それをバルコニーから眺めるのが当時の楽しみ方であった。 、グリエルモ・エブレオ『舞踏芸術論』のなかで Ballettoという語が初めて用いられている。 にはが衣裳と装置を担当した「」が初演された。 、により世俗合唱曲が流行すると、その歌に踊りを加えた バレット( Balletto)が生まれ、やがて バレッティ( Balletti)と呼ばれるようになった。 ()など舞曲の作曲家や、ドメニコ・ダ・フェッラーラ(侯 ()に仕えた)などの舞踏教師が登場し、イタリアの貴族が盛んに舞踏会を開催したことが分かる。 1582年頃のバレエ バレエの誕生 [ ] 、、のからフランス王室に嫁いだにより バレッティ( Balletti)がフランスにもたらされ、 バレ( Ballet)と呼ばれた。 「ポーランド人のバレエ」(演出・振付:)が初めて バレ( Ballet)と称している。 の「 ()」(演出・振付:バルタザール・ド・ボージョワイユー)は、完全な記録の残っている最初のバレエ作品である。 これらを皮切りに、バレエは宮廷において盛んに踊られるようになり、16世紀末から17世紀初頭の20年間で約800のバレエが上演されたと言われる。 、が5歳でフランス国王に即位した際には、数時間にも及ぶ豪華絢爛なバレエが催され、ルイ14世自らが出演した。 ルイ14世はバレエに熱中し、15歳の時に『』の役で本格的に舞台デビュー。 よりバレエの質を上げようと、に (、)を創立した。 ルイ14世の舞踏教師によってが定められ、舞踏符が確立されるなど、バレエがダンスとして体系づけられたのもこの頃である。 宮廷から劇場へ [ ] にルイ14世が舞台から引退すると、バレエは宮廷から劇場に移り、職業ダンサーのダンスに変化していった。 、が設立(当時のバレエはと一体であった)。 、『』で最初の女性ダンサー、が劇場に登場し、18世紀に入ると、など女性職業ダンサーが続々とオペラ座からデビュー。 宮廷バレエでは男性ダンサーが中心だったが、、が足先の見える衣装と踵を取り去った靴を用いて、男性のみの技法であった跳躍をし、女性ダンサーが人気を博するようになった。 に最初のバレエ教本、 による『舞踊術、あるいは記号、絵、記号による舞踊記述法』が出版され、にはオペラ座にバレエ学校が創設されるなど、バレエ教育が確立。 バレエの技法も複雑化していった。 、が『舞踊とバレエについての手紙』にて バレ・ダクシオン( ballet d'action)を提唱した。 これにより、バレエはから独立し、台詞のない身振り(ミーム)による舞台演劇として確立した。 1845年頃、タリオーニら「パ・ド・カトル」 ロマンティック・バレエ [ ] 後半にが起こると、伝統や権威に反発し自由で神秘的なものを重んじるがヨーロッパを席巻し、 ロマンティック・バレエ(ロマン主義に基づくバレエ)が誕生した。 「」「」に代表され、妖精や悪魔が登場する幻想的なもの、エキゾチックな異国趣味のものが多い。 丈のふんわりとしたを着た女性ダンサーの、(つま先立ち)の技法による軽やかな動きが特徴。 ロマンティック・バレエで用いられるチュチュは、特にロマンティック・チュチュと呼ばれる。 ロマンティック・バレエは現在踊られているバレエの中で最も古い形式のものであり、ロマンティック・バレエによりバレエは現在のものとほぼ同じものに完成した。 バレエ・ダクシオンの提唱もあり、後に誕生するクラシック・バレエよりも、踊りによってストーリーを表現する演劇としての要素は強い。 がバレエダンサーを描いていた頃、バレエダンサーは現在と違い地位の低い人が身を立てるためにやっていたため、バレエダンサーは蔑まれていた。 主役以外のダンサーは薄給で生活しており、パトロン無しでは生活するのが困難だったとされる。 パトロン達は当然男性が多く、女性ダンサーを娼婦の如く扱っていたと言われる。 かくして、フランスのバレエ界から男性ダンサーはいなくなり、フランスのバレエは低俗化することになる。 「ラ・シルフィード」でが本格的にポワントで踊り、オペラ座で大成功をおさめた。 この作品によりロマンティック・バレエが確立されたと言われる。 ヨーロッパ中で人気を博すも、フランスのバレエの低俗化と、ロマン主義の衰退と共にロマンティック・バレエは衰退し、の「」などを最後にフランスではバレエそのものが演じられないようになる。 クラシック・バレエ [ ] ではの宮廷バレエが伝わり、頃にはフランスの ()によりにバレエ学校が創立された。 フランスでが衰退した19世紀後半、後進国であるロシアではが踊り続けられており、その後独自の発展をした。 ドラマ主体のロマンティック・バレエに、物語とは無関係のダンスシーンを取り入れたことから、 クラシック・バレエ(のバレエ)と言う。 クラシック・バレエでは技法はどんどん複雑になり、動きやすいように丈の短いが考案された。 これをクラシック・チュチュと呼ぶ。 ロマンティック・バレエでは1回回るのがやっとだったが、32回のフェッテ(連続回転)まで演じられるようになった。 2人で踊るなどの様式も成立。 ダンス(ディヴェルティスマン)とが分離されて演じられるようになり、現在のバレエの構成が完成した。 、サンクトペテルブルク・の監督であるウセヴィロジュスキーは、フランスから招いた振付家の振付けのもと、に「」の作曲を依頼した。 この作品がに上演、大成功をおさめると、続いて「」(、振付:、台本:マリウス・プティパ)、「」(、振付:レフ・イワノフ、マリウス・プティパ)が上演された。 これらは 3大バレエと呼ばれる。 チャイコフイスキーの3大バレエであると同時に(彼はこの3つしかバレエ音楽を書いていないが)、上演・演奏人気において、すべてのバレエにおける3大バレエでもある。 モダン・バレエ [ ] ロシアのバレリーナ により確立されただが、その古典的な世界に不満を持つ者もいた。 その1人、は(の祖)に衝撃を受け、クラシック・バレエにない新しいステップや民族舞踊を採り入れた、革新的な振付をした。 そのモダン・ダンスの要素を取り込んだバレエをモダン・バレエと言う。 ミハイル・フォーキンはに見出され、にバレエ発祥の地・で公演を行い、バレエ・ブームを巻き起こした。 、、などのダンサーたちが大人気となり、セルゲイ・ディアギレフはを結成する。 のバレエ・リュスの公演で、ヴァーツラフ・ニジンスキーが「」で振付家としてデビューすると、モダン・バレエは決定的な革新を迎える。 これまでの美しいバレエとは異なる、独自の表現は非常に衝撃を与え、作曲の「」では警官が介入するほど論議の的となった。 20世紀以降 [ ] が確立してからも、、などの革新的なバレエが誕生している。 これらのバレエは、、、、などのダンスに含まれることもあり、曖昧である。 20世紀以降はそれらの現代的なバレエと古典的なバレエが踊られている。 現代的なバレエの振付家としては、や、、がいる。 またの動きはバレエの影響を強く受けており、フィギュアスケートの選手はバレエの訓練も受けることが多い。 さらにバレエの影響はフィギュアスケートにとどまらず、やの選手もバレエの訓練を受けることがある。 また、をはじめとして、舞台俳優を養成する組織ではバレエの基礎は必修に近い扱いを受けている。 バレエの技法 [ ] トウシューズ バレエはで発達したため、バレエの振付用語は基本的にはフランス語である。 近代バレエの特徴は爪先立ちを多用することにある。 これをポワント fr. pointe または英語の(トウ) en. toe という。 このために履く特製の靴が fr. その性質上、足首が固いと非常にバレエには不向きとなる。 また、爪先立ちを多用するために、爪先を様々な形で痛めることがあり、日常生活に影響が出るレベルにまでなり、バレエダンサーとしても活動できなくなるケースは少なくない。 ポワントで立たず足を舞台につけて立つ立ち方は6つに分類される。 これを fr. position と呼ぶ。 振付においては特に詳述せずポジション名で呼ぶ。 バレエ舞踏の重要な技法としては跳躍と回転がある。 これもフランス語で呼び、たとえば片足を前方に投げ出しその方向へ飛ぶことを fr. 一方物語り進行上の感情を表すのにはを用いる。 マイムが過度に多い作品はしばしば「バレエ的でない」と批判されることからも、バレエが舞踊芸術であることが理解される。 :両足を 外側に開くこと。 バレエのポーズや動きの基本。 ポーズ:、• : 膝を曲げる動き。 (爪先立ち): 踵をついた状態 からを経てポワント(トー)に上がること。 回転:、、、、• :片足で踏み切り空中で両足を前後に広げて飛ぶ跳躍• :両足で踏み切り空中で脚を交差し打ちつけ合う。 回数によってアントルシャ・カトル、アントルシャ・シスなどと呼ぶ。 バレエの化粧 [ ] 1900年頃 著名なバレエの作品には以下のものがある。 詳細はも参照のこと。 (1789年、振付:)• (1832年、音楽:、、振付:)• (1841年、音楽:アドルフ・アダン、振付:、ジュール・ペロー、台本:ジャン・コラリ、、)• (1844年、音楽:、振付・台本:)• (1845年、音楽:チェーザレ・プーニ、振付:ジュール・ペロー)• (1846年、音楽:、振付:、ピエール・ラコット、台本:)• (1856年、音楽:ほか、振付:)• (1869年、音楽:、振付:マリウス・プティパ)• (1870年、音楽:、振付・台本:、原作:)• (1877年、音楽:レオン・ミンクス、振付:マリウス・プティパ、台本:、マリウス・プティパ)• (1877年、音楽:ピョートル・チャイコフスキー、振付:、台本:、)• (1890年、音楽:ピョートル・チャイコフスキー、振付:マリウス・プティパ、台本:マリウス・プティパ、)• (1892年、音楽:ピョートル・チャイコフスキー、振付:、台本:)• (1898年、音楽:、振付:)• (1900年、音楽:、台本・振付:マリウス・プティパ)• (1905年、音楽:、振付:ミハイル・フォーキン)• (1909年、音楽:、振付:ミハイル・フォーキン)• (1910年、音楽:イーゴリ・ストラヴィンスキー、振付:ミハイル・フォーキン)• (1911年、音楽:、振付:ミハイル・フォーキン)• (1911年、音楽:イーゴリ・ストラヴィンスキー、振付:ミハイル・フォーキン、台本:イーゴリ・ストラヴィンスキー、アレクサンドル・ブノワ)• (1912年、音楽:、振付:ヴァーツラフ・ニジンスキー)• (1913年、音楽:、振付:)• (1919年、音楽:、振付:レオニード・マシーン、台本:)• (1910年、音楽:、振付:、台本:)• (1934年、音楽:、振付:ロスチスラフ・ザハロフ、台本:)• (1938年、音楽:、振付:、台本:)• (1940年、音楽:セルゲイ・プロコフィエフ、振付:レオニード・ラヴロフスキー)• (1945年、音楽:、振付:)• (1946年。 音楽:、振付:ローラン・プティ)• (1947年、音楽:ジョルジュ・ビゼー、振付:)• (1949年、音楽:、振付:ローラン・プティ)• (1954年、音楽:、振付・演出・台本:)• (1955年、音楽:、、振付:)• (1961年、音楽:、ピエール・シェッフェル、振付:モーリス・ベジャール)• (1965年、音楽:、振付:ローラン・プティ)• (1965年、音楽:、振付:、原作:)• (1974年、音楽:ほか、振付・台本:)• (1974年、音楽:、振付:ケネス・マクミラン)• (1978年、音楽:、振付:、台本:)• (1978年、音楽:、台本・振付:)• (1986年、音楽:、振付:モーリス・ベジャール、に取材)• (1989年、音楽:、原作:)• (音楽:) バレエ団 [ ] 総合舞台芸術であるバレエの上演にはや舞台装置などの効果的使用のみならず、楽団の存在が欠かせない。 このためバレエの上演には一般に費用を要し、多くの国では国営のが組織される。 民間のバレエ団も著名なものは多額の寄付を集めて運営することが多い。 著名なバレエ団には以下のものがある。 (詳細なリストは を参照。 フランス• - 世界最古のバレエ団。 王立舞踏アカデミーとして創設。 (ボルドー・オペラ座バレエ、、1780年〜)• - が設立したロシア人主体のバレエ団。 パリを拠点に活動した。 (~)• ロシア• (旧キーロフ・バレエ、~)• (~)• (旧レニングラード・マールイ劇場/レニングラード国立バレエ)(〜)• (旧ダンチェンコ劇場) ロシアでは、バレエ公演が無くても固定給で、ダンサー寿命が短いのでバレエ年金が35歳から支給され、バレエ公演の入場料は日本の10分の1で、バレエ専用劇場では、ダンサーの足元が見られるように舞台床が客席に向かって斜めになっている。 [ ]• イタリア• ミラノ・バレエ - オペラ優位のイタリアでは永くバレエは省みられなかったが、1990年代以降バレエ部門の立て直しが進んでいる。 (1778年〜)• イギリス• (~)• (、起源はロイヤル・バレエ団と同じ、~)• (、1950年〜)• 、1969年〜)• ドイツ• (~)• (、17世紀〜)• (、バイエルン州立歌劇場バレエ)• 二百近いカンパニー付劇場を誇るドイツでは、三点劇場と呼ばれるオペラ、バレエ、演劇の兼用劇場か、オペラ劇場にバレエ団が付属する形が多数だが、フランクフルトは唯一のバレエ専用劇場である。 ドイツ圏は演奏会音楽、オペラ、宗教音楽、舞踏音楽とあらゆる音楽分野で世界を先導する中で「バレエなき国」と呼ばれたほどこの分野だけが空白となってきた国であるが モーツァルトやベートーヴェンのような大家の作品ですら上演機会がほとんどない。 ただし、なぜか「白鳥の湖」「ジゼル」「くるみわり人形」など、作品の舞台に選ばれることは非常に多く、オペラにおけるスペインに似た位置にある 、上演の活発さは随一で、ロシアと並ぶ世界のバレエ大国である。 新書館「バレエ2002」によれば、国内で240人の振付師、バレエマスター、1600人の劇場所属バレエダンサーのほか、多数のフリーのバレエダンサーが活動しているとされている。 オーストリア• バレエ• オランダ• (1748年〜)• (1959年〜)• スイス• (、1960年〜)• アメリカ合衆国• (1937年〜)• (1948年〜)• (、1933年〜)• (旧ジョフリー・バレエ・シカゴ、、1956年〜)• キューバ• (、1948年〜)• カナダ• (、1951年〜)• オーストラリア• ダンサーの階級 [ ] バレエ団によっては、ダンサーの 階級について固有の呼び方がある。 主役級の エトワール、 、 、それに次ぐ準主役級の ソリスト、(群舞)を踊る カドリーユ、 アーチストなどがある。 オペラ座バレエ団の場合• エトワール• プルミエ・ダンスール(女性の場合はプルミエール・ダンスーズ)• スジェ• コリフェ• カドリーユ• ロイヤル・バレエ団の場合• プリンシパル• ソリスト(トップはファースト・ソリスト)• アーチスト(トップはファースト・アーチストまたはコルフェ)• アメリカン・バレエ・シアターの場合• プリンシパル• ソリスト• コール・ド・バレエ バレエ学校 [ ]• の場合 毎年20人程度の新入生を迎えるが、年齢が同一でないので、該当年齢相当の初等教育~中等教育(日本の小中高校程度)の授業とバレエ教育を授ける。 大学入試資格を得ることができる。 毎年1回の進級テスト及び最高学年が18歳まで受験できるオペラ座バレエ団入団テストで落第すると退学しなければならない。 よって通常の教育も授けることで、普通学校へ転入や他のバレエ団へ就職、または他の職業教育を受けて転職する場合に不利にならないようにしている。 オペラ座バレエ団の入団の体型条件は、男性は身長175センチメートル~180センチメートル以上、女子は栄養管理教育を学びダイエットが必要。 毎年1回の進級テストで落第すると退学になるのは、才能が無い生徒に早期に進路変更させる事で、人生で生活困窮者にしない工夫を国の教育でもしている。 学校生活は、生徒同士の助け合いと同時に、競争による淘汰も有る。 客から料金を取れるプロ意識を生徒に意識付け、プロのとしてのレベルを落とさない工夫がされている。 バレエ団に入団しても、エトワールを頂点とするバレエダンサー、を支えるバレエ団の組織運営であるが、新たなダンサーが階級を登ることで組織の新陳代謝を図っている。 バレエに関係する芸術家 [ ] バレエの上演に関係する芸術家には、バレエ音楽の作り手である 作曲家、を含めたダンスを指定する 振付家、を含むバレエ音楽の演奏家、そして舞踊によってバレエを実現し完成させる ダンサーなどがいる。 作曲家 [ ] 著名なバレエの作品のには以下の者がいる。 詳細はも参照のこと。 (「」)• (「」)• (「エスメラルダ」、「」、「」)• (「」、「」)• (「」、「」、「」、「」)• (「」、「」)• (「」、「」、「」)• (「タリスマン」)• (「」、「」)• (「」、「」、「」)• (「」、「」、「」)• (「」、「」、「」、「」)• (「」、「」)• (「」)• (「」「」)• (「」、「」、「」)• (「」、「」、「」)• (「」、「」)• (「」、「」、「」)• (「」、「」、「」)• (「」、「」、「」)• (「」、「」)• (「」、「」)• 「」 振付家 [ ] 著名なバレエのには以下の者がいる。 詳細はも参照のこと。 (「」)• (「」)• (「ラ・シルフィード」)• (「」「」)• (「ジゼル」「」)• (「」)• (「」)]• (「」「」「」「」「」「」「」)• ()(「」)• (「白鳥の湖」「くるみ割り人形」)• (「」、「」、「」、「」)• (「」「」「」「」)• (「パラード」「奇妙な店」「」「ホフマン物語」)• (「牝鹿」)• (「」「」)• (「」「」「ピーター・ラビットと仲間たち」、「マルグリットとアルマン」、)• (「」「青銅の騎士」「」)• (「」「」「」「」「」「M」「舞楽」)• (「大地の歌」「」「」「」「」「」)• (「カルメン」「コッペリア」)• (「」「じゃじゃ馬ならし」)• 著名なバレエダンサー [ ] 著名なバレエのには以下の者がいる。 詳細はも参照のこと。 女性 [ ]• (1710年 - 1770年、フランス)• (1804年 - 1884年、イタリア)• (1819年 - 1899年、イタリア)• (1872年 - 1971年、ロシア)• (1875年 - 1966年、フランス)• (1881年 - 1931年、ロシア)• (1885年 - 1978年、ロシア)• (1891年 - 1972年、ロシア)• (1903年 - 1997年、ロシア)• (1910年 - 1998年、ロシア)• (1919年 - 1991年、英国)• (1919年 - 1996年、ソ連〔ロシア〕)• (1920年 - 、キューバ)• (1925年 -2015 、ソ連〔ロシア〕)• (1925年 - 、米国)• (1940年 - 、ソ連〔ロシア〕)• (1948年- 、広島、)• (1956年 - 、フランス)• (1961年 - 、ソ連〔カザフ〕)• (1963年 - 、フランス)• (1963年 - 、ソ連〔グルジア〕)• (1963年 - 、イタリア)• (1965年 - 、フランス)• (1965年 - 、東京、)• (1965年 - 、東京)• (1967年- 、神奈川、)• (1969年 - 、英国)• (1969年 - 、ソ連〔カザフ〕)• (1971年 - 、フランス)• (1973年 - 、フランス)• (1976年 - 、ソ連〔ロシア〕)• (1976年- 、福岡、)• 1976年- 、東京、)• (1977年- 、神奈川、東京バレエ団)• (1980年 - 、佐賀、)• 1981年-、ルーマニア、)• 1982年-、• 1984年-、大阪府、 男性 [ ]• (1890年 - 1950年、ロシア)• (1938年 - 1993年、ソ連〔ロシア〕)• (1940年 - 、ソ連〔ロシア〕)• (1947年 - 1992年、アルゼンチン)• (1948年 - 、ソ連〔ラトヴィア〕)• (1948年 - 、東京、)• (1959年 - 、フランス)• (1960年 - 、フランス)• (1963年 - 、ソ連〔ウズベク〕)• (1964年- 、フランス)• (1964年- 、東京)• (1968年- 、ソ連〔ウクライナ〕)• (1968年- 、キューバ)• (1969年 - 、ソ連〔ロシア〕)• (1969年 - 、東京)• (1970年 - 、神奈川、)• (1971年 - 、英国)• (1971年 - 、大分)• (1972年 - 、フランス)• (1972年 - 、北海道、)• (1975年 - 、スペイン)• (1975年 - 、イタリア)• (1984年 - 、フランス) バレエコンクール [ ] 国際的なにはプロを対象にした競技会が多いが、才能のある青少年を発掘するコンクールもあり、日本では後者のほうが知られている。 有名なバレエコンクールには以下のものがある。 - 4年に1度で開催。 日本国内では以下のものがある。 - に始まった国内最古の由緒あるコンクール。 - クラシックとコンテンポラリーを課し、総合的に審査。 - 50年近い伝統がある。 - 西日本では最も歴史がある。 1000人以上がしのぎを削る。 - 主催。 会長も審査にあたる。 - より。 登竜門的位置付け。 日本のバレエ [ ] イタリア人指導者が歌劇部のバレエマスターに起用されたのが日本のバレエの始まり。 で日本にしたがにスタジオを開いたのが日本のバレエ学校1号。 この節のが望まれています。 特徴 [ ] 欧米の国では国立のバレエ学校を持つ国もあるが、日本には国立のバレエ学校はない。 これに代わり、約5000 の民間のバレエスタジオが約40万人 のバレエダンサーの養成を行っている。 日本でバレエを習っている子どもの多くはプロのダンサーになることを目指しているわけではない。 スタジオ主宰者の子どもがダンサーとして頭角をあらわし、バレエコンクールなどで活躍することが多い。 またバレエ・ダンサーの中には、古典としてのバレエからコンテンポラリー・ダンス・現代舞踊や舞踏の分野へと進出する人もいる。 日本のバレエダンサーの詳しい情報は、を参照。 劇場 [ ] 日本で付属のバレエ団がある劇場には()がある。 バレエ研修所も併設されている。 新国立劇場以外に国内でバレエ公演が行われる主な劇場には以下のものがある。 (旧称:東京簡易保険会館、)• ホール(旧称:、)• (港区)• (渋谷区)• () バレエ団 [ ] 国内の著名なには以下のものがある。 法村友井バレエ団 (大阪、1937年 - )• 貝谷バレエ団 (1938年 - )• (1948年 - )• 谷桃子バレエ団 (1949年 - )• 越智インターナショナルバレエ (名古屋、1949年 - )• (1956年 - )• (1964年 - )• (1965年 - )• (1968年 - )• 貞松・浜田バレエ団 (神戸、1970年 - )• 小林紀子バレエ・シアター (1973年 - )• 山本禮子バレエ団 (1975年 - )• (1987年 - )• 東京小牧バレエ団 (1987年 - 、旧・バレエ団)• (1993年 - )• 新国立劇場バレエ団 (1997年 - )• (1999年 - )• (2019年 - ) バレエを扱った作品 [ ] この節のが望まれています。 漫画 [ ]• アダージオ ()• (山岸凉子)• 翼-ウィング-()• City Bird (佐々木潤子)• SWAN-白鳥の祈り-• (山岸凉子)• Do Da Dancin'! ヴェネチア国際編• 鳥のように飛べるまで ()• (原作:、漫画:)• (萩尾望都)• (萩尾望都)• (小野弥夢)• coda ()• ダンス・ダンス・ダンスール() アニメ [ ]• (、) 映画 [ ]• (、監督、1948年)デジタルリマスター・エディション - 映画監督オリジナル・ネガ修復(2009年)• (監督、1977年)• (監督、1993年)• (監督、1998年) - 主演• (監督、2000年)• (監督、2000年)• (監督、2000年)• (監督、2001年)• (監督、2003年)• (監督、2009年)• (監督、2010年)• (監督、2011年) テレビドラマ [ ]• (TBS、1972年)• (TBS、2005年)• (日本テレビ、2006年)• バレエ・シューズ (BBC、2007年) 小説 [ ]• (ノエル・ストレトフィールド,1936年 イラスト [ ]• バレエ叙情画• 脚注 [ ] []• フランス語発音: バレ• 英語発音: バレイ• 「バレエダンサーの世界」• - NHKEテレ 前編2013年3月16日19時放送、後編2013年3月23日19時放送• 2014年5月11日中日新聞朝刊サンデー版• 2014年2月3日中日新聞朝刊1面• 2014年2月3日中日新聞朝刊1面• 2014年2月3日中日新聞朝刊1面• 2014年2月3日中日新聞朝刊1面• 2014年2月3日中日新聞朝刊1面 参考文献 [ ]• 『バレエの歴史』 M・フランソワーズ・クリストウ著 佐藤俊子訳) 白水社文庫クセジュ 1970年• 『バレエの歴史』 フェルディナンド・レイナ(小倉重夫訳)、音楽之友社、1974年• 『バレエとモダンダンス-その歴史』 J・アンダソン著 音楽之友社 1993年• 『バレエ 誕生から現代までの歴史』 著 音楽之友社 1999年• 『バレエ入門』 三浦雅士著 新書館 2000年• 『ワガノワのバレエ・レッスン』 アグリッピナ・ワガノワ著 新書館 1996年 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。

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バレエ 音楽

ルネサンス期の西ヨーロッパに起源する芸術の。 名称は語の動詞 ballare 踊る に由来する。 ダンスが舞踊全般をさすのに対し,今日のバレエはを対象とする場芸術の一形式で,・・美術・衣装・照明などの要素を統合し,手の動きを通して,舞踊作家であるが創作する総合舞台芸術である。 脚と腕の各5つの基本ポジションと舞台上の8つの方向を基礎に組立てられた科学的幾何学的なに基づくもので,この種の定型技法に拘束されない芸術舞踊はと呼んでバレエと明白に区別するのが普通である。 また,形式や,独立したの場などを使うかかで,・バレエとのが端的に生れる。 技法の基礎には,アン・ドゥオールといって,腰 をに開くことによって脚を 180度外開きにする姿勢を特徴とし,これにと呼ばれるステップの4つの基本的運動と,体の方向や手の位置とを,複雑な動きや踊りを美的に造形する。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について の解説 のイタリアに発生した舞踊を主体とした総合的な舞台芸術。 音楽,美術,また多く文学的要素を伴うが,動きの基本はあくまでもクラシック・ダンスと称される特定の技法による。 すなわち,足の5つのポジションを基本とし,,などのポーズ,,などの動きを含む技法である。 クラシック・バレエはこれらの技法を厳格に守って振り付けられていたが,20世紀に入って盛んに作られるようになったモダン・バレエはこれを基本としながら変則の振付もなされる。 バレエの最初の頂点は,イタリアから嫁いできたの命により1581年フランスの宮廷で上演された《王妃のバレエ・コミック》とされる。 その後14世の時代になるとますます盛んになり,1669年にはルイ14世によって王立音楽舞踊アカデミーが設立され職業舞踊家育成の基礎が固まる。 これはのちに王立音楽アカデミー()の傘下に入り付属舞踊学校となる。 18世紀後半になると,の舞踊改革などを経て舞台芸術としての純度が高められる。 舞踊技術も大きく進歩し,19世紀のの時代を迎えると,オペラ座を中心としたフランスのバレエは全盛を誇る。 その後バレエの中心はフランスからロシアへ移り,19世紀後半の帝政ロシアのでが《》をはじめとする典型的なクラシック・バレエの傑作群を生み出した。 20世紀に入り,1909年ロシアの率いる〈〉が西欧で公演を行い,新しい時代の到来を告げ,モダン・バレエが盛んになる。 1930年代には英米にもバレエ団創設の機運が起こり,バレエは世界中に波及するようになった。 演劇がによって進行するのに対し,せりふのに舞踊および マイム によって進行する劇をいう。 一貫した筋があり,2人以上の登場人物を,その登場人物が何かの役にふんし,したがってその役の要求する衣装を着し,舞台装置をもった劇で,せりふをいっさい排して舞踊だけによって構成されるものである。 ふつう,ダンスといわれるものとの相違は,ダンスがひじょうな広範囲なものを意味し,観客を予想しないやなどをもいっさい含めているのに対して,バレエは初めから観客を意図し,劇場のためのものである点にある。 出典 株式会社平凡社 世界大百科事典 第2版について の解説 バレエはヨーロッパに発達した舞踊形式の一種で、音楽、マイム(黙劇)、衣装、装置などを伴う総合芸術である。 イタリア語のballare(踊る)を語源とするように、ルネサンス期(14~16世紀)のイタリアの宮廷に生まれた。 他の舞踊に比較して足を開くことを原則とし、歩く、跳ぶ、回るステップなど厳密にパターンが決められているのを特色とする。 足の表現を上半身のそれよりも重視しているところから、狩猟民族系の舞踊ともいわれている。 [市川 雅] バレエの歴史 宮廷バレエから劇場バレエへバレエはイタリア・ルネサンス期の宮廷における祝宴の余興から始まった。 メディチ家の盛時には、5、6時間の祝宴中、入念に構成されたさまざまな出し物で賓客をもてなすのが習慣であった。 まずアントレという入場があり、貴族とその夫人たちが大広間に入ってくる。 男女は列をつくるとともに一対になって、互いにおじぎをし、手を取り合って踊りながら歩く。 この踊りの道筋をシェマンといい、床に歩くための図形が描かれるか、まえもって踊る人々に示されていた。 バレエは宮廷における挨拶 あいさつ の仕方をもとにつくられたといわれ、このアントレの行進も男女の礼儀のあり方を基本にしている。 このように初期のバレエでは貴族たちがアントレの場面で踊りながら行進するだけだったが、踊り手が専門化するにつれて、アントレに参加する踊り手は登場人物の扮装 ふんそう をするようになった。 たとえば17世紀における天上界を描くバレエでは、霧、霰 あられ 、雷、流星などに扮していた。 イタリアでの宮廷の祝宴は、メディチ家の娘カテリーナ(フランスではカトリーヌ・ド・メディシス)がフランスのアンリ2世の王妃となるとともにパリの宮廷に移され、より豪華なものになっていった。 1581年のパリのプチ・ブルボン宮で上演された『王妃のバレエ・コミック』はバレエ史上記録に残る最初の作品である。 ジョアイユーズ公爵と王妃ルイーズ・ド・ロレーヌの妹マルガレーテ(マルグリット)の結婚を祝って催され、台本と振付けはバルタザール・ド・ボジョアイユで、カトリーヌ・ド・メディシスが雇った音楽家であった。 内容は、魔女キルケの魔法にかけられた水の精、海の精たちがユピテルによって解放されるというギリシア神話によるもので、グロテスクのごった返し、変身に次ぐ変身による実体の喪失、登場人物の二重性、天と地との交錯などバロック的特徴を示している。 とくにこの変身のあり方はバロック演劇特有のもので、バロック演劇は宮廷バレエの別称ともなっている。 フランスの宮廷バレエはその後も繁栄を続け、ルイ14世時代、リュリやモリエールらが音楽や台本を書くころには、職業的な踊り手が出現するようになった。 1661年、王立舞踊アカデミーが創設され、ボーシャンが専任教師となって、バレエの基本である足の五つのポジションが定められ、69年設立の音楽アカデミーと合体して72年に王立音楽舞踊アカデミー(現在のパリ・オペラ座)の設立をみるに至った。 バレエは祝宴の余興から始まったが、その後のグランド・バレエ『白鳥の湖』や『眠れる森の美女』などの終幕では男女が愛によって結ばれ、他の幕ではディベルティスマンといわれる余興の踊りの競演がみられるように、発生時に与えられた性質は以後のバレエの展開に大きな影を落とし、その内容を決定づけている。 [市川 雅] ロマンチック・バレエから古典バレエへ18世紀のヨーロッパのバレエは、パリ・オペラ座を中心に展開され、マリー・カマルゴ、マリー・サレなどの舞踊家、ボーシャン、ノベールなどの振付師が活躍した。 19世紀になると、ヨーロッパを席巻 せっけん したロマン主義精神がバレエの世界にも入り込み、バレエ史上もっとも高揚した時代を迎えた。 なかでも詩人ゴーチエは舞踊評論家としても活躍し、『ジゼル』の台本作家でもあった。 彼は「地の精、水の精、火の精、小妖精 ようせい 、ニクス、ウィリー、ペリなど幻想的な神秘的な存在にオペラ座はゆだねられ、オリンポスの大理石と黄金の12の神殿は倉庫の中に追放された」と語っている。 魔女やギリシア風のチュニックを着けた人物は消えて、ヨーロッパの地方の民俗的伝承が主題となり、登場する舞姫は薄いサテンのスカートを着け、妖精となって野の花の冠を頭に飾り舞台に現れた。 ロマン主義時代の作品には、『ラ・シルフィード』『ジゼル』など妖精が出てくるものが多い。 夢想的な神秘主義、はるかなる国々、伝説的な過去への郷愁、民間伝承の愛好などがここにはみられる。 シルフィードは空気の精であり、『ジゼル』に登場するウィリーは空気と森の混合した妖精である。 そのほかにも『ラ・ペリ』『オンディーヌ』などが上演されている。 ロマンチック・バレエの典型的な作品は2幕構成になっていて、たとえば『ジゼル』のように、第1幕は村の広場で展開される生き生きとした農民の生活場面であり、第2幕はがらりと変わって幻想的な場面である。 この時代には、トーシューズが初めて用いられるようになった。 主題が妖精の世界ならば、舞姫たちは浮遊して見えなければならない。 それを可能にしたのがトーシューズで、舞姫たちがパ・ド・ブーレで舞台を歩くと、床に足をつけていないように見えたという。 とくにマリー・タリオーニは、ゴーチエによれば「天国の花の上を花びらをたわめることなく、バラ色のつまさきで歩く幸福な魂に似ている」とされ、ロマンチック・バレエの天上的性質を具現するダンサーであった。 一方、オーストリア生まれのファニー・エルスラーは地上的性質を体現した。 彼女はスペインのカチューチャやポーランドの民族舞踊などを得意とし、ロマンチック・バレエの異国趣味に見合った踊り手であった。 当時、観客はタリオーニ派とエルスラー派の二つに分かれて争ったといわれる。 このほか、『ジゼル』を踊ったカルロッタ・グリジ、その夫ジュールス・ペロー、もう一人のファニーといわれたファニー・チェリート、デンマークのルシール・グラーンらが活躍した。 ロマンチック・バレエ以後、ヨーロッパのバレエは衰退し、男性舞踊手は数少なくなり、現在残っているこの時代の作品は『コッペリア』(1870)、『シルビア』(1876)など多くない。 一方、バレエの後進国であったロシアでは、プチパやチェケッティらを招待し、天才バレエ音楽作曲家チャイコフスキーの音楽を使って、プチパ振付けのグランド・バレエ『眠れる森の美女』(1890)、イワーノフ振付けの『くるみ割り人形』(1892)、プチパとイワーノフ共同振付けの『白鳥の湖』(1895)などを上演した。 これら19世紀後半ロシアで完成された、幕と場数の多いストーリー性の濃い、スペクタクル様式のバレエを古典バレエとよぶようになった。 [市川 雅] 20世紀のバレエ ロシア・バレエ団ロシアでは、19世紀末の蓄積に加えて、古い体質を改革しようとする意欲がみなぎっていた。 ディアギレフはその中心的人物で、N・レーリッヒ、L・バクスト、A・ブノアらの画家と雑誌『芸術の世界』を編集して、ロシアの美術・音楽をヨーロッパに紹介するとともに、1909年、パリでロシア・バレエ団(バレエ・リュス)を設立、デビュー公演を行った。 音楽家としてプロコフィエフ、ストラビンスキー、振付家としてフォーキン、舞踊手としてニジンスキー、パブロワ、カルサビナらがこれに参加した。 フォーキンはイサドラ・ダンカンの踊りに刺激されてバレエの変革を企て、主題に沿った表現形式を重視する立場をとった。 ロシア・バレエ団の活動は2期に分けられるが、前期はバーバリズムとエキゾチシズムに特徴があった。 『イーゴリ公』の「ダッタン(ポロビッツ)人の踊り」はスラブの野性を誇示する激しい跳躍からなる舞踊であり、ニジンスキー振付けの『春の祭典』も民間伝承の人身御供 ごくう の儀式を扱い、観客に圧倒的な印象を与えた。 フォーキン振付けの『シェヘラザード』は、エキゾチシズムの代表的作品であり、原色を使ったバクストの装置・衣装、東方への夢をかき立てるリムスキー・コルサコフの音楽、I・ルビンシテインの官能的な肉体、そしてニジンスキーの演じる野獣のような金 きん の奴隷など、きわめて魅力的な舞台であった。 『火の鳥』『ペトルーシュカ』『バラの精』も、このころのフォーキンの代表作である。 ディアギレフは1910年代後半から、ロシア人だけでなく、パリに住む芸術家を登用するようになり、それとともにロシアの風土性から離れ、実験的な現代芸術へ接近していった。 たとえば、マシーン振付けの『パラード』(1917)では音楽にサティ、美術にピカソを起用し、ピカソによるキュビスムの装置とタイプライターの音など具体音で構成されたサティの音楽は、観客のど肝を抜いたといわれる。 ロシア・バレエ団は1929年、ディアギレフの死によって解散したが、その後半は、振付家としてバランチン、舞踊家としてリファール、ダニロワなどが活躍した。 現在でもニューヨーク・シティ・バレエ団のレパートリーに入っている『放蕩 ほうとう 息子』(1929)は、バランチンの振付け、リファールの主役で初演されている。 [市川 雅] ヨーロッパ各国のバレエイギリスでは、1931年、ド・バロアがビッグ・ウェルズ・バレエ団(現在のロイヤル・バレエ団)を創設し、当時のソ連から亡命したニコライ・セルゲーエフの助けを得て『ジゼル』『白鳥の湖』をレパートリーに加えた。 それまでのイギリスのバレエは、エロティシズムを悪とするビクトリア王朝の道徳観のために宮廷の保護を失い、ミュージック・ホールで生き延びていた。 ド・バロアはフォンティンをプリマ・バレリーナに使い、アシュトン振付けの『オンディーヌ』(1958)などを上演した。 ド・バロアののち、ロイヤル・バレエ団の芸術監督はアシュトン、マクミラン、ダウエル、ストレトンらが就任した。 このほか、チューダーの『リラの園』(1936)などを初演したランベール・ダンス・カンパニー(当時はバレエ・ランベール)、ドーリンとマルコワが50年に設立したイングリッシュ・ナショナル・バレエ団(当初はロンドン・フェスティバル・バレエ団)などが活動している。 デンマークでは、1748年発足のデンマーク王立バレエ団がロマンチック・バレエ時代の名振付家ブルノンビルの『ナポリ』(1842)などの遺産を引き継ぎ、じみながら現代のバレエに貢献している。 『エチュード』(1952)をつくったH・ランダー、優れた男性舞踊手E・ブリュンらもデンマーク出身であり、ニューヨーク・シティ・バレエ団のP・マーチンス、サンフランシスコ・バレエ団のE・トマッソンなど、とくに男性舞踊手に優秀な人材を出している。 なお、スウェーデン王立バレエ団も18世紀以来の長い伝統を誇っている。 フランスでは、ディアギレフのロシア・バレエ団の解散後、残党組がモンテカルロ・ロシア・バレエ団(バレエ・リュス・ド・モンテカルロ)やバレエ・ド・クエバスなどを組織し、マシーン、D・リシン、フォーキンの作品などを上演し、舞踊手にはダニロワらが参加した。 パリ・オペラ座は、O・スペシツェワの踊る『ジゼル』などで長い間追放されていたリリシズムを復活し、1929年にはロシア・バレエ団に在籍していたリファールをバレエ・マスターに招いて再興を図った。 リファールは『白の組曲』(1943)などを振付け、上演し、ダルソンバル、ショビレらの舞踊手を育てた。 リファールの後継者としてG・スキビーヌ、M・デコンビーが芸術監督になり、その後はヌレーエフ、デュポン、B・ルフェーブルと続く。 オペラ座以外では、1944年シャンゼリゼ・バレエ団を結成し、72年からマルセイユ・バレエ団を率いるローラン・プチが注目され、『カルメン』『コッペリア』『ノートル・ダム・ド・パリ』などエスプリのきいた作品には定評がある。 さらにもう一人の俊才は、1957年にパリでバレエ・シアター・ド・パリ、60年からベルギーの王立二十世紀バレエ団、87年からスイス、ローザンヌに移り、ベジャール・バレエ・ローザンヌを率いるベジャールである。 彼はトータル・シアター(全体演劇)としてのバレエ作品に意欲を示し、『ロメオとジュリエット』『ニジンスキー・神の道化』『カブキ』などの演出に才気をみせた。 ドイツでは、バレエ後進国からの離脱を目ざしたが、20世紀になってからも注目されるようなものはなかった。 むしろアメリカと並びモダン・ダンスの国で、1920年代から第二次世界大戦までノイエ・タンツ(新舞踊)の運動が活発であった。 しかし、1961年にイギリス人クランコがシュトゥットガルト・バレエ団の芸術監督になって以後、世界の注目を集めるようになった。 彼の作品には『オネーギン』『じゃじゃ馬馴 な らし』などがある。 彼の死後、M・ハイデ、R・アンダーソンが同バレエ団を率いている。 またハンブルク・バレエ団はアメリカ人の振付家J・ノイマイヤーが率いており、フランクフルト・バレエ団ではW・フォーサイスが革新的な作品を発表している。 なお現在ヨーロッパのバレエ界でもっとも注目されているオランダのネザーランド・ダンス・シアター(1955発足)の振付家J・キリアンはクランコ門下で、ベジャールを超える逸材ともいわれる。 スピードのある展開を得意とし、『シンフォニー・イン・D』『結婚』などの作品がある。 [市川 雅] ロシアのバレエ革命期のロシアでは新しい試みがいくつかなされた。 バランチンの師にあたるK・ゴレイゾフスキーは曲技やボードビルなどの要素を取り入れ、より民衆的なバレエをつくろうとした。 革命後は、ボリショイ・バレエ団のチホミーロフ振付け『赤いけし』(1927)にみられるように、社会主義リアリズムに準拠した作品が多くなり、グランド・バレエの形式を借りた写実的な傾向が強まった。 踊り手にも優れた人材を輩出し、とくにサンクト・ペテルブルグのマリンスキー劇場で教えていたワガーノワの門下から、ドジンスカヤ、ウラーノワなど叙情的なバレリーナが出た。 社会主義リアリズムの代表作として、W・ワイノーネンの『パリの焔 ほのお 』、R・ザハーロフの『バフチサライの泉』、L・ラブロフスキーの『ロメオとジュリエット』、グリゴロービチの『スパルタクス』などがある。 第二次世界大戦後、何人かのダンサーが西側に亡命したが、なかでもヌレーエフ、N・マカロワ、バリシニコフの存在は大きい。 ソ連崩壊後のロシアで活躍しているダンサーには、プリセツカヤ、I・コルパコワ、E・マキシモワ、N・ベスメルトノワ、N・アナニアシビリ、A・ウバーロフ、I・ビャートキナらがいる。 [市川 雅] アメリカのバレエアメリカのバレエの歴史は古くはないが、1930年代に入って急速に発展し、今日に至っている。 大きく二つの流れがあり、一つは1939年設立のバレエ・シアター(のちアメリカン・バレエ・シアターと改称)で、チューダーの『リラの園』『火の柱』『暗い悲歌』、デミルの『フォール・リバー物語』、ロビンズの『ファンシー・フリー』などの意欲的な作品を上演した。 80年~89年の芸術監督は旧ソ連(現ラトビア)出身のバリシニコフで、『ドン・キホーテ』などの古典バレエだけでなく、モダン・ダンスのT・サープの作品などを積極的にレパートリーに加えた。 一方ニューヨーク・シティ・バレエ団は、アメリカに渡ったバランチンがL・カースティンと協力して1933年に設立したアメリカン・バレエ学校を母体にしている。 この卒業生によるアメリカン・バレエ団、バレエ・キャラバン、バレエ・ソサエティーを経て、48年に現在のバレエ団に発展した。 作品はバランチンのものが大半で、『セレナーデ』『コンチェルト・バロッコ』など、新古典主義といわれるステップの組合せによる抽象的な作品が多かった。 ロビンズはミュージカル『ウェスト・サイド物語』の振付けで有名だが、『檻 おり 』『結婚』『ダンス・アット・ギャザリング』などの作品をこのバレエ団で発表しており、意表をつく演出と民族舞踊やジャズの採用にも積極的であった。 総じて、現代のアメリカ、ヨーロッパのバレエでは、バレエとモダン・ダンスの質的な差異はほとんどなくなっている。 たとえば、T・サープやK・アーミタージュはモダン・ダンス出身だがバレエともいえる作品を発表しており、ベジャールやJ・キリアンはバレエ・シューズを着けずに踊る作品をつくっている。 ハンブルク・バレエ団のノイマイヤー、フランクフルト・バレエ団のフォーサイスもモダン・ダンス出身であり、フランスのM・マランはリヨン・バレエ団のために『シンデレラ』などを振り付けている。 [市川 雅] 日本のバレエ日本のバレエの歴史は、チェケッティ・メソッドを継承するイタリア人G・V・ローシーが、1912年(大正1)新設まもない帝国劇場に招かれ、専属俳優にバレエの指導をした時に始まる。 彼の弟子には石井漠 ばく 、高田雅夫 まさお 、高田せい子らがいる。 また、アメリカ帰りの高木徳子 とくこ が日本人として初めてトーダンスを踊り、珍しがられた。 20年代になると、名手アンナ・パブロワがバレエ団を率いて来日、とくに彼女の踊る『瀕死 ひんし の白鳥』(フォーキン振付け)は絶賛を浴び、日本人にバレエの美しさを教えた。 その後、亡命ロシア人のE・パブロワ、N・パブロワ姉妹が鎌倉にスタジオを建て、その門下から服部智恵子 はっとりちえこ 、東 あずま 勇作、橘 たちばな 秋子、貝谷八百子 やおこ 、島田廣 ひろし らが輩出した。 また、同じくロシア人O・サファイアも36年(昭和11)に来日して日劇で教え、松尾明美 あけみ 、松山樹子 みきこ らを育てた。 第二次世界大戦後、日本のバレエは本格的な開花期を迎え、早くも1946年(昭和21)には各バレエ団の合同により東京バレエ団が結成され、外国から帰った小牧正英 まさひで の振付けで『白鳥の湖』が初演された。 以後、小牧バレエ団、服部・島田バレエ団、谷桃子バレエ団、横山はるひバレエ団など多くのバレエ団が組織され、それぞれ独自の活動を続けた。 また、外国のバレエの模倣や古典尊重だけでなく、オリジナルな作品をつくろうとする気運も高まり、関直人 なおと 、横井茂、高橋彪 ひょう らの優れた振付家が生まれた。 ダンサーでは、ブルガリアのバルナ国際舞踊コンクールで金賞を獲得した森下洋子が、アメリカン・バレエ・シアターに客演するなど国際的に活躍し、日本バレエの成長を世界に印象づけた。 現在では、森下の所属する松山バレエ団のほか、牧阿佐美 あさみ バレエ団、チャイコフスキー記念東京バレエ団などが精力的に活動している。

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プロローグ 旅に出るドン・キホーテ 書斎で騎士道物語を読みふけるドン・キホーテ。 次第に現実と空想の境目がなくなり、サンチョ・パンサを従者に、物語の中に出てきたドルシネア姫に会いに旅に出る。 第一幕 ~結婚を認めない父親~ 舞台はスペインの市場。 床屋の息子バジルと宿屋の娘キトリの二人は恋仲。 しかし、金持ちのガマーシュと結婚させたい父親は、二人の仲を許そうとしない。 町人や闘牛士達で活気づく街に突然、風変わりな風貌のドン・キホーテ一行が現れる。 ドン・キホーテはキトリをドルシネア姫だと思い込んでしまう。 第二幕 ~風車へ突撃?!意識を失うドン・キホーテ~ 市場の騒動の合間にバジルとキトリは駆け落ちし、ロマの宿営地にたどりつく。 二人を追いかけてドン・キホーテ達もやってくる。 やがて、ロマたちによる人形劇がはじまるが、ドン・キホーテは人形劇に登場する悪者を敵と勘違い。 風車を巨大な敵だと勘違いして突撃し、意識を失う。 意識を失ったドン・キホーテは夢の中でドルシネア姫に会う。 舞台は居酒屋に戻る。 どうしても結婚を認めないキトリの父に対し、バジルは狂言自殺をし、その演技に騙され父親は結婚を認めてしまう。 第三幕 ~キトリとバジルの結婚式~ キトリとバジルの結婚式が盛大に行われる。 ドン・キホーテはドルシネア姫を探してまた旅に出る。 【試聴】Don Quixote - Act I finale The Royal Ballet.

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