スポニチ 阪神。 スポーツニッポン

阪神・西勇 7回1失点でも悲運黒星 開幕戦に続き報われぬ孤軍奮闘 矢野監督擁護「かわいそう」(スポニチアネックス) ◇セ・リーグ 阪神0−6DeNA(2020年6…|dメニューニュース(NTTドコモ)

スポニチ 阪神

概要 [ ] 創刊当初は「スポーツ紙唯一の」をスローガンに・情報を積極的に提供してきた。 現在では定番となった1面記事見出しのカラー化(赤見出し)や、即売版(駅売店など)の専用紙面である風俗記事の連載、最終面をニュース記事のページにする「」を初めて採用した。 の終わりから総合大衆紙として、社会事件・政治報道などにも力を入れた。 (平成7年)にはによる報道などで、東京本社管内でスポーツ紙としては初めて実売100万部超を達成。 この年から3か月間維持した。 (平成16年)には東京、大阪、西部本社が合併。 全国を一社でカバーする単一法人となった。 東京を存続会社とし、(平成19年)から旧3社の人事・賃金など諸制度統一に向けた新制度がスタート。 合併を機にスケールメリットを追求しすべての取引制度を見直し、(平成17年)度決算は減収ながら史上最高益を記録した。 売上げにおける3本社の比率は東京6、大阪3、西部1の割合となっている。 これに併せ、題字ロゴを全国で統一。 (平成20年)元日からの大阪本社管内を皮切りに、1面題字に商品バーコードが掲載されるようになった。 発行所は東京本社、大阪本社及び西部総局。 札幌では東京本社名義、名古屋と広島では大阪本社名義でそれぞれ発行、一部を地域独自版に差し替え。 九州地区は西部本社を福岡に統合移転後、会社全体の組織見直しで、西部本社としては廃止。 東京本社傘下の管理下による「福岡総局」を復活させる形(格下げ)となった。 新聞の発行は継続している。 さらに名称を「西部総局」に改め、発行元については単に「西部」とだけ記されるようになった。 沖縄ではに委託(実質「地域フランチャイズ契約」)し、「」を発行。 メディア環境の激変により、新聞界全体で紙媒体の部数減が経営を苦しめる中、(平成23年)、親会社毎日新聞社と経営統合することで合意した。 付で両者の株式を移転して設立される共同持株会社の完全子会社となるもので、同日に報告書を提出した。 と異なるのは、が読売新聞グループとは経営で一体化していないのに対し、スポニチの場合親会社と完全に経営を一体化するという点である。 そして(平成23年)、毎日新聞社とスポーツニッポン新聞社の株式移転によって設立された共同持株会社 毎日・スポニチ持株移行株式会社(現在の)の完全子会社となった。 沿革 [ ] (昭和24年) - 大阪において創刊(版)。 初代社長は戦前のオリンピックマラソン代表だったである。 (昭和25年) - 当時有楽町にあった内に東京支社を設置、東京において発刊。 (昭和30年) - 清滝の内に西部支社を設置、九州において発刊。 (昭和32年) - の全会場に取材班を配置、シーズン前の調整をきめ細かく伝える。 (昭和34年) - で東京支社版の現地印刷開始。 (昭和35年) - 東京支社を分社、「 株式会社スポーツニッポン新聞東京本社」設立。 これに伴い時期は不明だが大阪本社の社名を「 株式会社スポーツニッポン新聞大阪本社」に変更。 - スポーツ新聞として初めて1面に赤色の見出しを採用。 (昭和36年) - 西部支社を分社、「 株式会社スポーツニッポン新聞西部本社」設立。 これにより3本社体制を整える。 (昭和40年) に毎日西部会館が完成し、毎日新聞西部本社が移転。 従来毎日西部が使っていた建物を西部本社専用の社屋として使用する。 (昭和41年) - 毎日新聞東京本社が有楽町から同じ内に建てたに移ったことに伴い、東京本社も一緒に移転。 ただし、編集部門のみに移った。 (昭和46年) - 東京本社、を掲載するページに、売店などの即売版専用紙面「スポニチ環状線」の連載を開始(いわゆる)。 他のスポーツ紙も追随。 (昭和58年) - 東京本社、最終面をスポーツニュース記事にしたを開始。 これにより従来最終面にあったテレビ番組表(宅配版)や「スポニチ環状線」(即売版)は中面に移動。 他のスポーツ紙も追随。 (昭和61年) - 東京本社、1面のカラー印刷開始、その後カラーページを拡大。 他のスポーツ紙も追随。 (昭和63年) - 東京本社、2か所に分かれていた拠点をに毎日新聞グループのと共同で建設したSTビルに全面統合移転。 (平成元年) - 西部本社、門司社屋の老朽化に伴い、毎日西部会館に移転。 (平成2年) - 株式会社、韓国 系のスポーツ紙・との提携関係が成立。 1日から琉球新報社が沖縄県向けに「」を発刊。 (平成5年) - 大阪本社、西梅田(前)のに移転。 それまでの北区(旧・)の旧社屋についてはその後スポニチとの等価交換によりマンションとして再整備された。 (平成7年) - 発生。 これを受け後に3本社連携により義援金募集を実施、4,204万円余の義援金が集まった。 - スポーツ紙初の発行部数1日平均100万部を達成(日本ABC協会調べ)。 (平成13年) - にスポーツ紙で初めて加入。 (平成16年) - 東京本社を存続会社として3本社が合併、商号を 株式会社スポーツニッポン新聞社に変更。 - 創刊20000号(発行の特報版を除く)。 (平成20年) - 創刊60年を記念し、年間イメージモデルとして、前年度上半期の『』でヒロインを演じたを起用。 この日付け紙面で特集記事が紹介され、キャンペーンキャッチフレーズ 「そのへんはスポニチが詳しい。 」が採用された。 (平成21年) - 創刊60周年。 イメージキャラクター兼特別編集局長に所属の・を起用、キャンペーンキャッチフレーズ 「ハッとしてホッとするスポニチ」「読むなら、いまだ! 」が採用される。 この日から(平成24年)までとの長期共同コラム「よしもと100年笑いは地球を救う」も連載開始。 - 今田からのつながりで、よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属の漫才師、石田明()を期間限定の特別編集委員に任命。 - 西部本社を毎日西部会館から福岡総局(1丁目の毎日福岡会館)に統合移転。 西部版の発行所が旧福岡総局となる。 ただし販売部は毎日西部会館に残した上で、毎日西部本社と事実上統合。 - 当初から東京本社管轄だった北海道支社を総局に格下げ。 (平成22年) - 大阪本社、大阪・ミナミの鰻谷スクエア (東心斎橋)に読者との交流を図る事実上の第2大阪本社「スポニチプラザ大阪」を開設。 - 組織再編を実施し、本社を東京・大阪の二元体制とする。 西部本社は機能を維持しつつ格下げされ、紙面構成の都合で東京本社管轄となり「福岡総局」復活。 ただし発行機能は維持。 - 福岡総局を「西部総局」に改称。 これと前後して毎日西部本社も一部の機能を福岡本部に移す。 (平成23年) - 毎日新聞社と共同でを行い、共同の 毎日・スポニチ持株移行株式会社(現在の)を設立して、同社の完全子会社となった。 統合比率は毎日1に対しスポニチ1. (平成24年) - 大阪本社発行による(・・)向けの紙面を本社工場による受託印刷を開始。 (平成25年) - 創刊65周年としてイメージキャラクターに女優の(所属)を起用。 (平成28年) -YouTubeに「スポニチチャンネル」を開設。 (平成29年) -スマホ向け競輪サイト「競輪スポニチ」がオープン。 (平成30年) -音声メディアVoicy(ボイシー)にて「スポニチニュース」チャンネルを開設。 (令和元年) -(ガウス)社と共同開発した競馬予想サービス「スポニチAI競馬予想SIVA」をリリース。 (令和2年) -スポーツ新聞としては初の本格的会員制サイト「スポニチスクエア」がオープン。 -阪神タイガース情報アプリ「虎報」がスタート。 -中央競馬の予想をネットで提供する「スポニチ競馬web」が稼働。 -四国と広島・岡山のスポーツニッポンを山陽新聞印刷センターに委託 スポーツニッポングループ [ ] 子会社の一覧である• スポニチプライム• スポニチパートナー 社史・記念誌 [ ] スポーツニッポン新聞社では、以下の6冊を発行している(2016年9月22日時点)。 スポーツニッポン新聞25年史(スポーツニッポン新聞社東京本社社史編纂委員会・編)1975年発行、149ページ。 スポーツニッポン新聞三十年史(スポーツニッポン新聞大阪本社・編)1979年2月1日発行、227ページ。 スポーツニッポン新聞50年史 東京 (スポーツニッポン新聞東京本社・編)1999年発行、451ページ。 スポーツニッポン新聞50年史 大阪 1 通史(スポーツニッポン新聞大阪本社・編)1999年2月発行、231ページ。 スポーツニッポン新聞50年史 大阪 2 年表(スポーツニッポン新聞大阪本社・編)1999年2月発行、245ページ。 スポーツニッポン新聞60年小史(スポーツニッポン新聞東京本社・編)2009年2月1日発行。 発行所とエリア [ ] 株式会社スポーツニッポン新聞社 Sports Nippon Newspapers Co. , Ltd. スポーツニッポン新聞社西部総局が入居する毎日福岡会館(福岡市中央区)。 発行対象地域 [ ] 西部総局は、紙面構成 の関係から、格下げ時に東京本社傘下に置かれた。 ただし歴史的経緯から独自性を残している。 本支社等 所在地 発行エリア 東京本社 東京都江東区越中島2丁目1-30 関東甲信越、東北及び静岡の17都県 北海道総局 札幌市中央区北4条西6丁目1 毎日札幌会館 北海道 西部総局 (旧西部本社) 福岡市中央区天神1丁目16-1 毎日福岡会館 九州7県、山口県及び島根県西部 琉球新報社 (新報スポニチ ) 沖縄県那覇市泉崎1丁目10番地3号 沖縄県 大阪本社 大阪市北区梅田3丁目4-5 毎日新聞ビル 近畿、北陸、四国の13府県並びに 鳥取県、岡山県、広島県並びに島根県東部、三重県伊賀、東紀州地域 名古屋総局 名古屋市中村区名駅4丁目7-1 中京3県(三重県伊賀、東紀州地域除く) 印刷工場 [ ] 全国の毎日新聞社系の工場を中心に印刷されているが、大阪本社の摂津市の工場は、名古屋総局版は本部、新報スポニチ(沖縄版)は発行・販売委託先の琉球新報への委託印刷である。 東京本社• 、、、神奈川県、、、 北海道総局• 西部総局• 、 新報スポニチ• 大阪本社• 、大阪府、大阪府、 名古屋総局• 題字 [ ] 頃(大阪本社管轄地域はの法人統合)までは、明朝体で「ス」という文字を大きく表示したものを使用していた。 モノクロ時代(少なくとも前半まで)はバックに縦ジマのが貼り付けてあった。 また大阪本社版では最終頁は縦1行題字は使わず、欄外の小題字の文字を朱色でアクセントさせている)にしていた。 なお、-の法人統合までの大阪本社版では、その日の紙面構成により1頁目の題字のサイズが異なる形式(横長、横正方形、縦正方形の3種)が採用されていた。 それ以後は1頁右上に「スポニチ」、左上には青地・白抜きで「スポーツニッポン新聞社」とブロック体で書かれていたものを掲載。 からは亀甲型の「S」「N」のロゴを掲載し、その右に「スポーツニッポン」と表示されるようになった。 新報スポニチは基本的に東京本社(旧西部本社を含む)の題字レイアウトに準じたものを使用しているが、「新報スポニチ」の題名は1面のみに登場し、他面の欄外は他本社と同じ「スポーツニッポン」である。 紙面構成 [ ]• 、面を除き、東京本社版と大阪本社版とに分かれる。 西部版は、中央競馬については地域の関係で大阪本社版を、一般のスポーツ記事・芸能記事などは東京本社版をそれぞれ使用する。 中央競馬面の馬柱は東京本社版は縦組み、大阪本社版はスポーツ新聞では唯一横組みとなっている。 『新報スポニチ』は、テレビ番組欄、公営競技面など他の都道府県で掲載される紙面内容の一部が省略されており、ページ数も少ない。 テレビ番組欄もほぼ幅広く1ページを使って広範囲の情報を掲載している。 東京本社版ではアダルト面はスタンド売り用紙面で、宅配用はテレビ欄になる。 大阪本社、西部版と北海道総局版はテレビ欄とアダルト面がそれぞれある。 テレビ面の収録局 [ ] 東京本社版 [ ] (首都圏版) <右ページ> フルサイズ• ハーフサイズ• NHK Eテレ デジタルサブチャンネル・ <左ページ> ハーフサイズ• プライム• 、、、(通常ハーフより若干狭い) クォーターサイズ (右端)• J SPORTS 2• J SPORTS 3• J SPORTS 4• 、、、(いずれも、東神埼千の各独立局の下) (下段)• (東京)• (宮城・福島版) フルサイズ• NHK総合• NHK Eテレ• ハーフサイズ• NHK BS1• NHK BSプレミアム• WOWOW プライム• 、(通常ハーフより若干狭い) クォーターサイズ• WOWOW ライブ• WOWOW シネマ• 日本テレビ• テレビ朝日• TBSテレビ• テレビ東京• フジテレビ• BS日テレ• BS朝日• BS-TBS• BSテレ東• BSフジ• 日テレプラス• BSスカパー! J SPORTS 1• J SPORTS 2• J SPORTS 3• J SPORTS 4• BS11• BS12 トゥエルビ• (新潟・山形版) フルサイズ• NHK総合• NHK Eテレ• ハーフサイズ• WOWOW プライム• NHK BS1• NHK BSプレミアム ハーフサイズ(通常ハーフより若干狭い)• NHK-FM• クォーターサイズ• BS日テレ• BS朝日• BS-TBS• BSテレ東• BSフジ• WOWOW ライブ• WOWOW シネマ• 日テレプラス• BSスカパー! J SPORTS 1• J SPORTS 2• J SPORTS 3• J SPORTS 4• BS11• BS12 トゥエルビ• (北東北版) フルサイズ• NHK総合• ハーフサイズ• NHK BS1• NHK BSプレミアム• WOWOW プライム• NHK Eテレ ハーフサイズ(通常ハーフより若干狭い)• NHK-FM• クォーターサイズ• BS日テレ• BS朝日• BS-TBS• BSテレ東• BSフジ• WOWOW ライブ• WOWOW シネマ• デジタルEテレDE (静岡版) フルサイズ• NHK総合()• NHK Eテレ• ハーフサイズ• NHK BS1• NHK BSプレミアム• WOWOW プライム• NHK-FM(静岡)• クォーターサイズ• 日本テレビ• テレビ朝日• TBSテレビ• テレビ東京• フジテレビ• BS日テレ• BS朝日• BS-TBS• BSテレ東• BSフジ• WOWOW ライブ• WOWOW シネマ• BS11• BS12 トゥエルビ• BSスカパー! J SPORTS 1• J SPORTS 2• J SPORTS 3• J SPORTS 4• 釣りビジョン• ゴルフネットワーク• 日テレプラス 大阪本社版 [ ] (近畿地方版) フルサイズ• NHK総合()• ハーフサイズ• 、(テレビ大阪の横)• NHK BS1• NHK BSプレミアム• WOWOW プライム• クォーターサイズ (右端)• (下段)• WOWOW ライブ• WOWOW シネマ• BS日テレ• BS朝日• BS-TBS• BSテレ東• BSフジ• NHKラジオ第1(大阪)• BS11• BS12 トゥエルビ• J SPORTS 1• J SPORTS 2• J SPORTS 3• J SPORTS 4• 近畿版のテレビ欄の局名表記カットにはその局のマスコットキャラクターが表記されている。 (東海版) フルサイズ• NHK総合()• ハーフサイズ• NHK Eテレ• NHKラジオ第1(名古屋)• NHK-FM 西部総局版 [ ] この節のが望まれています。 NHK総合• NHK Eテレ• NHKラジオ第1• NHKラジオ第2• NHK-FM• ラジオNIKKEI 東日本大震災関連 [ ]• で甚大な被害を受けた野球部の姿を通して、被災地の今を伝える連載企画『復興へのプレーボール~・高田高校野球部の1年』を2011年5月11日から連載を開始した。 2012年3月までは毎月1回、3日連続で裏1面にて連載された。 定期連載終了後も年数回、不定期にて掲載を続けている。 当該連載は定期連載時(2011年5月~2012年3月)には大阪本社版にも掲載されたが、東京本社版とは違い中面での掲載となっていたほか、関連記事の一部は割愛されていた。 また、東日本大震災を決して忘れてはいけないという意味を込めて、2012年~2016年の毎年3月11日と12日の東京本社版と西部版の1面左端に震災復興をこれからも伝え続ける旨の内容が縦書きで記載されていた。 毎日新聞社との関係について [ ] スポーツニッポンは、毎日新聞の僚紙的位置付けとして創刊した。 毎日グループ企業として位置付けられるのはこのためであり、現在東京本社以外の拠点は全て毎日新聞の地域本社・支社・本部等に置かれている。 戦後の混乱期、用紙難からGHQは既存新聞社の増紙を認めない一方、新興新聞社には出来る限り用紙を割り当てる政策を採った。 既存新聞社はこの政策を逆手に取り、ダミー子会社を設立して新興紙を多く創刊した。 毎日新聞系としては「」「」(東京)、「」(名古屋)、「」「」(大阪)、「」(門司)といった新聞があった。 一方で、毎日新聞大阪本社の有志がこの動きとは別にスポーツ振興を旗印としてスポーツ新聞の創刊を企画した。 これがスポニチである。 スポニチは毎日新聞社の後援はあったものの、上記毎日新聞のダミー子会社ではなく比較的独自の発展を遂げた。 ダミー子会社の発行する新聞は、その後用紙規制緩和に伴う毎日本紙の増紙と夕刊発行復活で存在意義が無くなり、「東海毎日新聞」は廃刊(毎日の名古屋再進出に伴う事実上の本紙吸収)。 「サン写真新聞」も休刊し「新大阪」は毎日から独立、残る3紙も結局スポニチに吸収される形になった。 「東京日日新聞」は戦前存在した同名紙の復刊といった触れ込みだったが、毎日本紙夕刊と競合したため朝刊に転身したものの休刊。 印刷工場(のちの)にはスポニチ東京本社編集局が設けられた。 「新九州」((昭和21年)創刊、(昭和25年)朝刊紙に転向)も、スポニチ西部本社の発足と入れ替わるように休刊した。 スポニチ夕刊 早版 [ ] 「新関西」は(昭和21年)創刊の「」が(昭和24年)10月に毎日グループ入りした後に改題した物で、毎日本紙の夕刊発行とスポニチの伸長後はスポニチ大阪本社との経営統合で 「スポニチ夕刊・新関西」と改題した。 「スポニチ夕刊・新関西」は後半まで存続したが、経営難から付け(夕方発行 )をもって休刊した。 その後もスポニチ大阪本社は 「スポニチ前夜速報版」や 「スポニチ早刷り号」の名義で地方都市向けの早版である第6版をそのまま夕刊として発行していたが、輸送コストが高くかかることや近年のライフスタイルの変化などから(平成21年)付(発行)で発行を休止した。 、、とその周辺地域の駅売店を対象に、翌日付け第6版を、前日夕方に夕刊として発売している。 レース面では、その日のレース結果付きで翌日ののレース予想 を掲載、「特捜班」の穴予想が人気を集めていた。 これにより、翌日に行われるレースを前夜に予想出来た。 早版を夕刊として発売していた関係で、は掲載日付のものだけを載せていた。 関西地方ではスポニチ以外のスポーツ新聞も早版を夕刊として発行していたが、に全て廃止している。 では、系のが(平成21年)11月30日付までは駅売店・向けに「夕刊デイリースポーツ」名義で夕刊を発行していた。 主な評論家 [ ] 野球 [ ] 東京本社 [ ]• 1982-• 1985-1989, 1993-2001, 2004-2010, 2013-• 1990-• 1990-1992, 1995-2011, 2016-• 1994-2004, 2007- 大阪本社管轄の名古屋版にも登場している。 2002- 1989-1994は日刊スポーツの専属評論家だった。 2002-• 2012-2013, 2020- 以下の評論家はのOBであるため、大阪本社管轄の広島版にも登場することがある。 2000-2009, 2013-• 2006-2009, 2015-• 西部総局 [ ]• 2003-• 2015-2016、2019-• 2017- 大阪本社 [ ]• 1986-1992, 1997-• 2004-2006, 2009-• 2004-• 2007-2009,2013-2015,2019-• 2010-• 2016- 競馬 [ ] スポーツニッポン賞として協賛している。 大阪本社 [ ]• 2011- その他 [ ]• 江東区越中島にある東京本社社屋は、同じ毎日系の新聞印刷会社「」との共同所有。 同ビルには東日印刷に印刷を委託している新聞社も本社を置いている。 他のスポーツ紙と比較して紙が良質である。 では全国規模で地域密着の表看板を打ち出している。 そのため紙を挙げて特定球団を応援するような方針は取らず、比較的東京本社はと、大阪本社は、広島版は、西部版は中心の記事が載る傾向が強い。 1989年から選手や監督・コーチのオフレコでの発言を取り上げた「隠しマイク」を連載中。 2009年からは年間でもっとも面白い発言をした者に「隠しマイク大賞」としてトロフィーを贈呈している。 なお、毎日新聞社が毎日オリオンズ(現在の)を保有していた頃は、オリオンズ色が強かった。 このため、とりわけ大阪地区では販売に苦戦を強いられていたという。 のスコア表記における韓国・朝鮮系選手の氏名表記が来日選手と在日選手とで異なっている。 来日選手はフルネームが均等割り付けで、途中交代時および縮小版(J2リーグ戦やグループリーグで使用)ではフルネーム表記なのに対し、在日選手はフルネームが姓と名で分けられていて、途中交代時および縮小版では姓のみ表記。 ちなみににおける在日選手の表記法は、Jリーグにおける来日選手と同じ(それ以外の選手はカタカナ表記)。 および隣接する一部都県に於いては、の記事を1面で大きく扱う場合がある。 においては、大阪本社管内ではあるが広島のスポーツニュース(・・高校野球など)を1面で大きく扱う場合がある。 広島版はにある毎日新聞中四国センターで印刷されている。 (・・)も大阪版の管轄だが、こちらはに関する情報が少ない。 テレビ欄のみを「東海版」と定め、テレビ欄の欄外に名古屋総局の住所・電話番号を表記している。 なお、三重県の・地方は近畿版()の販売エリアである。 以前は大阪版発行対象地域全域で1面の題字の発行所クレジットに小さく名古屋総局の住所を掲載していた。 欄外の題字の字体は、東京・大阪・西部各版とも左右寄り(1頁を除く奇数面は左寄り、偶数面は右寄り)に「 スポーツニッポン」として表記されている。 同年付から大阪本社版も新聞制作システムの更新に伴い東京・西部版に準拠した欄外題字に変更された。 なお中央競馬・公営競技頁は左右端(左ページは右端、右ページは左端)に白抜きで「 SPONICHI RACE」の文字が入っている。 1頁の題字(左上)も一時期「 スポーツニッポン新聞社」と表記されていたが、(平成23年)の紙面から「 スポーツニッポン」に戻されている。 (平成23年)3月1日付から、「 スポーツニッポン」の題字左端に新シンボル(亀甲に白抜きで「 S N」)のマークが新たに加えられた。 の、と関係があるように誤解されやすいが、それらとの資本・人材関係は一切持っていない。 カナダのサイトにて紙面を閲覧することができる(有料)。 ただし、一部のは掲載されない。 大阪のでは、特別番組やプロ野球中継でスポーツニッポン新聞社がに付くことが多い。 提供スポンサー読みは「 スポーツ紙のトップランナー・スポーツニッポン」と呼んでいる。 ちなみに同局では、のがのアナウンサー時代に収録したCMを、退社後も長きにわたって放送していた。 2012年5月18日、38歳の女性記者が無免許運転で人身事故を起こし、自動車運転過失傷害と道交法違反(無免許運転)の現行犯で4月に逮捕されていた事が判明する。 2008年3月までの「」で活動していた渡辺剛太が、2009年4月に東京本社へ入社した。 東京本社編集センター、福島支局への勤務を経て、2014年10月からスポーツ部の記者としてプロ野球を担当している。 プロ野球の春季キャンプを初めて取材した2015年2月には、スポニチアネックスで「キャンプ 上から下から」という記事を連載。 「元・回文芸人記者」という肩書で日本プロ野球全12球団の一軍キャンプ地を訪れるとともに、「レム色」時代のでもあったとでキャンプの模様を報告していた。 が阪神タイガースの一軍監督を務めていた2016年以降の大阪本社発行版では、阪神関連の記事で1面を構成する場合に、現役の一軍監督が毛筆やサインペンで書いたチームスローガンを記事の題字に用いている。 物議となった報道 [ ]• (平成6年)の(TM NETWORK)のデビュー10周年であったこの日限りでのプロジェクト終了を、朝刊での紙面発表5日前にいち早くスクープした。 (平成8年)から(平成9年)にかけ、が発行している『』に掲載されている調教コメントの大部分をスポニチ東京本社版の競馬面で剽窃していた。 いつも記事が似通っていることに疑念を抱いていたサンスポ側はスポニチ側に調査を申し入れ、その結果サンスポ側が各に確認したところスポニチ側からは取材を受けていないことが発覚した。 さらにスポニチ側も記事の剽窃を認めサンスポ側に全面謝罪しスポニチの紙面で謝罪文を掲載、謝罪文はサンスポでも取り上げられた。 これにより、一部の役員が剽窃の責任を取って辞職したほか、当時系で放送されていた報道情報番組「」でのスポニチの紙面を紹介するコーナーもとなり、番組に出演していた当時同紙記者のも降板した。 監督だったの監督最終年(平成13年)、野村監督に対する批判記事の度が過ぎていると批判された。 大阪本社による野村批判は、年を追う毎に他紙と比較しても異常な出稿量となり、読者投稿欄や阪神の公式サイト掲示板の野村批判まで利用。 当時かなり少数派だった野村批判の書き込みを「殺到」と表現するなど、過剰なまでの世論誘導を行ったことから、当時阪神球団社長のが「事実に反する内容で遺憾である」と、同年7月、阪神球団よりスポニチへ取材禁止処置がとられる程に発展した。 同年シーズンオフ、野村監督が辞任したため沈静化。 野村の後任で阪神の監督に就任したは、打撃チーフコーチにを招聘した理由の一つに「タイガースが長年頭を痛めていたスポニチとの対立も、スポニチの専属評論家だった田淵の出現で雪解けのタイミングを迎えられる。 マスコミとの無用な摩擦の解消。 そういう希望も叶った」と著書の中で記している。 野村に対するスポニチの批判記事は、の時代、(監督辞任後はスポニチ専属評論家)との確執に端を発する問題で、南海監督時代の(昭和52年)、の自宅マンションに泥棒が入ったことで当時愛人関係にあったとの同棲が発覚し大スクープとなった。 さらに同年9月、南海球団が野村監督の解任を決定したことをいち早くすっぱ抜いたという経緯もあった。 (平成17年)、朝刊一面で「、の実兄と結婚」と報じた。 スポニチに追従して等他のマスコミも一斉にこの話題を取り上げた。 しかし、報道直後に進藤の所属事務所から「進藤は松嶋の実兄に会った事もない」と否定文書が出され誤報であることが確定。 スポニチはサイト上の記事を即座に削除し、後日訂正記事を掲載した。 この話題に乗っかった他のマスコミも、大慌てで記事の差し替えを余儀なくされた。 誤報のきっかけは「松嶋の実兄が 進藤に似た女性と歩いていた所を目撃されたから」という説が有力だが真相は不明である。 なお進藤は翌年にのと結婚。 ちなみに、松嶋の実兄と結婚したのはフリーアナウンサーの孫明日香だった(のちにと改名)。 (平成22年)、の前による高地トレーニングについて、マラソントレーナーのが「高地トレーニングの効果ゼロ」「これなら低地で全力で追い込んだ方が良かったのにね」と話したと報じた。 しかし一週間後には、小出は関係者から「自身が日本代表の高地トレーニングを否定している」と虚偽の報道をされていることを聞き、小出が自身のホームページで「今回の日本代表の練習日程は丁度いいと思いますよ」と真っ向から反論、記事により当時日本代表監督のが気を悪くしていないか心配した。 (平成23年)の紙面のスポニチAnnexにてのサッカーチームであるがサッカー日本代表のの獲得に乗り出し、クラブ間交渉が詰めの段階まで来ているとユベントス幹部が明らかにしたと報道した。 イタリア国内では一切報道は無かったため、イタリア各紙はユベントスが本田を獲得するとスポーツニッポンを情報源として発表するとした 、スポーツニッポンは同紙を情報源としているイタリア各紙の報道について、イタリア各紙がユベントスが本田獲得と報道していると発表。 それに対し、本田 及び代理人や 、本田の所属するのババエフ と移籍先であると報道されたユベントスの ジュゼッペ・マロッタゼネラルマネージャーも揃って移籍を否定した。 さらにスポニチは、「ユベントス幹部が戦力として評価していることを明言した」 としていたがマロッタゼネラルマネージャーは「構想には入っていない。 本田には興味がない」と明確に否定される事態となった。 このように関係者全てに否定されたにも関わらず、約1週間後に今夏の補強の目玉や獲得を目指すユベントスなどと続報をした。 (平成24年)の紙面で、1週間前からイタリア紙などで報道されていた本田のの移籍交渉についてスポニチは、ソースを明かさず、条件面とクラブ間で合意したと報道した 、本田のユベントス移籍交渉の報道時と同じく、海外ではそのような報道が無かったため、スポニチをソースに海外紙が本田移籍と報道 したが、ラツィオ技術部長のターレは29日のスカイ・スポーツのテレビインタビューにて「合意したという情報も流れているようだが、そのニュースに驚いている。 交渉は続いているが、合意はしていない」と完全に否定し 、同時にCSKA側は本田のラツィオ入団が内定されたかのような報道に不快感を露わにした。 しかし翌30日に本田がイタリア入りし会長と会食しクラブの将来を話し合ったと報道するも 、本田が交渉中にイタリア入りした事実はなかったことが判明 、イタリア入りも会食も完全なスポニチの先走り報道であった。 結局、本田の移籍交渉は破談となったが、破談後のスポニチの記事は「「合意」と伝える一部報道もあったが、関係者によると一貫して両者の開きは大きなままだったという」 というものだった。 (平成24年)、のにて、2月22日の戦に向けてのが秘密兵器として招集される可能性が出てきたと報道があった。 だが、久保はアジア最終予選の予備登録に入っていないため、招集・メンバー登録し試合に出すことは不可能で、確認ミス報道であった。 2012年3月10日、CSKAモスクワの本田が前半途中交代したことに対して監督と怒った様子で口論する場面があり、指揮官との意見の相違などで交代を命じられた可能性もあると報道した。 だが、実際には3月9日に現地の報道でスルツキー監督が戦での怪我の調子がよくないため交代させたと話しており 、事実確認ミスであった。 (平成31年) - ジャニーズ事務所所属のアイドルグループが2020年12月末を以って無期限活動休止する旨を発表する記者会見で、文化社会部の桑原淳記者が「(嵐は)無責任じゃないかという指摘もある」などと質問し、ファンやTV評論家などから批判される一方、エコノミストのが内で「僕はあの質問は必要だったという風に思っています。 マスコミの人間だったら、あれは誰かが聞かなきゃいけない」等と擁護する発言を行っている。 この質問について嵐のメンバーであるが、曜日キャスターとして出演しているにて「自分の中で温度が少し上がったというのはあります。 あのご質問をいただいたおかげで、結果としてきちんとわれわれの思いの丈が温度を乗せて伝えることができた」等と発言した。 (令和2年) - 同月18日にスポニチアネックス及びYahoo! ニュース等のポータルサイトに、タレントのに関する記事を掲載した際、誤記があったとしておわび記事を掲載した。 掲載記事は加藤が更新したの内容を記事化したものだが、「恋人」とすべきところを、誤って「元夫」として配信してしまった。 スポニチジュニア [ ] 大阪本社では、(平成22年)から「子供でも読めるスポーツ紙」をに『 スポニチジュニア』を創刊した。 紙面の内容は、や、、などのスポーツをにも理解するためのもので、不定期で発行している。 扱いになっており、本物のスポーツニッポンと同じ内容の見出しで、ブランケット判8ページで発行し、とのに設置されている。 ・以外の読者には、1部につき返信用の140円切手をスポニチの大阪本社もしくは東京本社に送れば、購読が可能である。 脚注 [ ] []• の完全子会社• 会社が統合される前にも旧題字を全国統一で使用していたが、(平成14年)頃から大阪本社以外のエリアで現在使用している新題字を使うようになった。 毎日新聞の友好紙。 、スポニチアネックス。 (2004年11月保存)(のキャッシュ)• 組織再編後もこれは変わらず。 このビル名にちなみ、同所でのイベント開催の模様が「スポニチPlaza鰻谷通信」として時折掲載されている。 旧・大阪本社が発行したものについては、1999年3月に改訂版が発行されている• 西部版の1面と裏1面の内容が基本的に東京本社版と同一であるため(一部例外あり)。 一方、大阪本社版は1面に関連の記事を載せることが多く、紙面構成上での独自性が強い。 発行元表記は単に「西部」。 旧西部本社は(平成21年)まで、毎日西部会館(北九州市小倉北区紺屋町13-1)にあった。 その後組織上は福岡総局を吸収しつつ場所をここに移転。 だが本社としては約1年と短命であった。 発行・販売委託• (平成15年)から(平成19年)まで毎日新聞中部本社等再開発工事により、同じ中村区名駅の三井ビル北館に暫定移転していた。 NHK総合 - 、NHK Eテレ - 、MBS - 、ABC - 、KTV - 、ytv - 、TVO - 、SUN -• - 復興へのプレーボール~陸前高田市・高田高校野球部の1年(2016年3月10日)• 外部リンク写真の1頁の記事が、広島が近鉄に勝利した試合の記事が掲載されていることでわかる)(右は1991年に廃刊したの最終号。 新関西との関係はない)• 主要全国発売レースと近畿圏の全てのレースに対応• [ ]によると、平成15年に違反点数の累積で免許を取り消されており、9年以上無免許のまま車を運転していたとのこと。 (スポニチアネックス2015年2月2日付記事)• 『新版競馬歴史新聞』 p236 「スポニチがエイトの記事を無断転用」(競馬歴史新聞編集委員会編、、2004年、)• 星野仙一著、夢 命を懸けたV達成への647日、2003年、、P175-P176• 2011年6月29日• 2011年6月29日• 2011年6月29日• サンスポ. com 2011年7月1日• スポーツ報知 2019年1月28日配信・1月29日閲覧• SANSPO. COM 2018年1月28日配信・1月29日閲覧• スポニチアネックス 2020年2月21日配信・閲覧 関連項目 [ ]• - かつてのスポニチテレビニュース社で、スポーツニッポン新聞社の子会社であった。 (、などを主催)• ((昭和52年)から(平成22年)まで主催していた)• (スポニチ客員。 (昭和54年)から(平成18年)までの開催期間中、エッセイ「甲子園の詩」を連載した。 (スポニチ記者を歴任した・)• (漫画『いも虫ランド』を連載中)• (2008年、創刊60周年のイメージキャラクターを務めた)• (2009年度のイメージキャラクター。 「スポニチ特別編集局長」の肩書でスポニチ紙上にコラムを執筆。 (野球面に週1回コラム『熱中先生』を連載。 2011年1月20日付紙面で連載700回を迎えた。 (制作・)-に東京本社文化社会部の川田一美津編集委員、小池聡デスク、阿部公輔デスクが交代でレギュラー出演。 ()- の芸能コーナーに東京本社の宮嶋極文化社会部長がコメンテーターとしてレギュラー出演。 ()- 午前から午後にかけて放送されている生情報番組。 本紙がスポーツ・芸能関係の取材で独自に得た情報を提供するほか、本紙大阪本社編集局の管理職が代々レギュラーで出演している。 - ミス日本コンテストを初めとする各種プロモーション活動をと共に主催、スポニチウェブサイト内に同コンテストの公式サイトを開設するほか、紙面でもそのプロモーションの模様が掲載されている。 - 東京本社記者の渡辺剛太がかつて活動していたお笑いコンビで、渡辺は2008年3月の解散を機に入社した。 - 『』()にてスポーツニッポンを舞台にした漫画作品『』を連載中。 - 2019年1・2月合併号からスポーツニッポン新聞社が発行している。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 ウィキニュースに関連記事があります。 【2015年12月9日】 1加盟局が運営・出資する(CSチャンネル) 2旧TBSは2009年に現TBSに放送免許を譲渡。 3旧CBCは2014年に現CBCに放送免許を譲渡。 4OTV大阪テレビ放送は後にABCに吸収。 OTV閉局当時はJNNが未発足であったが便宜的に記述。 5旧RKBは2016年に現RKBに放送免許を譲渡。 6旧MBSは2017年に現MBSに放送免許を譲渡。 7旧RSKは2019年に現RSKに放送免許を譲渡。 8母体新聞社及び加盟局と友好関係のある新聞社。 9JNN系列局はないが、友好関係がある新聞社(過去に系列局を置く計画があったが、断念した)。 10などが加盟するラジオネットワーク。 11旧称・TBSカンガルー災害募金。

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スポニチアネックス・阪神・野球のニュース速報などについて

スポニチ 阪神

阪神歴代監督を振り返る連載をしていると多くの候補がいたことをあらためて知る。 阪神の監督になれなかった(ならなかった)人びとである。 連載中盤の番外編として取り上げてみたい。 今もファンの間で待望論が根強い掛布雅之だが、取材の限り、阪神が本格的に監督候補として論議した形跡はない。 現役晩年の1987(昭和62)年開幕前、飲酒運転で逮捕され、当時オーナーの久万俊二郎(電鉄本社社長)は「大ばか野郎」「うちの4番は欠陥商品」と言い放った。 望むスター像を京言葉の「はんなり」(上品で落ち着いた華やかさ)としていた久万のお眼鏡にかなわなかったようだ。 久万逝去(2011年9月)後の13年10月、ゼネラルマネジャー(GM)・中村勝広の仲介で、GM付育成&打撃コーディネーター(DC)として、引退以来25年ぶりに阪神に復帰した。 2軍監督、オーナー付シニア・エグゼクティブ・アドバイザー(SEA)、現在は電鉄本社の阪神レジェンドテラー(HLT)として関係を保っている。 本人は変わらず阪神への愛情を抱く。 年月は過ぎ、9日で65歳になる。 同じく「ミスター・タイガース」と呼ばれた田淵幸一は「深夜のトレード通告」(78年11月14~15日)の際、球団社長・小津正次郎から「将来阪神の監督として戻るため勉強してほしい」と告げている。 実際の復帰は僚友、星野仙一が監督に就いた2001年12月のチーフ打撃コーチで、24年ぶりだった。 優勝を果たした後の03年10月3日、広島遠征で星野とともに山本浩二宅へ夕食に向かうタクシーで星野から「わしは今年で辞めるよ」と聞かされた。 著書『タテジマ』(世界文化社)にある。 さらに「わしの次をやる気ないか?」と後継監督の意志を問われた。 「その気があったら推薦する。 最善の努力をする」 田淵に「その気」はなかった。 「監督と一蓮托生できた。 オレもユニホームを脱ぐよ」日本シリーズ開幕前日の10月16日、星野、田淵そろっての退任が伝わった。 後任には岡田彰布が就いた。 一枝修平は1989年9月、監督・村山実の後任に水面下で内定していた。 動きを察した村山が17日、球団に辞意を伝えた。 同夜、一枝が「えっ!?」と絶句した顔を忘れない。 「僕が手を下したわけではないが追い詰めたのは事実」と眠れぬ夜が続いた。 20日朝、一枝は「監督になる気はない」と就任拒否の会見を開いた。 背後で動く球団外の黒幕の存在を明かし「第三者の言いなりになるような球団ではやっていけない。 何と愚かなことか」と失望と怒りをにじませた。 96年秋も藤田平の後任として安藤統男とともに再び候補にあがった。 紛糾の末、吉田義男3度目の監督復帰で落着した。 自身の名が大見出しとなった本紙を一枝は「冥土の土産ができた」、今はなき夫人も「これでいいのよ」と笑っていた。 その96年秋、球団は当初、スパーキー・アンダーソンを監督候補に水面下で交渉していた。 大リーグ、ア・ナ両リーグでワールドシリーズを制した名将だ。 球団社長・三好一彦、同常務・野崎勝義らは『スパーキー! 敗者からの教訓』の共著者、ダン・イーウォルドを仲介し、年俸130万ドル、ヘッドコーチに和田博実……と交渉を進めた。 だが、夫人の反対で破談。 球団役員会は紛糾し「三好社長に一任」で吉田復帰となった。 吉田は前回2度目の監督復帰となった84年秋も混乱の後の就任だった。 続投が発表されていた安藤が突然辞任したのは背後で西本幸雄への監督要請を知ったからだ。 この時も黒幕が介在していた。 水面下の話をやがて公表した球団社長・小津は日本シリーズ中、宝塚の西本邸を訪問した。 西本は「すでに断った話に記者を大勢連れてやって来た。 (小津が)しばらく、ここにいさせてほしいと言うので応接室にいただけだ」と話し、もはやセレモニーだった。 すでに連載本編で書いた鶴岡一人への監督要請(68、69年)とそっくりの茶番劇だった。 史上初の最下位となる78年も激動だった。 球団は8月末から後藤次男の後任を探していた。 当時資料部長の奥井成一は『わが40年の告白』(週刊ベースボール)で「再建委員会」の設置を明かしている。 球団社長・長田睦夫、常務・岡崎義人、営業部長・大津淳、統括本部長・河崎雄介、チーフスカウト・小林治彦、そして奥井の5人が26日から9月8日まで、大阪・福島にあった佐藤旅館で8度の極秘会談を開いた。 後任監督を田宮謙次郎とした報告書をオーナー代行(本社副社長)の田中隆造に提出した。 後に球団社長に就く本社専務・小津正次郎が9月20日、田宮と会い、監督就任を要請。 29日に受諾した。 スポニチ本紙はそれぞれ翌日に「田宮」を1面で報じた。 ところが後に小津から「白紙に戻してほしい」と連絡があった。 奥井は<オーナー代行の変心しか考えられない。 人権無視も甚だしい>と書いた。 本紙スクープは幻と消えた。 白紙となった新監督には同年、日本一監督となった広岡達朗が辞任するとの情報を耳にし、招へいに動いたが、留任で失敗。 ドン・ブレイザー就任となった。 広岡には81年にも小津が要請したが、5年契約の要求に応えられず再び失敗した。 野村克也が解任となる2001年12月、球団はオリックス監督を退いた仰木彬に監督就任を打診していた。 最終的には同じく中日監督を退いた星野仙一で決着した。 2011年、真弓明信の後任候補に当初名前があがったのは梨田昌孝だった。 近鉄時代、仰木はコーチで、梨田は選手で監督・西本幸雄の薫陶を受けていた。 20年間オーナー職にあった久万が助言を受けていたのが西本で「西本さんの教え子なら間違いない」と語っていた。 つい最近のことのように思い出すが、久万も西本も野村も仰木も星野も……皆すでに鬼籍に入った。 =敬称略=(編集委員).

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阪神・西勇 7回1失点でも悲運黒星 開幕戦に続き報われぬ孤軍奮闘 矢野監督擁護「かわいそう」(スポニチアネックス) ◇セ・リーグ 阪神0−6DeNA(2020年6…|dメニューニュース(NTTドコモ)

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