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岩手県交通

岩手県 高速バス

路線名/ 岩手県交通/国際興業バス 購入可能日/ 1ヶ月前から購入可 ・コンビニ決済は出発日前日 始発バス停基準 20:59までとなります。 ・運行は岩手県交通の単独運行になります。 ・2020年4月1日より取消料が変更となります。 ・乗車日2ヶ月前からご予約いただけます。 ・コンビニ決済は出発日前日 始発バス停基準 20:59までとなります。 ・片道ずつ予約をお願いします。 (往復料金の設定がありません。 ) ・2020年4月1日より取消料が変更となります。 ・片道ずつ予約をお願いします。 (往復料金の設定がありません。 ) ・コンビニ決済は出発日前日 始発バス停基準 20:59までとなります。 ・繁忙期 S期間、A期間 ・閑散期 D期間 は学生割引の販売はありません。 ・取消料が変動する路線です。 池袋駅はのりばとおりばが離れていますので、お乗り間違いにならないようご注意ください。 【人気の出発オススメエリアから高速バスを探す】• 【人気の目的地から高速バスを探す】• 【東京都出発の高速バス会社一覧から探す】•

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岩手県 高速バス

概要 [ ] 前身は戦時統合により発足した岩手中央バス(中央バス)・花巻バス・岩手県南バス(県南バス)の3社である。 1960年代以降のモータリゼーションの波を受けて利用者減少により経営が悪化、3社中2社がの適用を申請しており、賃金遅配によるが頻発した。 1976年の合併後も合理化は進まなかったが、1986年に国際興業の傘下に入ってからは業績も上向きとなり、路線展開もうまく作用して単年度黒字を計上するまでになった。 近年では盛岡市近郊の輸送改善にも積極的である。 通称は「 県交通」(けんこうつう)。 「 岩交」(いわこう)を用いていた時期もあるが現在ではあまり使われない。 保有車両数は2018年5月現在、計559両(乗合車両530、貸切大型27、貸切中型2)。 沿革 [ ] 本節では、単に「県」と表記した場合はをさすものとする。 創業期から戦時統合まで [ ] 岩手県に初めてバスが走ったのは、に盛岡と宮古を結んだ盛宮自動車である。 現在岩手県交通の路線が運行されているものとしては、に盛岡市内の路線で営業を開始した盛岡自動車とされている。 この後、小規模な事業者が次々と設立され、には盛岡のバス事業者だけで22社に上っている。 に入るとガソリン規制が行なわれたため、これらの中小事業者の経営を圧迫した。 さらにには陸上交通統制の通牒が出され、岩手県は大きく4ブロックに分けられることになった。 太平洋沿岸北部が岩手県北自動車(県北バス)、太平洋沿岸南部は岩手東部乗合自動車、江刺以南の県南部は岩手県南自動車、県中心部の盛岡近辺は岩手中央自動車に統合されることになった。 なお、は社名のとおり鉄道事業を行なっていたため、バス事業の統合からは除外されている。 戦後の成長期 [ ] 県南バスはに大船渡に拠点を設置したのを皮切りにエリアを拡大し、には貸切バス事業免許(貸切免許)を取得した。 一方、岩手東部乗合自動車はのによってが長期にわたって不通になった際に代行バス輸送を担当、まで続いた。 1951年に岩手東部乗合自動車は東部バスに社名変更したが、この頃になると県南バスとのエリア重複による不合理が目立ってきたため、に東部バスは県南バスの傘下に入ることになり、には正式に合併した。 岩手中央自動車は戦後間もない1948年に花巻地区を花巻バスとして分離した。 その後順次営業エリアを拡大するが、急激に車両数を増加させたことで運行コストの増大を招き、1960年以降は赤字決算となっている。 分離した花巻バスは1958年までに30路線を開設するなど、やはり営業エリアを順次拡大していった。 1950年代は長距離バス路線展開が各社とも目立った。 県南バスが1951年10月に一関と気仙沼を開設する路線を開設したのを皮切りに、には中央バスと東部バスが相互乗り入れの形で盛岡と釜石を結ぶ路線を開設した。 に運行開始された盛岡と大船渡を結ぶ路線では中央バス・東部バス・県南バスの3社競願となり、最終的に県南バスが運行を行なうことになった。 しかしながら、この時期はまだ道路事情はさほどよくないため、と並行する路線では鉄道の電化・複線化には対抗力を持たせることが出来ず、運行休止や区間短縮を余儀なくされた。 ただし、その他の路線では鉄道側の輸送改善があまり進まなかったため、他の地域と比較すれば残存路線は多い方であった。 利用者減少と労使紛争による疲弊 [ ] 1960年代に入ると、化との進行により、バス利用者数は減少傾向となっていった。 事業者側ではこれに対応して合理化と人員削減による対策を進めようとしたが、これは従業員側の反発を招いた。 さらに賃金遅配という事態になったことから、労使関係は悪化してゆくことになる。 、中央バスでは盛岡市内路線で県内初となるを開始した。 これに反発した労働組合が、4月のに続いて5月にもストライキを実行。 7月には夏の賞与をめぐって無期限ストライキに突入し、収束するまでに50日を要した。 盛岡市の商店街ではストライキの中止を申し入れたが解決できず、「バススト対策協議会」として200台の自家用車を使用して全商店街を無料で巡回するサービスを開始した。 地元の中央バスに対する不信感は強まり、飲食店の一部は店頭に「中央バス社員お断り」と張り紙を出すほどであった。 発車直前に「ポカ休」と呼ばれる無断欠勤、それに伴う間引き運行も日常化していた。 早池峰登山バスの最終便を運休させたことで、登山客が下山できなくなってしまうケースもあった。 翌には県南バスが一関地区の路線でワンマン化を開始したが、労働組合ではなしの運行であるとしてストライキに突入した。 同年9月には水沢地区でワンマン化を行なったことで労働組合側は闘争体制を強めることになり、指名ストを通告したが、これに対する会社側はを宣言した上に、調整に入ろうとした地方労働委員会(地労委)の斡旋を拒否した。 12月に地労委が調停に入ったことで収束したが、この間はストライキや間引き運行が多発した。 闘争の拠点となったでは市議会で「バスの正常運行を求める決議」まで行なわれ 、地域の農業協同組合などでは自衛手段としてバスを自ら購入した。 ストライキや間引き運行が続き、沿線の住民からのバス事業者に対する印象は悪化することになった。 沿線住民はバスがなくても通勤通学できる手段を用意し、沿線企業では自家用バスによる送迎を行なうなど、自衛手段に努めた。 この結果、バス利用者の更なる減少を招くことになる。 1968年、中央バスは経営再建のため、業績のよい貸切部門を分社化してを設立したが、これは東北地方では初の貸切専業バス事業者となった。 1970年にはの傘下に入り、国際興業は7割の株式を引き受けた上で負債の肩代わりを行なったため中央バスは倒産を免れた。 翌年には同じ資本系列にあった花巻電鉄と合併した。 その後は比較的良好な経営状態で推移した が、余裕のある状態ではなかった。 また、花巻バスではに貸切バス事業を花巻観光バスに分社化した上、に県北バスからの財政支援を受けることで経営建て直しを図った。 しかし、沿線に観光資源がないこともあって経営は好転せず、賃金未払いによるストライキや間引き運行が日常化する事態になった。 には乗務員の無断欠勤が続出するため欠便申請まで提出する事態になり、公共交通機関としての信用は失墜した。 後述するように1974年には会社更生法の適用を申請することになるが、その時点で花巻バスの累積赤字は1億3600万円、未払い賃金の合計金額は8700万円に上っていた。 この時期、県内の同業他社の1つである県北バスでは、観光路線が多かったこともあって比較的経営は順調で、労使関係も良好であった。 ワンマン化についても着手こそ1974年と県内他社と比較すると遅い時期ではあったが、その後2年で8割以上の路線が化されていた。 県内バス事業者の一元化 [ ] 各社間の意見の相違と挫折 [ ] 県北バスを除いた各社の経営が行き詰る中、合併によって過当競争を解消し、合理化も進めるという意見も出た。 に中央バス・花巻バス・花巻電鉄の合併案が出たが、これは労働条件や資産評価の問題から実現しなかった。 には私鉄総連から公的一元化案が示された。 これは、県内4社を一元化した上で県が経営に直接関わることで、公共的性格の強いバス事業に対して公営で責任を持つという考え方によるもので 、1973年には県バス対策協議会が発足し、バス事業者の労使や県からも協議会の委員として参加することになった。 しかし、経営状態が良好な県北バスは、当初よりこの協議会への参加を拒否していた。 さらに、一元化の範囲についての意見も分かれ、合併の意思のある会社のみという県南バス・花巻バスの主張に対し、中央バスは観光資源をエリア内に有する県北バスも含めた全県一元化を主張する など、意思統一が出来なかった。 その上、県はには一転して公的一元化に反対の意思を表明した。 各社共に労使関係が悪化し、ストライキの頻発などで日常の運行が正常に行なわれていないこと、それに対して誠意のない経営陣の対応という状況下で、県が引き受けることに対して警戒したものとみられている。 新会社設立へ [ ] このような経緯により、公的一元化構想は挫折したものの、民間ベースでの一元化構想へ議論が進みつつあった1974年7月、県南バスが会社更生法の適用を申請した。 同年10月には花巻バスも更生法適用を申請している。 しかし、従業員側は更生法適用申請の撤回を求めてストライキを通告 、さらに県南バスの経営陣が盛岡地方裁判所(盛岡地裁)の定めた管財人に難色を示して自力再建を希望し、一方で一元化による再建にも着手しているなど、会社側に誠意が見られないとして、盛岡地裁では1974年10月に県南バスの申請を棄却した。 県南バスではこれを受けて仙台高等裁判所(仙台高裁)に即時抗告、管財人は競争関係にあるものを避けるとともに、一元化は負債の整理をした上で実施するのが望ましいと主張した。 仙台高裁はこの主張を認め、12月に盛岡地裁への差し戻しを行なっている。 中央バスでは一元化を見据えて、1974年11月30日に新会社として「岩手興業」を設立し、岩手中央バスの事業を移管した翌日に新会社として「岩手中央バス」を設立し再度事業を移管、中央バスとしては負債のない状態にした。 この時点で、岩手中央バスは国際興業からの役員出向は残ったものの、国際興業傘下からは外れている。 結局、従来の再建策はすでに限界であることから、最終的に県南バス・中央バス・花巻バスの3社が新会社を設立した上で、3社の事業を新会社に譲渡する方針がまとまった。 最後の手段であるという位置づけから従業員側も理解を示し、目立った闘争を抑えることになり、県も一元化に対しては推進する方向性を示した。 5月に新会社設立が認可されたことに伴い、県南バスと花巻バスは更生法適用の申請を取り下げた。 岩手県交通と命名された新会社は、負債ゼロの状態から再出発することになった。 しかし、新会社としてのバス車体デザインが決まったのは翌で、それまでに導入した車両は各社のカラーリングのままで導入され、社名のみが「岩手県交通」と表記されていた。 さらに、社内も3社の組織が残った状態で、営業所の体制もそのままであった。 北上駅前を例にすると、旧県南バスの車両は旧県南バスの車庫に入庫し、旧花巻バスの車両は旧花巻バスが所有していた折り返し場で待機するなど、岩手県民や利用者から見れば何も変わっていない状態であった。 そもそも、赤字の会社が合併しても黒字になることはなく、施設の共用など無駄を省くことで初めて合併によるメリットが表に出てくることになるが、この状態では収支状況の改善は望めなかった。 事実、営業開始してから1か月後の中元の支給時にも資金繰りに苦しむ状態となり、年末賞与の時期には6億円もの負債を抱える状態になっていた。 極端に高い人件費率は、合理化が進んでいないことを如実に示していた。 経営体質の強化を図るべく、沿線自治体に対して資本参加を打診したが、すでに自治体から8億円もの補助金を支出している状態では、どの自治体にもそのような原資はなかった。 また、合併後の経営実態が甘く、わずか半年で負債が6億円にも上る現実から、合併前と経営体質が変わっていないと判断されたため、県は出資を拒否している。 その上、未払い賃金がかさみ、運賃を値上げする一方で申請される補助金の額が大幅に上げられて申請されるなど、その経営姿勢にも疑問の声が上がり、銀行団からも融資を拒否されることになった。 中央バスには国際興業から役員が送り込まれていたが、1977年には国際興業はすべての役員を引き上げていた。 資金調達の手段をすべて失った県交通の経営は、発足後わずか1年強で事実上破綻してしまったのである。 2月には運輸省の特別監査が行なわれ、ワンマン化の状況やバス1台あたりの従業員数を調査したが、ここで改めて合理化の遅れが問題となった。 この結果を受けて運輸省では経営改善勧告書により、厳しい行政指導を行なった。 これを受けて経営陣の刷新を行なうことになり、県では県交通の要請を受ける形で、県福祉部長だった松尾景康を送り込んだ。 労使紛争の再発 [ ] 6月に社長に就任した松尾は、大規模な社内機構の改革に取り組んだ。 1978年度決算は単年度黒字となったが、資産の処分などによる部分が大きく、安定的なものではなかった。 このため合理化のためのワンマン化と不採算路線の廃止を進める方針となったが、従業員側は合理化の前に賃上げを要求し 、からはしばらく行なわれていなかったストライキが再発するようになった。 の春闘はストライキが頻発し、ようやく交渉妥結したのが同年10月になるなど、労使関係は悪化することになった。 それは日常業務にも反映され、乗務員の接客態度や車両の整備にも影響し、県民や利用者の県交通に対する不信感は増大することになった。 にはが開業することになり、新幹線連絡を目的とした特急バス運行計画が県外の各社も含めて進められていたが、同年の県交通では経営陣から示された合理化案に350人の希望退職が含まれていることから従業員側が反発、労使紛争の長期化により東北新幹線開業前日のまでストライキが断続的に続く有様 で、労使紛争の状況からはとても高速バス事業に着手することは出来なかった。 なお、この時期の県北バスは、経営努力に加えて「」や高速バス路線の成功による増収分からの内部補填が可能になったことから国庫からの補助金を返上するなど、さらに安定した経営状態になっており、県交通とは対照的であった。 労使の対立の中で、それでも合理化は進み、には県交通としては初の高速バスとして「」の運行に参入しているが、「ヨーデル号」は続行便も多数設定されるほどの好調な状態となった。 また、新幹線開業によって貸切バス需要も増大し、これらは県交通の収支改善にも寄与することになった。 国際興業傘下で再々出発 [ ] 1985年度には通常の状態で収支均衡となったことを機に、松尾は社長から退任することになり、1986年6月には当時の国際興業社長の小佐野政邦が社長に就任、同時に国際興業の傘下に入ることになった。 国際興業傘下に入ったことで、それまで苦慮していた資金調達が容易になった。 同年には過疎路線の低コストでの維持を行なうべくを設立しているほか、高速バス「」にも参入している。 には高速バス「」にも参入、からは同社初の夜行高速バスとして「」の運行を開始した。 その他にもいくつかの高速バス運行に参入、すべてが好調だったわけではないが、経営状態の改善に寄与した。 一方で、路線バスについても過疎路線を早池峰バスに置き換える一方、都市部では団地への乗り入れや車両の改善を進めた。 これらの経営改善策が功を奏し、度決算では通常ベースでの単年度黒字を計上 、黒字体質の事業者への変貌を遂げた。 また、労使交渉が対話重視で進められた こともあり、労使関係も徐々に協調路線へと改善されることになった。 にがに指定されたのを受け、県バス協会では方式の導入を決定、これを受けてに松園地区の県交通路線でゾーンバスシステムの導入が開始された。 4月からは、花巻以南の6営業所について、全路線の運転・車両管理業務を早池峰バスに委託することになった。 これはコストダウンによる路線維持を図るための方策で、これに伴い全社員の基本給を平均9. これにより、2004年度の路線廃止は行なわれないことになった。 10月には、直轄で行っていた車両整備事業及びそれに関する資産・人員の一切を岩手(傘下)へ譲渡し、車両整備が完全に化された。 一部門ほぼ全員の転籍を伴う大規模な組織改編である。 これにより県交通は人件費及び所有車両の管理・維持費の大幅な削減を見込み、ヤマト側には広大な県土を持つ岩手という土地における自社営業車両の整備拠点の大幅な増加・業容の拡大等のメリットが生まれることとなった。 、県交通および秋北バス・十和田観光電鉄は国際興業傘下を離脱し、国際東北グループを構築した。 年表 [ ] 統合前 [ ] 岩手中央バス [ ]• (23年) - 盛岡・花巻を営業エリアとする 岩手中央バス設立。 (昭和26年) - 河南営業所開設。 (昭和28年) - 東部バスとの相互乗り入れで盛岡 - 釜石間特急バス開業。 (昭和31年)7月 - 盛岡市内定期観光バス開設。 (昭和32年) - との相互乗り入れで盛岡 - 遠野- 陸前高田間の特急バス運行開始。 (昭和33年)- 雫石営業所開設。 (昭和35年) - 本社を盛岡駅前へ移転。 (昭和38年) - 花巻電鉄バスがバス事業を開始。 (昭和39年)8月 - との相互乗り入れで「盛岡 - 田沢湖間急行バス」運行開始。 (昭和40年)5月 - 県内初のワンマンバス運行開始。 昭和41年)8月1日 - 国鉄バスとの相互乗り入れで(盛岡 - 岩泉)運行開始。 (昭和43年) - 観光部門を分社、 岩手観光バス設立。 (昭和45年) - 岩手観光バス・とともに、国際興業グループとなる。 (昭和46年) - 花巻電鉄を吸収合併、電車・乗合バス・貸切バス事業を引き継ぐ。 (昭和47年)• 2月16日 - 旧花巻電鉄の電車線廃止。 3月30日 - 盛岡 - 遠野- 陸前高田間の特急バスの内、岩手中央バスは遠野 - 陸前高田を廃止。 岩手県南バス [ ]• (昭和18年) - 戦時統合により水沢・一関・千厩・高田・大船渡を営業エリアとする県南のバス会社10社が統合して 岩手県南自動車設立。 (昭和19年 - 戦時統合により遠野・釜石を営業エリアとする県南のバス会社6社が統合して 岩手東部乗合自動車設立。 (昭和24年)• 4月 - 岩手県南自動車、気仙営業所(現・大船渡営業所)開設。 5月 - 岩手県南自動車、高田出張所開設。 (昭和26年)• 10月 - 岩手県南自動車、一関 - 気仙沼間運行開始。 - 岩手東部乗合自動車を東部バスに改称。 (昭和30年 4月 - 岩手県南自動車、「」開業。 (昭和32年)6月 - 岩手県南自動車が東部バスを傘下とする。 (昭和38年) - 岩手県南自動車、大東営業所を開設。 (昭和41年)• - 岩手県南自動車と東部バスが合併し、 岩手県南バス設立。 7月 - 一関地区でワンマンバス運行開始。 花巻バス [ ]• (昭和23年) - 花巻・大迫を営業エリアとする 花巻バス設立。 (昭和25年)11月 - 大迫営業所を開設。 (昭和29年)• 4月 - 宮守営業所を開設。 10月 - 黒沢尻営業所を開設。 (昭和44年) - 観光部門を独立、 花巻観光バス設立。 (昭和45年) - が花巻バス・花巻観光バスの経営支援に乗り出す。 (昭和46年)• ワンマンバス運行開始。 12月 - 東和営業所を新設し、宮守営業所・土沢営業所を統合。 (昭和48年) - 本社を北上市に移転した上で花北営業所を併設し、北上営業所・笹間営業所を統合。 3社統合後 [ ]• (昭和51年) - 岩手中央バス(グループ)・花巻バス・岩手県南バスの対等合併により新会社設立。 本社をに置く。 (昭和52年)- 車両カラーリングに新デザインを採用。 (昭和56年) - 盛岡駅南側にあった盛岡駅前営業所の機能を移転する形で、矢巾町広宮沢に矢巾営業所を新設。 (昭和59年)7月 - 滝沢村滝沢字巣子に巣子車庫新設。 (昭和60年) - 高速バス「」運行開始。 (昭和61年) - 国際興業グループ入り。 分離子会社を設立し、遠野営業所を移管。 高速バス「」に参入(路線はから運行)。 (昭和62年)• - 高速バス「」運行開始。 8月 - 河南営業所と河南営業所都南庫を統合し、都南営業所に改編。 - 黒石野営業所を移転する形で、三ツ割字大平地区に松園営業所新設。 (昭和63年) - - 高速バス「」運行開始。 (元年)• - 高速バス「」運行開始。 - 高速バス「八盛号」運行開始。 (平成3年) - 東和営業所を東和車庫に格下げ。 (平成7年) - 高速バス「」運行開始。 「八盛号」運行より撤退。 (平成8年)10月1日 - 盛岡地区にてとのを導入。 以後、段階的に利用地域を拡大する。 (平成12年)• この頃より乗合バスの塗装色を順次、国際興業カラーに変更。 - 本格運行開始。 - 高速バス「」運行開始。 (平成13年)• - 完成。 盛岡市内初の事業スタート。 - 岩手観光バスを吸収合併。 貸切専業の「新滝沢営業所」となる。 - 高速バス「」運行開始。 (平成14年)4月 - 滝沢営業所を新滝沢営業所に移転統合。 貸切車の大半は他営業所に転属。 (平成15年)• - 高速バス「」運行開始。 - 「江刺 - 仙台線」、「けんじライナー」を早池峰バスへ移管。 10月1日 - 本社と盛岡営業本部を統合。 よりに移転。 (平成16年) - 盛岡都市圏以外の営業所の業務一切を早池峰バスに委託。 遠野線廃止に伴い、代替路線「陸前高田住田線」運行開始。 「特急釜石盛岡線」を廃止。 早坂高原線運行より撤退。 (平成17年) - 「あすなろ号」運行より撤退。 (平成18年)• 4月1日 - 「特急大船渡 - 水沢線」を廃止。 「とわだこ号」運行より撤退。 - (当時)からの委託を受け、岩手県北バスと共同で「巣子地域循環バス」の運行を開始する(実証試験として約1〜2年程度の期間運行となる予定だったが、利用率不振のためをもって運行終了)。 - (当時)開業に伴い、イオン盛岡南SC線を新設。 都南盛南線のイオン盛岡南ショッピングセンター乗り入れ開始。 (平成19年)• - 早池峰バスへの管理委託を解消。 - 盛岡城下町線・盛岡城下町循環線の運行を開始(同年までの期間運行)。 - 高速バス「遠野・釜石号」運行開始。 - 「特急釜石盛岡線」運行開始。 「急行盛岡大船渡線」の経由を新設。 (平成20年)• - 宮城営業所開設。 - 高速バス「平泉中尊寺号」(季節運行)運行開始。 盛岡地区の時刻表を有料化(税込100円。 盛岡地区各営業所及び市内の案内所での販売)。 10月1日 - 車両整備業務をアウトソーシング化。 (平成22年) - 岩手県北バスとのバスカードの共通乗車利用制度を終了(それ以降、発行事業者毎でのみの利用となる)。 (平成23年)• - ()によるで、とで車両が20台流失するなどの甚大な被害を受ける。 - これまで路線バスが乗り入れていなかった・にも新たに構内乗り入れ開始。 これに伴い旧「日詰駅前」()バス停を「紫波営業所」バス停に改称。 (平成25年) - JR運行開始に伴い、より運行業務を受託。 (平成27年) - 当日の運行をもって「みちのく号」運行より撤退。 (平成29年)4月1日 - 早池峰バスより全業務を移管され引き継ぎ。 (平成30年) - 大迫花巻線と大迫石鳥谷線を除く大迫地区全路線の廃止に伴い、大迫バスターミナル閉所。 (平成31年) - 電気バス(製)1台を導入、に配置し、同営業所管内の路線(イオンモール盛岡南線)でこの日より運行開始。 (令和2年)• - JR東日本などが開発している「地域連携ICカード」について、2021年度に一部の路線バスへの導入を行うことでJR東日本と同意した事を発表。 - 中国BYD製電気バスを矢巾営業所に追加配置し、この日より、に乗り入れる北高田線と線でも運行開始。 - 好摩直通線を岩手県北バスへ移管。 営業所 [ ] 盛岡地区 [ ]• (新滝沢整備工場併設)• (高速バス東京・横浜線予約センター併設)• (ヤマトオートワークス矢巾整備工場併設)• 花北地区 [ ]• (高速バスイーハトーブ号予約センター併設)• (旧湯本営業所)• 遠野営業所(旧早池峰バス本社営業所)• 遠野地区が早池峰バスへ移管されたことに伴い、同社の本社営業所となった。 早池峰バスの営業エリア拡大に伴い、本社機能が北上駅東口〜江刺バスセンター構内と移転したが、のちに再度遠野に戻っていた。 2017年4月1日をもって早池峰バスより全業務を移管され、「岩手県交通遠野営業所」として復活。 胆江地区 [ ]• (ヤマトオートワークス胆江整備工場併設)• 設立当初は営業所に併設されていない整備工場だった。 江刺・水沢両営業所の胆江営業所への移転統合に伴い、大規模整備工場が併設されたため廃止。 、の運行業務を担当。 一関地区 [ ]• (旧千厩営業所) 沿岸地区 [ ]• (高速バスけせんライナー・遠野釜石号予約センター併設、ヤマトオートワークス釜石整備工場併設)• 赤浜車庫• 大槌町内ローカル路線の撤退により廃止。 末期は釜石営業所の車庫として、大槌町内のローカル線や赤浜・浪板線の大槌側拠点として乗務員や常駐車が配置されていた。 詰所は撤去されたものの車庫は残り、回転場として使用されていた。 以降、敷地の一部が仮設住宅として使用されているほか、釜石(上大畑) - 赤浜・間の運行に伴い、釜石営業所の乗務員が現地出退勤する車庫として復活。 釜石営業所の車両が常駐する。 東日本大震災により高田バスターミナルが壊滅的な被害を受ける。 その後の運行開始に伴い、運行業務の受託を主とした組織として復活。 岩手県外 [ ]• 盛岡駅前営業所• 機能を移転し矢巾営業所となった。 黒石野営業所• 移転し松園営業所となった。 河南営業所• 都南車庫(現都南営業所)に統合された。 閉鎖後もしばらくは盛岡バスセンター・南大通2丁目発着便の待機場所として使用されていた。 東和営業所• 東和町内ローカル路線の撤退により廃止。 跡地はトラック部門(いわこう運輸)として使用されていたが、いわこう運輸も花巻バスターミナル構内へ移転後、トラック部門より撤退。 現在も建屋はそのまま残っており、敷地の一部が民間整備工場として利用されているほか、の旧土沢小学校前回転場として使用されている。 水沢営業所• 江刺営業所とともに胆江営業所へ統合。 現在は水沢車庫として使用されており、水沢駅・胆沢病院発着便の待機場所として使用される。 また一部が賃貸駐車場となっている。 現在も建屋が残っており、屋根付きの車庫も残っているため一時的な保留車や、他事業者からの移籍車の車両留置場所として使われたこともある。 旧江刺営業所• 水沢営業所とともに胆江営業所へ統合。 跡地はとして利用されている。 大東営業所• 大東町(現一関市)内ローカル路線の撤退により廃止。 跡地は町へ売却され、町営住宅として使用されている。 新滝沢営業所• 岩手観光バスを吸収合併した際に同社の車庫をそのまま貸切専門の営業所に転用した。 現在は滝沢営業所が当地に移転し、統合され廃止された。 整備工場の名称「新滝沢整備工場」にその名残がある。 現在は貸切車はほとんど残っておらず、矢巾営業所を中心に各営業所に分散配置された。 (旧大迫営業所) 閉所直後の大迫バスターミナル• 閉所当時は紫波営業所の管理下だった。 大迫石鳥谷線は紫波営業所に、大迫花巻線は花巻営業所にそれぞれ移管された。 路線 [ ] 高速バス [ ] 現在の運行路線(夜行) [ ] イーハトーブ号 [ ] 運行開始当初はとの共同運行を行っていたが、後に国際興業は運行を撤退し、現在は予約・発券業務のみ継続している。 よって、現在は岩手県交通の単独運行である。 2018年9月24日より週末のみ運行。 全席指定制。 車両・乗務員は北上営業所が担当。 車両は独立3列シートのハイデッカー車両()が使用されるが、繁忙期には増便として北上営業所所属の貸切車両が充当されることもある。 (平成23年) - この日の出発便より、「」・「岩手病院前(イオン一関店前)」に停車。 (平成24年) - この日の出発便より、内の停車箇所を「中尊寺」から「平泉駅前」に変更。 (平成30年) - この日より週末運行となる。 (令和2年) - の影響により、この日より上り池袋行が同年まで(下り紫波中央行は翌からまで)運休。 利用状況 年度 運行日数 運行便数 年間輸送人員 1日平均人員 1便平均人員 2002(平成14)年度 365 894 18,805 51. 5 21. 0 2003(平成15)年度 366 833 18,434 50. 4 22. 1 2004(平成16)年度 365 835 18,131 49. 7 21. 7 2005(平成17)年度 365 838 18,083 49. 5 21. 6 2006(平成18)年度 365 845 18,322 50. 2 21. 7 2007(平成19)年度 366 859 17,715 48. 4 20. 6 けせんライナー号 [ ] 「けせんライナー」 (平成元年)運行開始。 当初は国際興業との共同運行を行っていたが、後に国際興業は運行を撤退し、予約・発券業務のみ継続している(ただし、多客期に限り、国際興業観光バスが増発対応している)。 よって、現在は岩手県交通の単独運行。 全席指定制。 3 23. 7 2003(平成15)年度 366 1,067 24,514 67. 0 23. 0 2004(平成16)年度 365 1,077 25,843 70. 8 24. 0 2005(平成17)年度 365 1,110 26,118 71. 6 23. 5 2006(平成18)年度 365 1,125 26,226 71. 9 23. 3 2007(平成19)年度 366 947 21,417 58. 5 22. 6 その他• (平成19年)より、釜石 - 池袋間に夜行高速バス「」(遠野・花巻経由)が運行を開始し、釜石市内(釜石営業所・釜石駅前)から池袋駅との間の夜行高速バスは実質2往復となった。 しかし、異なる系統で往復利用する場合には往復割引が適用されず、異なる路線ごとの片道運賃が必要であった((平成23年)出発便より併用往復割引が適用となっている。 併用往復割引は釜石営業所・釜石駅前・上平田・唐丹駅前と釜石中央 と都内との間に適用される)。 2011年(平成23年)に発生したに伴う大()により、気仙川の河口付近を渡る国道45号線の気仙大橋や県道の姉歯橋が崩壊したため気仙沼〜陸前高田間の道路通行が途絶した。 それ以降、2012年(平成24年)出発便までは、以下のような体制で運行した。 同年発の上り便(下り便は翌)より、池袋駅 - 一関駅前 - 千厩バスターミナル - の系統を運行(4列シート、トイレ無しの車両で運行)。 同年発の上り便(下り便は翌)より、池袋駅 - 陸前高田(サンビレッジ高田) - 盛・サンリアショッピングセンター前 - 三陸町越喜来 - 唐丹駅前 - 上平田 - 釜石駅前 - 釜石営業所 の系統を運行。 上記池袋 - 気仙沼間の系統と合わせ、2便体制で運行した。 同年発より、冬期の安全運転確保のため、陸前高田の停留所をサンビレッジ高田から陸前高田市役所仮庁舎に移設した。 (平成24年)より、気仙沼の停留所を気仙沼駅前から気仙沼市役所前に変更する。 (令和元年)よりカレンダー制運賃(5段階)を導入。 これにより往復割引を廃止。 車両は独立3列シートのハイデッカー車両(所属、いすゞ・ガーラ)を使用する。 繁忙期は、一関営業所の貸切車両が増便として運行される場合もある。 乗務員は大船渡営業所が担当(大船渡営業所の乗務員が釜石営業所に出勤)。 (令和2年)4月1日運行分よりに乗り入れ開始。 これに伴い陸前高田市役所前の停車を廃止。 新型コロナウイルスの影響により、2020年(令和2年)より同年5月6日まで(のち同年まで延長)運休。 同年の上り釜石発(下り池袋発は翌)より運行を再開。 遠野・釜石号 [ ] 岩手県から・・・を経由してとの間を結ぶ夜行(系統名:大槌 - 池袋線)。 1日1往復。 2017年4月4日出発便より週末等のみ運行。 釜石営業所担当(車両・乗務員共に)。 国際興業(担当)との共同運行。 また、2016年7月11日より、運賃体系が変更し、カレンダー運賃となっている。 運行経路• (平成19年) - 岩手県交通の単独運行で運行開始(国際興業は東京側の予約・発券および運行支援業務を担当)。 2007年(平成19年) - 国際興業が同路線の運行に参入し、共同運行化。 (平成23年) - この日の出発便より山田町(道の駅やまだ)まで経路を延伸。 「けせんライナー」との併用往復割引の取り扱いを開始。 (平成25年)12月1日 - バス停を廃止。 (平成27年) - この日の出発便から浦和美園駅への乗り入れを開始。 (平成28年) - この日の出発便から花巻駅への乗り入れを開始。 同時に、カレンダー運賃を導入し、往復割引・学割・団体を廃止。 (平成29年) - この日の出発便から週末のみの運行となる。 (令和元年) - 運賃改定。 カレンダー制運賃を4段階から5段階に変更。 2020年(令和2年) - 新型コロナウイルスの影響により、この日より同年5月6日まで運休。 車両 (2代目)3列独立シート車両(1号車のみ)。 利用状況 年度 運行日数 運行便数 年間輸送人員 1日平均人員 1便平均人員 2007(平成19)年度 342 732 10,838 31. 7 14. 8 ドリーム盛岡 らくちん 号 (盛岡 - 東京線) [ ] 詳細は「」を参照 国際興業、と共同運行。 現在の運行路線(昼行) [ ]• 盛岡 - 線(花巻空港発着の各便に接続)• ( - 間の各駅発着)、(前発着)・久慈こはく号(前発着)(岩手県北バス)の乗車券とセットになった割引乗車券あり。 より、経由に変更された。 盛岡市内 - 花巻空港駅および盛岡市内のみの利用は不可。 (花巻・北上 - 仙台線)• (JRバス東北と共同運行)• (宮城交通と共同運行)• 撤退した高速バス路線 [ ] Hassey E ここでは岩手県交通(・JRバス東北・と共同運行)運行当時のものを掲載する。 (平成元年) - 旧・南部バス、岩手県北バス、JRバス東北、岩手県交通の4社で運行開始(1日4往復)。 運行区間は八戸小中野バスセンター〜盛岡バスセンター間 135. 0km。 盛岡駅の乗り場は駅舎からやや離れた「盛岡駅(松月堂前)」のりばであった(現存せず)。 (平成2年) - 浄法寺インター、内丸(県庁・市役所前)にを新設。 (平成7年) - 岩手県交通とJRバス東北が撤退。 岩手県北バス、旧・南部バスの2社共同運行となり、1日2往復に減便。 当初は岩手県交通と(JRバス東北)の2社が参入を希望したが、その後両社間の調整で、別路線への参入を条件にJRバス東北は本路線への参入を見送ることになった。 検討段階から交通ジャーナリストのが市場調査などで直接的に関わっており 、盛岡での開業初日のテープカットでは鈴木も招待されていた。 運行開始当初は(神奈中)とを行っていた。 神奈川中央交通の夜行高速バスでは初めて発着となった路線で、その後神奈中の他の夜行高速バスも本厚木を停車地に追加した。 後に神奈中よりに運行を移管されたが、(17年)をもって撤退。 以降は岩手県交通の単独運行となった(神奈中は予約・発券業務のみ受託)。 (平成28年)発の運行をもって廃止。 全席指定制(運賃設定あり)であった。 運行開始当初の岩手県交通はを使用していた。 当時の岩手県交通の夜行高速バス車両は、らくちん号(現:)に使用されていた車両が乗客定員27名となっており、本路線のために乗客定員29名とした車両が専用車として運行されていた。 の湘南神奈交バス撤退に際しては、当時同社で使用されていたが岩手県交通に譲渡され、塗装変更の上本路線で使用されていた(この譲渡車はに北上営業所へ転属)。 その後はから譲渡された日産ディーゼル・スペースウイング(7Sボディ)や、から譲渡された(02MCボディ)なども使用した(運用上の都合によりが充当される場合もあった)。 利用状況 年度 運行日数 運行便数 年間輸送人員 1日平均人員 1便平均人員 2002(平成14)年度 364 727 12,129 33. 3 16. 7 2003(平成15)年度 366 732 12,146 33. 2 16. 6 2004(平成16)年度 365 729 11,828 32. 4 16. 2 2005(平成17)年度 365 729 11,931 32. 7 16. 4 2006(平成18)年度 365 730 12,018 32. 9 16. 5 2007(平成19)年度 366 739 11,735 32. 1 15. 小岩井農場線• 小岩井観光線• 須川温泉線• 一関大船渡線• 盛岡大船渡線• 一関気仙沼線• 盛岡釜石線• 山伏線 一般路線 [ ] 盛岡市内めぐり定期観光バス 東口にて ここでは遠野営業所の現行路線について記述する。 荷沢峠・小友線 [ ]• 荷沢峠 - 小友 - 鱒沢 - 和野 - 二日町 - 遠野営業所 - 遠野病院前 - - 遠野営業所• 平日のみ運行。 小友 - 鱒沢 - 船渡橋 - 二日町 - 遠野営業所 - 遠野病院前 - 福祉の里 - 遠野病院前 - 遠野駅前 - 遠野営業所 綾織・達曽部線 [ ]• 遠野営業所 - 穀町 - 遠野病院前 - 遠野駅前 - 日影 - 綾織十文字 - 千葉屋敷 - 橋本 - 達曽部 附馬牛線 [ ]• 遠野営業所 - 遠野駅前 - 遠野病院前 - 福祉の里 - 五日市 - 足洗川 - - 上柳 - 坂の下 足ヶ瀬線 [ ]• 足ヶ瀬 - 森の下 - 川原 - 八日市 - 上郷町 - 清水川 - 関田橋 - 遠野病院前 - 遠野駅前 - 遠野営業所• 恩徳 - 西内 - 和野 - 前 - - - 遠野病院前 - とぴあ前 - 遠野駅前 - 遠野営業所 青笹線 [ ]• 毎日運行• 清養園 - 遠野営業所 - 遠野駅前 - 上組町 - 晴山 - 青笹学校前 - 大草里• 平日のみ運行• ・でも確認可。 深夜バス [ ] 運賃は、一部路線を除いて倍額運賃ではなく割増運賃となる。 なお、フリー乗車券は使用できない。 発車便より、一部の停留所において降車専用区間が設定された。 また、2010年10月1日からは適用路線・区間では、定期券提示の上、差額を現金か、で支払う必要がなくなったと同時に、運賃の改定を行った。 現在運行中の路線 [ ]• 松園深夜線• 滝沢深夜線• 矢巾深夜線• 厨川深夜線 過去に運行されていた路線 [ ]• 北上深夜線 - 2011年4月廃止。 日詰深夜線 - 2017年10月廃止。 スキーバス [ ] いずれも冬期限定運行。 盛岡、雫石スキー場線(盛岡駅西口 - ) 早池峰登山バス [ ] 夏季限定運行。 岳駐車場 - 盛岡駅 須川温泉線 [ ] 盛岡都心循環バス「でんでんむし」• コミュニティバス• 車両 [ ] 概説 [ ] 合併当初は各社からの引き継ぎ車では製の車両の他にも製や製もあったが、新車導入は国際興業グループ入り以前からいすゞ自動車製が中心であった。 国際興業グループ入りした1986年以降、基本的に車両は親会社のと同じいすゞ自動車製であり、なかでも路線バス車両の大半は国際興業からの譲受車であった。 その一方で日野製や三菱ふそう製の車両は淘汰された。 なお、近年では国際興業以外からの譲受車もみられる。 さらに整備部門をヤマト運輸と提携した上でとして分離したため 、メーカーを統一する必然性が薄れている。 このため、近年はいすゞ車以外の車種も転入しており、この中には岩手中央バス・岩手県南バス・花巻バスで導入実績がなかった日産ディーゼル(現・)車も含まれており、現在では国内4メーカーの車両を使用している。 中型・小型バスを中心に自社発注の車両も多く存在するが、この中にはもある。 現在の大型路線車は、原則中古車での対応となっており、長年新車の投入が無かったが、2014年2月に1980年にを導入して以来34年ぶりに大型路線用の新車()が導入された。 2011年以降は、首都圏などからの転入も開始した。 岩手県交通発足の翌年に制定された路線バス標準色は、車体上半分は白で下半分は銀色というベースに青のラインが入るものであったが、2000年にオムニバスタウンに対応した施策が開始された頃から、徐々に路線バス車両のカラーリングは国際興業バスと同様のものになり、以後、国際興業バス新カラーも登場した。 2016年には岩手県交通路線バス標準色が再び登場したが、この車両は以前とは異なり、全体を銀色というベースに青のラインが入るものとなっている。 2020年には国際興業バス新カラーと岩手県交通標準色を合わせた新塗色の車両が登場し現在に至る。 路線バス車両の方向幕については、現在の盛岡地区の車両は前面・側面・後部すべてのを使用しているが 、花北・県南・沿岸地区の車両については前面・側面の方向幕のみを使用して、後部方向幕を使用していない車両もある。 また、貸切格下げ車については前面方向幕と側面 を使用している。 かつて在籍していたモノコック車には後部方向幕を使用していなかった他、花北・県南・沿岸地区のバス車両はは合併前から側面方向幕を使用していたのに対して、盛岡地区の路線バス車両は1990年代前半まで岩手中央バスの流れで側面方向幕を使用せず、側面の行先表示は側面サボで表示していた。 ワンマン機器も以前は岩手中央バス・花巻バス・岩手県南バスの流れで合併前の各社のエリアによって異なっていたが、現在は各地域とも統一されている。 また、よりの支援活動として、2011年6月より路線バス車両20台が無償譲渡された。 これらの車両は、当初は都営バスの塗装のまま社名を書き換えるだけで使用されていたが、現在は国際興業新カラーへ塗装変更されている。 貸切・高速車両については、ほぼ全車両が国際興業グループ観光バス色に統一されている。 また、高速バス車両でも譲受車両が存在するが、これらについてもいすゞ車以外の車種も転入してきている。 は、まず2012年度に205台のバス車両に設置し、残りの車両も2013年度中に設置予定となっている (岩手県北バスは2012年に全車設置済み)。 2014年には夜行高速バス14台全車に衝突防止補助システムを装着した。 このほか、「弁慶号」(日野BH15)が1台在籍していた(現在廃車)。 2014年11月17日からは盛岡ナンバー・平泉ナンバー()の導入に伴い、滝沢営業所・巣子車庫・松園営業所・都南営業所・矢巾営業所・紫波営業所への新車、他事業者からの譲受車、他営業所からの転入車は盛岡ナンバーで、胆江営業所・一関営業所・千厩バスターミナルへの新車、他事業者からの譲受車、他営業所からの転入車は平泉ナンバーでそれぞれ導入される予定。 なお、雫石営業所・花北地区の各営業所・沿岸地区の各営業所への新車、他事業者からの譲受車、他営業所からの転入車は従来通り岩手ナンバーでの導入となる。 中国製の電気バス(盛岡駅東口にて) 過去のカラーリング [ ]• 岩手中央バス…一般路線用はクリーム地に青い帯が入っていた。 神奈川中央交通から譲受された車両の一部は標準色ではなく、下半分と帯の部分を岩手中央バスカラーに塗り替えて使用していた。 中・長距離路線用は現在と同じく国際興業グループ観光バス色を採用していた。 1970年代までに国際興業バスから譲り受けた車両は経費節減のため塗り替えずに使用していた。 1985年頃までには国際興業バスそのままという車両はいったん消滅した。 2000年に国際興業グループ全体の施策として国際興業路線バス色が復活することになるとは、当時は予想できなかったという。 花巻電鉄バス…のデザインを緑の濃淡にしたもの。 岩手中央バスの貸切カラーでもあった。 岩手県南バス…純白に朱色のラインが入っていた。 花巻バス…クリームに赤帯の入ったデザインで、ワンマン車では窓下に水色の帯が入る。 1970年前後にから譲り受けた車両は、経費節減のため側面窓下の帯を水色に変えた以外はそのままという状態で走らせていたことがある。 - 子会社のヤマトオートワークスと岩手県交通が共同出資し設立した。 岩手県交通の整備部門を移管し、新滝沢・矢巾・花巻車体・胆江・釜石の各工場にて業務を行う。 本社は北上市にあるヤマト運輸東北支社・岩手主管支店内。 岩手県交通整備 - 大船渡市立根町字関谷63-14(大船渡営業所構内)に所在。 YAWの拠点が大船渡営業所管内に無いため、同所管内の車両整備業務を担当。 岩手県交通サービス - 2016年9月設立。 盛岡市盛岡駅前通3-55(岩手県交通本社内)に所在。 過去の関連企業• 岩手県交通観光サービス(通称「トラベルいわこう」) - 貸切担当の各営業所の他、シティ青山、東口、江刺バスセンターなどに店舗が所在した。 岩手県交通の観光トラベル課に事業吸収。 - 遠野・江刺地区のバス運行および受託業務。 2017年4月より岩手県交通に業務移管。 - 同施設の運営。 施設解体後は花巻市湯本(株式会社内)に登記を移転して会社清算業務を行っていたが、2017年10月までに完了。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• ただし岩手県北バスは、事業地域の過疎化の進行や、さらに燃料費の高騰等で、にを申請し倒産。 企業再生ファンドの「」が支援を行うことになった。 株式会社経営共創基盤ニュースリリース• その後3月1日に会社分割。 旧・岩手県北自動車(現・県北管理)のバス事業、旅客船事業、旅行事業、サービスエリア事業と全従業員を新会社に承継。 旧会社がに全株式を譲渡し、さらに新株式を発行。 岩手県北自動車ニュースリリース(2010年4月1日)• おもな譲受先は、・・・・・・・・・・などであるが、近年では、・・がメインとなってきている。 また、2019年にはからの移籍者も誕生している。 盛岡地区の車両でも後部方向幕を使用していない車両がある。 貸切格下げ車にはスイングドアに側面サボを装着している車両も存在する。 無償譲渡された車両の内、用の車両は「でんでんむし」カラーや「いわてデスティネーションキャンペーン」カラーに塗り替えている。 今回の無償譲渡で県交通としても、岩手県としても初となる大型ノンステップバスが登場した• 、、など。 出典 [ ]• 岩手県交通・秋北バス・十和田観光電鉄および各社の子会社は、2013年に地元資本の国際興業東北株式会社に売却されたため、国際興業傘下から離脱している。 岩手県交通. 2019年1月9日閲覧。 花巻市 2018年10月26日. 2019年1月9日閲覧。 盛岡経済新聞. 2019年2月1日. 2019年2月3日閲覧。 岩手日報. 2019年2月2日. 2019年2月3日閲覧。 岩手県交通株式会社・東日本旅客鉄道株式会社 2020年1月16日. 2020年1月16日閲覧。 IBC岩手放送 2020年2月20日. 2020年2月21日閲覧。 岩手県交通. 2020年3月8日閲覧。 岩手県交通. 2020年3月30日閲覧。 岩手県北バス 2020年3月23日. 2020年3月30日閲覧。 岩手県交通 2018年12月30日閲覧 PDF• :2011年7月9日(2011年7月15日閲覧)• 岩手県交通:2012年1月(2012年3月5日閲覧)• 岩手県交通. 2018年9月6日閲覧。 岩手県交通. 2020年4月12日閲覧。 岩手県交通. 2019年6月2日閲覧。 岩手県交通. 2020年2月5日閲覧。 岩手県交通. 2020年6月23日閲覧。 (岩手県交通、2015年6月8日閲覧)• (岩手県交通、2016年5月16日閲覧)• 国際興業 2016年5月11日. 2019年6月2日閲覧。 (岩手県交通、2017年4月7日閲覧)• 鈴木文彦『新版・高速バス大百科』p182• - 岩手県交通公式サイト、2016年3月5日閲覧• 通巻527号(2010年9月号)p155• 東京都交通局 2011年6月20日• 岩手県交通• 岩手県交通• 参考文献 [ ]• 『日本のバス 100余年のあゆみとこれから』鉄道ジャーナル社 成美堂出版、2013年。 『岩手のバス いまむかし』クラッセ、2004年。 『19 岩手県交通 岩手観光バス(早池峰バス)』BJエディターズ、1994年。 80 帰ってきた都道府県別・地域別路線バス全方位レポート 岩手県』講談社ピーシー・講談社、2016年。 外部リンク [ ] に関連するメディアがあります。 ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 - 公益社団法人 岩手県バス協会.

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岩手県 高速バス

概要 [ ] 開業に伴い運行開始。 運行開始当初は秋北バスと岩手県北バスのだったが、後に岩手県交通が参入し3社共同運行となった。 鹿角市内を通過するスーパー便や花輪発着便を設定した時期もあったが、すべて花輪経由便に統合されている。 なお、2015年3月13日の運行をもって岩手県交通は撤退 し、再び2社共同運行となっている。 運行会社 [ ]• 過去の運行会社 [ ]• - 2015年3月13日の運行をもって撤退 運行経路 [ ] で、八幡平市内・鹿角市内以外は乗車専用または降車専用になっている。 1日14往復(秋北7、県北7)。 歴史 [ ]• (57年) - 秋北バス・岩手県北バスの2社で運行開始(6往復)。 (昭和61年) - 2往復増便され、1日8往復となる。 (昭和62年)頃 - 2往復増便され、1日10往復となる。 (昭和63年) - 2往復増便され、1日12往復となる。 (3年)頃 - 岩手県交通が参入(1往復)。 1日13往復となる。 (平成10年) - スーパー便(4往復)、花輪駅前発着便(5往復)、在来便(10往復)の体制となる。 (平成12年)頃 - 花輪駅前発着便の安代停車開始。 (平成14年) - スーパー便、花輪駅前発着便を各1往復に減便。 在来便13往復と合わせ、1日15往復となる。 (平成16年) - 秋北バス担当便の一部(3往復、うち1往復スーパー便)が鷹巣駅前発着となる。 (平成17年) - 鷹巣駅前発着便、スーパー便、花輪駅前発着便が廃止され、1日14往復となる。 「前潟(イオン盛岡)」への停車を開始。 (平成18年)4月1日 - 「松の木」バス停への停車を廃止、「高速けまない」バス停を新設。 (平成20年)4月1日 - 「道の駅かづの」の道路沿いに「鹿角あんとらあ前」バス停を新設。 (平成22年) - 「高速けまない」における乗降制限を撤廃、大館方面への乗降可能となる。 2010年(平成22年)4月1日 - 盛岡駅のりばを東口7番のりばから西口22番のりばに変更。 (平成23年)• - 10枚綴り回数券の発売を開始。 - 同年に発生したの影響により運休していたが、この日より秋北バスが2往復で運行を再開(翌16日より3往復に増便、20日より各社とも通常運行)。 (平成25年)• - 秋北バス便が「杜の道南」に停車。 - 秋北バスターミナルが廃止され、北口に変更された。 (平成26年)4月1日 - 運賃改定。 (平成27年)3月14日 - 岩手県交通が撤退し、秋北バス・岩手県北バスの2社体制 (各7往復)に戻る。 大館市の「大館鍛冶町」に「高速大館」バス停を新設。 また大館発はいとくSC北口が始発となる。 (元年) - 運賃改定。 5回回数券・10回回数券を廃止、6回回数券の発売を開始。 (令和2年)• - の影響により、この日より当面の間1日7往復(秋北3、県北4)に減便。 - この日より一部便が運行を再開、計1日11往復(秋北7、県北4)となる。 乗車券 [ ]• 運賃は基本的に下車時精算。 片道乗車券は、乗車当日に秋北バスいとく大館SC案内所 ・花輪駅前案内所、岩手県北バス盛岡駅前案内所、盛岡駅西口バス待合室内券売機、JRバス盛岡駅前きっぷうりば券売機で発売。 また、乗車1か月前より主な旅行会社でも取り扱う。 往復乗車券は、秋北バス駅前ステーション・いとく大館SC案内所・花輪駅前案内所、岩手県北バス盛岡駅前案内所、盛岡駅西口バス待合室内券売機、JRバス盛岡駅前きっぷうりば券売機で発売。 秋北バスの各窓口では、往復乗車券の設定がある任意の区間で発売可能。 6枚綴り回数券(大人運賃・大館地区 - 盛岡地区:12,000円、鹿角地区 - 盛岡地区:10,000円)も各窓口および車内で購入できる(二社共通)。 利用状況 [ ] 年度 運行日数 運行便数 年間輸送人員 1日平均人員 1便平均人員 2002(平成14)年度 365 13,121 214,483 587. 6 16. 3 2003(平成15)年度 366 11,218 206,932 565. 4 18. 4 2004(平成16)年度 365 10,508 196,836 539. 3 18. 7 2005(平成17)年度 365 10,686 206,594 566. 0 19. 3 2006(平成18)年度 365 10,536 206,893 566. 8 19. 6 2007(平成19)年度 366 10,567 208,992 571. 0 19. 2007(平成19)年度の利用客数は、盛岡市が発着地となる高速バス路線の中では(盛岡市 - )の25. 7万人に次いで多かった。 その他 [ ]• 「大滝温泉」バス停は、大滝温泉街およびと離れている。 脚注 [ ] []• 秋北バス. 2013年9月20日時点の [ ]よりアーカイブ。 2013年10月1日閲覧。 秋北バス. 2013年9月30日時点の [ ]よりアーカイブ。 2013年10月1日閲覧。 2014年4月7日, at the. (秋北バス 2014年3月13日)• 秋北バス 2015年2月18日. 2015年3月28日閲覧。 秋北バス 2019年5月24日. 2019年6月22日閲覧。 岩手県北自動車 2019年5月23日. 2019年6月22日閲覧。 秋北バス 2020年4月21日. 2020年4月25日閲覧。 岩手県北自動車 2020年4月24日. 2020年4月25日閲覧。 秋北バス 2020年6月12日. 2020年6月28日閲覧。 岩手県北自動車 2020年6月24日. 2020年6月28日閲覧。 外部リンク [ ]• - 秋北バス• - 岩手県北自動車.

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