くれ ない の 二 尺 伸び たる 薔薇 の 芽 の 針 やわらか に 春雨 の ふる 意味。 くれなゐの二尺のびたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る/正岡子規他春雨の短歌

くれなゐの 二尺伸びたる 薔薇の芽の

くれ ない の 二 尺 伸び たる 薔薇 の 芽 の 針 やわらか に 春雨 の ふる 意味

短歌で有名なのは? 【ベスト20首】 短歌の中でも、広く一般に知られているもの、特に有名と考えられるものを 20首選びました。 歌の先頭の文字の五十音順に並べてあります。 またこのページの最後に、これらの短歌の作者たちの他の作品への案内もありますので、そちらも是非チェックしてみて下さい。 幾山河 越えさり行かば寂しさの 終てなむ国ぞ今日も旅ゆく 【作者】若山牧水 【収録歌集】海の声 【補足】 「終 は てなむ」は「果てるであろう」の意味です。 【私感】 「幾山河」を「いくさんが」と読んでみると、歌全体が力強く感じられます。 いざ行かむ 行きてまだ見ぬ山を見む このさびしさに君は耐ふるや 【作者】若山牧水 【収録歌集】独り歌へる 【私感】 前の「幾山河…」の歌と対をなしているように感じられる歌です。 いちはつの 花咲きいでて我が目には 今年ばかりの春行かんとす 【作者】正岡子規 【補足】 イチハツはアヤメ科の多年草で、アヤメ類の中で一番最初に花が咲くことから「一初」と名付けられたものです。 スポンサーリンク いのちなき 砂のかなしさよさらさらと 握れば指のあひだより落つ 【作者】石川啄木 【収録歌集】一握の砂 我を愛する歌 【補足】 啄木が影響を受けたといわれる歌人・土岐哀果 とき あいか に次の歌があります。 わが命 砂の時計のさらさらの 音のまにまに神に帰るか 原文はローマ字表記 瓶にさす 藤の花ぶさみじかければ たたみの上にとどかざりけり 【作者】正岡子規 【歌集】竹の里歌 【補足】 「瓶」の読みは「かめ」です。 子規の随筆『墨汁一滴 ぼくじゅういってき 』によれば、この歌が詠まれたのは明治34年4月28日であり、翌29日の文章には「枕辺を見れば 瓶中 へいちゅう の藤 紫にして一尺 =約 30cm 垂れたり」とあります。 清水へ 祇園をよぎる桜月夜 今宵逢ふ人みなうつくしき 【作者】与謝野晶子 【収録歌集】みだれ髪 【私感】 祇園、桜、月とそろった美しい夜の情景が思い浮かぶとともに、少し浮き立つような気持ちが感じられる歌です。 くれなゐの 二尺伸びたる薔薇の芽の 針やはらかに春雨のふる 【作者】正岡子規 【歌集】竹の里歌 【補足】 二尺 にしゃく は約 60cmです。 薔薇 ばら の芽の針 はり=とげ が「 やはらか」であり、また春雨 はるさめ の降り方も「 やはらか」と受け取れます。 この歌のポイントとなっています。 死に近き 母に添い寝のしんしんと 遠田のかはづ天に聞こゆる 【作者】斎藤茂吉 【収録歌集】赤光 【補足】 「遠田 とおだ 」は「遠くの田」の意で、「かはづ」は「カエル 蛙 」のことです。 白鳥 しらとり は かなしからずや空の青 海のあをにも染まずただよふ 【作者】若山牧水 【収録歌集】海の声 【補足】 初めて発表されたのは以下のものでした。 白鳥 はくてう は 哀しからずや海の青 そらのおをにも染まずたゞよふ その子二十 櫛にながるる黒髪の おごりの春のうつくしきかな 【作者】与謝野晶子 【収録歌集】みだれ髪 【補足】 一般的に「その子」とは晶子自身と解釈されることが多い歌です。 たはむれに 母を背負ひてそのあまり 軽 かろ きに泣きて三歩あゆまず 【作者】石川啄木 【収録歌集】一握の砂 我を愛する歌 【補足】 啄木の母親は、体の弱い啄木が丈夫になる事を願って肉食を絶ったといわれています。 東海の 小島の磯の白砂に われ泣きぬれて蟹とたはむる 【作者】石川啄木 【収録歌集】一握の砂 我を愛する歌 【補足】 「東海の小島」は「日本」の意味すると解釈されることがあります。 何ごとも 夢のごとくに過ぎにけり 万燈の上の桃色の月 【作者】北原白秋 【収録歌集】雀の卵 【補足】 万燈 まんどう とは、仏前で灯す数多くの灯火のことをいいます。 のど赤き 玄鳥ふたつ屋梁 はり にゐて 垂乳根の母は死にたまふなり 【作者】斎藤茂吉 【収録歌集】赤光 【補足】 玄鳥 つばくらめ は「ツバメ」の別名で、「屋梁」の読みは「はり」です。 また、「垂乳根の たらちねの 」は「母」に掛かる 枕詞 まくらことば で、特に意味を持ちません。 はたらけど はたらけど猶 なほ わが生活 くらし 楽にならざりぢっと手を見る 【作者】石川啄木 【収録歌集】一握の砂 我を愛する歌 【補足】 この歌が詠まれたのは明治43年 肺結核により亡くなったのが明治45年 とされています。 この年の 12月に第一歌集『 一握の砂』が出版されていますが、当時の啄木の暮らしは楽ではなく多額の借金を抱えていました。 春の鳥、な鳴きそ鳴きそ、あかあかと 外の面 とのも の草に、日の入る夕べ 【作者】北原白秋 【収録歌集】桐の花 【歌意】 春の鳥よ、 どうか 鳴かないでくれ、鳴かないでくれ。 赤々と外一面の草 の中に に日か入っていく夕方に… スポンサーリンク ふるさとの 山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな 【作者】石川啄木 【収録歌集】一握の砂 秋風のこころよさに 【私感】 「ふるさとの山」は岩手山 いわてさん のことと言われています。 これが 2回使われてリズムを生み出しています。 頬につたふ なみだのごはず一握の 砂を示しし人を忘れず 【作者】石川啄木 【収録歌集】一握の砂 我を愛する歌 【補足】 「のごはず」は「拭 ぬぐ わないで」の意味です。 最上川の 上空にして残れるは いまだうつくしき虹の断片 【作者】斎藤茂吉 【収録歌集】白き山 【補足】山形・大石田町の虹ヶ丘公園には、この歌が刻まれた歌碑があります。 やは肌の あつき血汐にふれも見で さびしからずや道を説く君 【作者】与謝野晶 【収録歌集】みだれ髪 【補足】 「さびしからずや」は、「さびしくないのでしょうか」の意です。 有名な短歌の作者たち このページに集めた短歌の作者たちは、他にも優れた歌を数多く残しています。 それらもあわせて是非とも鑑賞してみて下さい。 特に俳句と短歌においては多大な影響を及ぼしており、これらは子規によって改革されたといってよいでしょう。 その短歌には情熱的といわれるものも多かったので、人々からは「 やは肌の晶子」と呼ばれていました。 牧水は旅と自然を愛した歌人で、歌碑が日本の各地に多く残されています。 生前に発表された歌集は『 一握の砂』だけで、後に歌集『 悲しき玩具』などが刊行されるとともに評価が高まっていきました。 特に「 あめふり あめあめふれふれ かあさんが… 」や「 ペチカ 雪のふる夜は たのしいペチカ… 」などの童謡は有名です。 高校生のときに正岡子規の歌集を読んで感動して歌人を志しました。 後に、子規に師事した伊藤左千夫に弟子入りし、短歌の創作に励みました。

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近代短歌への道 正岡子規「くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる」 鑑賞から短歌のコトバを考える

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2015年04月15日 冬に逆戻りのような寒い日が続いていましたが今は束の間の晴れです。 でもまた午後から雷雨と なるようですね。 春雨は桜を散らせてしまいましたが、薔薇にとっては成長を助ける恵みの雨。 ちょっと見ると数枚の葉と一緒に枝だけが土から伸びているだけですが、よくよく観察すれば 茎には赤みがさし、棘を触ればまだ生まれたての柔らかを感じます。 赤いラインが茎にすっと出ているところをみると赤い薔薇が咲くのかも・・茎はしっかりと 太目ですから花は大輪かな・・これから咲こうする花のシルエットが浮かび上がります。 ーどんなことにも兆しってあるものですよねー 実を結びそうな恋、待つことになりそうな恋、別れをともなう恋etc. その時はわからなくても、振り返れば「そういえば・・・あの時・・・」 ということって多いのではないでしょうか。 婚活のシーンも同じです。 「もう一度お会いしてみたい」とお互いが思うということは、 なにかしら未来を予測する兆しを感じたからなのですよ、きっと。 ~成就する恋~ 特別な努力をしているわけでもないのに、あれよあれよとデートしていた、 一緒にいると とても楽しくて明るい気持ちになる、 共感できることが多い、 またすぐに会いたくなるなど、 自他ともに認める ウキウキ感があれば、GOサインです。 深く考えないで楽しみ尽くすこと! 気持にブレーキをかけたり、無理にペースを落としたりしないで 前向きにどうぞ。 目の前にいる人を心から 信じられることが成就の兆しなのかなと思います。 どんなバラが咲くのでしょう 品種は同じでも やはり世界でひとつだけのバラです ~もう一歩の恋~ お見合い後によく聞くのが、 「どうしてあんな素敵な人が結婚相談所で婚活しているんだろう、 何か隠している癖でもあるのかも。。。 すごい遊び人だったりして」という台詞。 特に女子に多いこの思考パターン。 「気になるくらい気にいった」ということなんですけれど・・・ 自分だけをみてくれる 誠実な人であってほしいという願いがこの台詞に隠れています。 自虐的風になりすぎるのはよくない兆しかも・・・ 「恋愛は、その時一瞬が真実」とも言えますから、 「その先へGOできるときにGOしないと、 明日GOできるとは限らない」ということって大いにあるように思うのですが・・・どうですか? そう、 タイミングが重要なんです。 もちろん先へ進んだからって成功するとは言い切れませんが、 それでも、ここぞという時にちゃんとアクセルを踏める人であってほしいです。 ぐずぐずしているのは幸運をつかみそこねる兆しかも・・・ 自分の望みどおりの愛情表現をお相手に求めるのは酷ってもの。 お相手が、 ささやかでも好意を示して くれたら上手に乗ってあげてほしいと思います。 「求めるばかりの一方的」はもちろんダメです。 欲張りすぎるのは何ももらえなくなる兆しにつながるかも・・・ IMAの趣味のひとつ 植物画 渾身の力をこめて描きました! わたしのバラです ~終わる恋~ 「慎重すぎる」、「自信をもてない」、「タイミングをはかれない」、「どちらかが思いやりに欠ける」、 「相手に求めすぎる」、 そして 「 お相手を信じきれない=自分の気持ちに迷いが生じる」。 こんな心の状態の行き着く先は・・・・・別れかもしれません。。。 始まりにははじまりの、終わりにはおわりの兆しがあるものです。 良くない芽は摘み取ってしまいましょう。 お隣の御留山公園にもフレッシュな新芽が萌えています。 皆さんの恋に素敵な萌しがあるように、IMAは優しい雨をふらせたいと思います。 頑張ってね。 お隣のおとめ山の木々も 新緑の季節を迎えています |.

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くれなゐの二尺のびたる薔薇の芽の: 今この時&あの日あの時

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スポンサーリンク 正岡子規の有名な俳句 季節ごとに4選+1選 1句目 柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺 これはもう、問答無用の有名な句ですね! 柿が大好物だったという正岡子規を代表するような一句です。 子規は日清戦争に記者として従軍していたのですが、故郷の松山に戻る途中、肺結核で血を吐き、入院するほどまでに体調が悪くなっていたそうです。 自宅に戻れるくらいに回復するまで、その当時、松山で教員をしていた夏目漱石の下宿に居候したのだとか。 夏目漱石が俳句を詠みはじめたキッカケが正岡子規との交流だったということです。 明治の文学者は意外なところで繋がっていますね。 「柿くへば」の句の意味ですが、読んだそのまま「柿を食べていたら法隆寺の鐘が鳴ったよ」ということなんですが、そこには秘められた感情がある。 きっとあるはず! 実は、私、この句を読んで脳内で思い描いていたイメージがあります。 ちゃぶ台の上に籠いっぱいに積まれた柿の実。 半分開いた障子から差し込む夕日。 そこへ遠くから法隆寺の鐘が、ゴ~ン……。 秋の風情を感じます。 と、そんなイメージですが、実は全然違ったようです。 この句は、 奈良に旅行した子規が、法隆寺参拝の折に茶屋で柿を食べていた。 その時、ちょうど鐘がなった。 そういう景色なのだそうです。 ですが、子規は病気でとても法隆寺参詣など出来なかったという説と、その日は雨だったので参拝は出来なかったという説があり、どちらにしても、実際にあったことではないらしいのです。 想像の中で鳴った法隆寺の鐘の音。 大好きな柿から、実際には聞くことの出来ない鐘の音へと視点が移るというのは、なんだか幻を追いかけるように、もの悲しく感じられますね。 2句目 いくたびも 雪の深さを 尋ねけり この句は、子規が病気で起きられない状態で詠んだ句だそうです。 「自分がいる部屋からは雪が降っている様子は見えない。 だから、外を自由に見に行ける人に何度も雪の深さがどれくらいかを尋ねてしまったんだよなあ」 意味としては そのようなことで、雪が降ったことを子供のように喜んでいる、同時に病気の自分の現実を見つめている。 楽しさと悲しさが同居しているような句のように感じますね。 ちなみに、小説家の高浜虚子が、子規が寝ている部屋に、当時とても高価だったガラス障子をつけてくれたそうです。 その後からは、自分の目で庭を見ることが出来るようになったんですって。 雪の詠み方も変わったのではないでしょうか。 別の雪の句も、またの機会に読んでみたいです。 3句目 春や昔 十五万石の 城下かな この句は正岡子規の故郷、松山のことを詠んだもの。 松山には子規の筆跡を写した句碑が建っているそうです。 江戸時代、松山藩の始祖である松平定行が徳川家康の甥であることを、松山の人たちは、とても誇りにしていたそうです。 そんな歴史のある松山も、今は昔。 しかし、寂しげでも、愛しい故郷であるという感情が見えてくる気がします。 実は、子規がこの句を詠んだのは日清戦争へ従軍する直前のこと。 故郷・松山の姿をしっかりと目に焼き付けていたのでしょう。 4句目 夏嵐 机上の白紙 飛び尽くす 夏に吹く強い風が、机の上の紙を吹き散らした。 部屋の中に舞う紙の白さが、夏の暑さの中に涼し気に見える、そんな句ですね。 この句は明治29年、子規がカリエスという結核菌が原因の骨の病気の手術を受けた年に詠まれたものだそうです。 白紙には何が書かれる予定なのでしょうか。 それとも新聞に寄稿する随筆ということもあるかもしれませんね。 とにかく、病気に負けずにこれからも書いていくんだなということが読み取れる前向きな一句だと思います。 5句目 をとゝひの へちまの水も 取らざりき 絶筆三句といわれる、 死の間際に詠まれた三つの句のうちの一つです。 へちま水というのは、へちまの茎を切って、そこから出る水分を痰切り薬として使うというもの。 子規も使っていたのですね。 でも、それをおとといから取っていない。 もう痰切りを飲んでいる場合ではないほど病状が悪化したのでしょう。 それを客観的にとらえていて、逆に悲しさが増していますよね。 この句を最期に、子規は亡くなったのでした。 スポンサーリンク 正岡子規の短歌5選 次は、短歌を五首、紹介します。 1首目 くれなゐの 二尺伸びたる薔薇の芽の 針やはらかに 春雨のふる 紅色に咲く薔薇の新芽が二尺(約60センチ)も伸びて、そのやわらかい針に春の雨がやわらかに降っている。 いかにも優しくて暖かい感じがしませんか? 春の歌っていいですよね。 薔薇のトゲを「針』というのも面白いですね。 どちらも刺さるし、痛いもの。 そして、雨も「針のような雨」と表現されることもありますよね。 その辺も掛詞になっているのかもしれませんね。 見たものを見たままに詠んで、短歌を読んだ人も、まるでその光景を見たような気持ちになれる。 子規はそういう短歌を目指して、それを「写生」と呼んだそうですよ。 2首目 松の葉の 葉毎に結ぶ白露の 置きてはこぼれ こぼれては置く これも写生歌ですね。 松の葉に露がついていて、それがしずくになってこぼれては、また丸く溜まっていく。 「白露」は、普通はすぐに消えてしまう儚いものの例えに使われますが、子規はその儚いものも消えては生まれるのだと自然の姿を詠みとっているんですね。 葉毎にそんな白露がついている松は遠くからだと、光り輝くように見える気がしませんか? 3首目 人も来ず 春行く庭の水の上に こぼれてたまる 山吹の花 だれも訪ねてこないような、春の終わりの庭の水たまりでしょうか、手水鉢でもあるのでしょうか。 その水の上に散り落ちた山吹の花。 山吹は鮮やかな黄色ですが、その色が、寂しい庭を慰めてくれているみたいですね。 色々な見方ができる風景描写ですね。 4首目 瓶にさす 藤の花ぶさみじかければ たたみの上に とどかざりけり 子規が病気で寝ているので家族が瓶に藤の花を活けてくれたのでしょうね。 その花の房がふっさりと垂れているのですが、たたみにつくことはないほどの長さだと発見したのは、寝ているために低かった目線のおかげなのでしょう。 病気だから気付くこともある。 そんな驚きも含まれているように感じます。 5首目 足たたば 北インヂヤのヒマラヤの エヴェレストなる 雪くはましを 足さえ立てば北インドのヒマラヤ山脈のエヴェレストにある雪を食べたいものだが。 やはり病気を苦にする和歌も詠んでいます。 「足たたば」から始まる和歌はたくさんあります。 子規がカリエスという病気で歩けなくなったのは、まだ三十歳のこと。 行きたいところも、やりたいことも、たくさんあったでしょうね。 でも、そこで「雪を食べてみたい」というのが、食いしん坊だったという子規らしくてほほえましい気持ちにもなっちゃいます。 まとめ 以上、俳句を五句、短歌を五首、ご紹介しました。 季節のこと、病気のこと、人との交わり、いろんな様子が詠いあげられていて、子規の人柄が見えるような気がします。 柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺• いくたびも 雪の深さを 尋ねけり• 春や昔 十五万石の 城下かな• 夏嵐 机上の白紙 飛び尽くす• をとゝひの へちまの水も 取らざりき 【短歌】• くれなゐの 二尺伸びたる薔薇の芽の 針やはらかに 春雨のふる• 松の葉の 葉毎に結ぶ白露の 置きてはこぼれ こぼれては置く• 人も来ず 春行く庭の水の上に こぼれてたまる 山吹の花• 瓶にさす 藤の花ぶさみじかければ たたみの上に とどかざりけり• 病気と闘いながら文学を追求し続けた正岡子規の思いが少しだけですが、分かった気がします。 これからは、恐れることなく俳句を読んでみるのも、また、いつかは自分で俳句を詠んでみるのも、いいかもしれませんね。

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