帝王切開 自閉症。 アユニDが高校時代から自閉症と発達障害でおかしい?帝王切開であごがやばい?

自閉症の原因(1)

帝王切開 自閉症

自閉症論 1章 自閉症の原因(1) 前書き 根拠 脳の障害 カナー博士の報告 日本の自閉症 消耗症 新生児室 愛着の形成期 人見知りと恐怖 愛と愛着 前書き 現在の日本では、カナータイプといわれる典型的な自閉症だけでも1000人に3人と言われています。 約300人に1人です。 自閉症スペクトラムだと、2012年の横浜の統計では約4%です。 約25人に1人です。 ダウン症は約1000人に1人で、聴覚障害も約1000人に1人です。 したがって、自閉症はもっとも発症率が高い障害です。 小規模の小学校でも自閉症の子どもがいるというほど、自閉症は一般的な障害になっています。 幼児期に典型的な自閉症と診断された場合は、成人しても職業につける人は限られています。 なかには、社会で成功している人もいますが、対人関係に困難を抱えています。 このように、自閉症は発症率が高く重篤な障害です。 それにもかかわらず、いまだに原因が解明されていません。 原因が解明されていないばかりか、症状や特徴といった病態の解釈さえも定まっていません。 自閉症の数ある障害のなかでも、1次障害は、 心の理論がないことだとか 認知障害だとか 愛着障害だとか 学者によっても見解がわかれています。 原因も症状の解釈も定まっていないので、療育理論も確立していません。 早期発見、早期療育ということで、早期発見の体制は整ってきました。 しかし、早期発見をしても、なにをどうすれば良いのか早期療育の方針が定まっていません。 自閉症という診断だけして、なんの療育のアドバイスもないという病院もあります。 自閉症の原因を特定し、症状の解釈を確立し、療育法を確立し、予防法を確立することが現代の急務です。 早期発症タイプの自閉症の赤ちゃんには、定型の赤ちゃんのような母子関係が成立していません。 母親の目を見なかったり、母親に抱かれることを求めなかったり、母親の後を追わなかったりします。 それではじめは、母親の性格や育て方が自閉症の原因だと解釈されました。 カナー博士は、自閉症の原因を、「人間関係を形成しにくいといった生得的なハンデキャップ」、だと仮定し 生得的なハンデキャップだけではなく、「母親の客観的で冷たい性格が、人間関係を形成しにくいといった持って生まれたハンディキャップを純粋培養した」、と解釈しました。 自閉症の原因は、生得的な素質と育児環境との複合作用だと解釈したのです。 (『幼児自閉症の研究』) しかしその後、同じように育てられた兄弟のほとんどが健常であること 自閉症の基本障害は対人関係障害ではなく言語・認知障害だという説によって 母親の性格や育て方が自閉症の原因ではないと考えられるようになりました。 (現在は、言語・認知障害説は否定されています。 ) そうやって、母親の育て方といった後天的な育児環境が原因ではないということで 自閉症の原因は先天的だと考えられるようになりました。 環境か器質か、後天的か先天的かといった二者択一で ひとつが消去されたので、残ったもうひとつが原因とみなされたのです。 そうやって登場したのが、 自閉症の原因は先天的な脳の障害という説でした。 生得説の根拠 自閉症の原因は先天的な脳の障害という説の根拠として 自閉症の人には高い割合(約2割)でてんかんの発作が現われるということと 自閉症には心理療法の効果がないことがあげられています。 (旧日本自閉症協会のホームページより) しかし、てんかんの原因は一律ではありません。 てんかんは脳に器質的な障害があるてんかんと、原因不明のてんかんの2種類があります。 脳の器質的な障害というのは 出産時の低酸素性脳障害や頭蓋内出血 脳奇形、頭部外傷、脳炎や髄膜炎の後遺症などです。 ところが、自閉症にはこのような脳の器質的な障害はありません。 したがって、自閉症の人のてんかんは脳の器質的な障害が原因のてんかんというよりは、原因不明のてんかんということになります。 自閉症の人のてんかんが原因不明のてんかんであれば、てんかんがあるからといって、自閉症の原因が生得的な脳の障害だという根拠にはなりません。 また、自閉症の子どもに、精神分析や遊戯療法や箱庭療法などの心理療法をおこなっても、治療効果はほとんどありませんでした。 心理療法の効果がないので、自閉症は生得的な障害だと解釈されました。 しかし、心理療法の効果がないのは、自閉症だけではありません。 麻薬依存症や高所恐怖症は生得的ではありませんが、精神分析などの心理療法をおこなっても治療できません。 麻薬依存症は、強制的に麻薬を断つという行動療法が効果的です。 また、高所恐怖症も行動療法で治療できます。 したがって、心理療法で治療できないからといって、それだけでは生得的な障害だとは断定できません。 結局、てんかんがあることも、心理療法の効果がないことも、自閉症が生得的な障害であることの確かな証拠とは言えないのです。 脳の障害 自閉症は、脳のある特定の異常のために起こります。 (ウタ・フリス編著、『自閉症とアスペルガー症候群』、p17) 自閉症の原因となる生得的な脳の障害として、遺伝的欠陥、脳損傷、脳疾患という3つがあげられています。 双生児の研究で、一卵性双生児の場合は自閉症の一致率が60%ほどでした。 それにたいして、二卵性双生児の場合の自閉症の一致率はほとんど0%でした。 このことから、遺伝子の影響が大きいということが解りました。 これが、遺伝的欠陥という説の有力な根拠になっています。 しかし同時に、遺伝子がまったく同じ一卵性双生児でも、自閉症の一致率が100%ではないので、遺伝要因がすべてではないということも解りました。 はっきりとした自閉症の遺伝子といったものが存在するのであれば、一卵性双生児のひとりが自閉症であれば、かならずもうひとりも自閉症のはずだからです。 イギリスのラター博士らの一卵性双生児の研究で、双子のひとりが自閉症でもうひとりが自閉症ではないといった一致しない場合、自閉症になった双子の一方は、困難な出産を経験した子どもであったということが解りました。 そこで、困難な出産によって出産時に脳が微細な損傷をこうむり、それが自閉症の原因になったと推測されました。 これが、脳損傷説の根拠になっています。 なぜ微細と言うのかというと、検査をしても損傷が見つからないからです。 現代の検査能力では見つからないほど小さい損傷で、将来もっと優れた検査方法が開発されたら見つかるだろうという意味で、微細な脳損傷と考えられています。 微細というのは、あると推定されているけれど見つからないほど小さいという意味です。 こういったことだけを考慮すると、遺伝的欠陥と脳損傷という説には説得力がありそうです。 しかし、一卵性双生児の一致率が100%でないだけでなく、遺伝の影響がうかがえる自閉症の子どもは一部です。 逆に、大多数の自閉症の子どもには遺伝の影響がうかがえません。 カナー博士がはじめに自閉症と診断した100人の子どもの両親と血縁者993人の調査では、精神障害の発症率が異常に低い、まれにみる健康な家系だと報告されています。 (『リムランド著、『小児自閉症』、p153) はじめに自閉症と診断された100人の子どもには、遺伝の影響はまったくうかがえませんでした。 したがって、遺伝的欠陥という説にはそれほど確かな根拠があるわけではないのです。 インフルエンザですが、家族みんなでインフルエンザに罹ってしまう家もあれば、だれも罹らない家もあります。 また、一卵性双生児と二卵性双生児の統計をとれば、一卵性双生児の一致率がかなり高いといった数字がでるはずです。 その統計から、インフルエンザの原因は遺伝子だと言ったら、それはナンセンスです。 遺伝子は体質などに関わってはいても、インフルエンザの原因ではありません。 インフルエンザの原因はウイルスです。 また、出産時の脳損傷が自閉症の原因という説も、出産に問題をかかえていた自閉症の子どもより、出産に問題をかかえていない自閉症の子どものほうが多いです。 カナー博士が最初に報告した11人の自閉症の子どもも、帝王切開の子どもが2人いますが、他の子どもには正常出産という記述はあっても、困難な出産という記述は見当たりません。 (しかし、周産期に異常があったという報告は多いです。 この件については8章で論じます。 ) また、見つからないほど小さな損傷を出産時にうけたとしても、多少の損傷なら、他の健全な部分がおぎなうという能力があるのが脳です。 脳梗塞や交通事故などで脳の一部が損傷をこうむったとしても、その損傷が広範囲でなければ、かなりの程度までリハビリで機能が回復します。 脳は最もタフな臓器といわれています。 まして、検査をしても見つからないほどのちいさな損傷が、おぎなわれることもなく、自閉症という重篤な障害の原因になるというのは説得力に欠けます。 また、ダウン症は外見でも解るといった身体的な特徴がありますが、自閉症は重篤な障害であるにもかかわらず身体的な特徴がありません。 身体的な特徴がないということも、脳障害説では説明が困難です。 また、脳の損傷が見つかるぐらい大きければ自閉症の障害も重度になるはずですが、自閉症児の脳には損傷が見つからないというのが普通です。 また、あとひとつ残る脳の疾患という説ですが、どこからこの説が出てきたのか、わたしには理解できません。 自閉症は、子どもの行動だけで診断します。 子どもの脳の検査をしても、特に問題は見つからないというのが自閉症の特徴です。 わたしは、脳の疾患が自閉症の原因だという子どものことを聞いたことがありません。 結局の所、遺伝的欠陥にも脳損傷にも脳の疾患にも根拠はほとんどありません。 当てはまったとしても、それは一部の子どもに過ぎません。 大多数の自閉症の子どもには当てはまりません。 先天的な脳の障害が自閉症の原因という説には、確かな証拠がないばかりか、理論的にも根拠はほとんどありません。 先天的な脳の障害が自閉症の原因という説には確かな根拠はありません。 そればかりか、この説では説明ができないことが2つあります。 1つは、カナー博士が自閉症を報告した当時、アメリカでは自閉症は上層階層にかたよっていたということです。 もしも、自閉症が先天的な障害であれば、自閉症の発症に階層のかたよりはないはずです。 もう1つは、アメリカでも日本でも、昔は自閉症の子どもはほとんどいなかったということです。 先天的な脳の障害であれば、今も昔も、発症率にほとんど差がないはずです。 これから、この2つを検討します。 カナー博士の報告 1943年に、アメリカのカナー博士がはじめて自閉症をひとつの症候群として報告しました。 ところが、報告された11人の子ども全員が、金持ちでインテリの親の子どもでした。 11人の子どものうちの8人の家系が、アメリカの名士録か科学者録かその両方に載っているというほどの名門でした。 11人の子ども全員が1930年代の生まれでした。 そして、父親は全員社会的に成功していました。 11人の父親のうち10人が大学卒で、1人は高校卒でしたが事業に成功していました。 母親も、11人中9人が大学を出ていました。 残りの2人も、1人は秘書をしていたことがあり、1人は書店の経営者でした。 カナー博士は、自閉症の子どもの階層のかたよりを説明するために、両親の性格を分析しました。 そして、飛びぬけて成功した人たちには客観性と冷静さという共通点があるとしました。 客観性というのは偏見にとらわれないということです。 冷静さというのは感情的でなく理性的ということです。 そして、冷蔵庫のような冷たい性格だと考えました。 感情的接触を形成できないという子どもの生来的なハンディキャップに加えて、冷たい両親の性格が環境要因として働き、自閉症の原因になったと解釈しました。 それで、高学歴で成功した親の子どもに自閉症がかたよったと解釈したのです。 リムランド博士は、親の性格ではなく、非常に優れた遺伝子と非常に優れた遺伝子がかけ合わされると、遺伝子の異常が生まれるケースがあるとか、優れた知能は逸脱と紙一重であるといった可能性を考えました。 (『小児自閉症』) しかし、1930年代とちがって現代では、自閉症の発症に階層のかたよりはありません。 したがって、カナー博士の高学歴の親の冷たい性格が自閉症の原因という説も、 リムランド博士の優れた遺伝子に問題があるといった解釈も、 間違っているのは明らかです。 イギリスの自閉症学者であるフランシス・ハッペは、上層階層へのかたよりを、他の医者から紹介されてカナー博士の所に来たので、上層階層に片寄ったと解釈しています。 (『自閉症の心の世界』) 貧しい家庭や中流家庭では医者を訪ね歩けないし紹介もしてもらえないから、金持ちしかカナー博士のところには来なかったという解釈です。 したがって、1930年代でも、自閉症の発症には上層階層への片寄りはなかったと解釈しています。 しかし、カナー博士はジョン・ホプキンス大学病院の小児科部門に新たに設けられた児童精神科の医師でした。 カナー博士は書いています。 大きな小児科クリニックやその精神科治療室にやってくる子どもたちは、マンションや中流階級の家庭、安アパート、粗末な小屋のような家であり、(『幼児自閉症の研究』、p132) 彼らは、熱っぽい、咳をする、発疹がでた、体重が減少した、骨折した、黄疸がある、けいれんをおこした、息苦しい、どもる、寝小便をする、盗みをする、学習能力が乏しいなどの理由でつれてこられたのです。 (同、p127) カナー博士が勤務していたジョン・ホプキンス大学病院の小児科クリニックは大きかったのです。 大きいということは、大勢の子どもが来ていたということです。 大金持ちの家の子どもも来ていますが、中流階級の家の子どもも、貧しい家の子どもも来ています。 カナー博士は、極少数しかいない特権階級の大金持ちの子どもしか診なかったといった、小さな個人病院の特権的なお医者さんではありませんでした。 実際、自閉症以外の本を読んでいても、この病院名はときどき出てきます。 日本での東大付属病院か、それ以上の病院です。 こういったトップレベルの病院には研修医も大勢います。 当然、患者も大勢いないと困ります。 名士録に載っているような家系や大金持ちの子どもしか診ないといった、患者がぱらぱらしか来ないような小さな病院では研修になりません。 ジョン・ホプキンス大学病院には、ありとあらゆる階層から、ありとあらゆる疾患の子どもが来ていました。 大金持ちの特権階級しか診なかったという病院ではありません。 『大地』、の著者であるパール・バック女史のひとり娘は、1920年生まれですが、フェニールケトン尿症でした。 フェニールケトン尿症は、4歳ぐらいの水準までしか知能が発達しないという、先天性の障害です。 現在は早期発見によって食事療法がおこなわれるようになりましたが、当時は原因が解っていませんでした。 女史が書いています。 わたしは、娘と同じような子どもの親たちとじっくり話しあった経験が幾度となくありますが、どなたの経験も同じでした。 どこかに自分の子どもを治してくれる人がいるにちがいないと信じてその人を探して、世界中を歩きまわるのです。 もっているお金をすべて使い果たし、さらにそのうえに、借りられる限り、お金を借ります。 お医者であれば、そのよしあしをかまわず、藁にもすがる気持ちで、その人のところへ出かけて行きました。 ・・・わたしも同じように、地球の上のあっちこっちへ行ったり来たりして歩きまわりました。 希望はしだいに薄れていったのですが、娘のことを決して治らないと断言してくれるお医者様がいなかったために、希望を完全に失うところまでいきませんでした。 (『母よ嘆くなかれ』、p35) 我が子が原因不明の重篤な障害を抱えていたら、診断と治療を求めて医者をたずねていくのは、上層階層の親だけではありません。 お金が足りなくなれば、借金をしてでも治してくれる医者を探してまわるのです。 それが親の心というものでしょう。 名士録に載っているような家系に属していて、大学を出ていて成功している親は、全体の家庭のうちでどれ位のパーセントをしめていたでしょうか。 1930年ごろ、大学を出ている親はそれほどいなかったはずです。 まして、成功して名士録に載っているような家はそんなに多くはないはずです。 1000軒に1軒、0.1%にも満たないでしょう。 仮に、1000軒に1軒だと仮定します。 そして、自閉症の発症に階層のかたよりがなかったとします。 そうすると0.1%の家庭から11人の自閉症児が来たことになりますから、他の99.9%の家庭には、その1000倍、約1万人の自閉症の子どもがいたことになります。 仮に、貧困層と中流層を半々として、貧困層に5000人の自閉症児がいて、中流層に5000人の自閉症児がいたとします。 カナー博士が勤務していた大学病院には、掘っ立て小屋に住んでいるような貧困層であっても、子どもを連れてきています。 貧困層の家庭では遠くからは子どもを連れて来れないとしても、近くの家庭であれば子どもを連れて来たはずです。 また、中流層であれば、近くからでも遠くからでも、借金をしてでもカナー博士のところに子どもを連れて来たはずです。 ところが、貧困層からも中流層からも、自閉症の子どもはひとりも来ていません。 1万人もいたのであれば、ひとりも来ていないということは考えられません。 ひとりも来ていないというのは、当時、貧困層や中流層には自閉症児はほとんどいなかったと解釈するしかありません。 カナー博士自身、自閉症児の親の階層的な片寄りを不思議に思い、彼の所に来た「50人の自閉症児の次のカルテを選び、比較対照群としましたが、彼らの両親の教育と職業上の地位はかなり低かった」のです(『幼児自閉症の研究』)。 カナー博士の所にきた他の疾患の子どもたちと比べても、自閉症の子どもはあきらかに上層階層にかたよっていました。 イギリスのラター博士も、紹介で来たのでたまたま上層階層に片寄ったという解釈を批判しています。 (カナー博士が)、多数の患者を毎日親しく受け持っていた点を故意に無視している。 なお付け加えるならば、その後の疫学的研究は、自閉症のケースに社会階層分布の差があることを確認するのに役立っている。 (ラター著、『小児自閉症』、p2、1970年) 1970年に出版されたラター博士の本でも、上層階層へのかたよりが指摘されています。 また、カナー博士が勤務していた大学病院の児童精神科に、最初の患者、アルフレッド君が来たのが1938年でした。 論文を発表した1943年までの5年間で、自閉症の子どもは11名しか来ていません。 カナー博士が勤めていたクリニックには、粗末な小屋のような家の子どもも来ています。 寝小便や学業不振の子どもも来ています。 ありとあらゆる階層から、ありとあらゆる疾患の子どもが来ている大きな小児科クリニックでした。 それなのに、自閉症の子どもは、5年間に11人しか来ていません。 論文を発表すると、カナー博士はアメリカだけでなく、世界的にも有名になりました。 北米大陸の全土から自閉症の子どもが来ただけでなく、南米大陸からもアフリカ大陸からも自閉症の子どもが来ました。 しかし、カナー博士の所で自閉症と診断された子どもは、1953年までに96人しかいません(カナー著、『幼児自閉症の研究』)。 論文を発表した後の10年間で、85人しか自閉症の子どもが来ていないというのは、現在と比べると、考えられないぐらい少ないです。 現在の日本では、自閉症の診断で有名な病院だと、予約しても半年待ち、ひどい所では3年待ちというところもあるくらいです。 少しでも自閉症の診断で有名な病院は、自閉症の患者であふれています。 カナー博士は、少し有名どころか、アメリカで有名で、世界でも有名だったのです。 そのカナー博士の所に、1年に8.5人しか自閉症の子どもは来ませんでした。 カナータイプの自閉症の場合は、軽度の自閉症の子どもと違って、親が障害に気がつかないということはありません。 言葉が出ないといったこと以外にも、さまざまな重篤な症状をしめします。 南米大陸からもアフリカ大陸からも、診断を求め治療を求めてカナー博士のもとに来ています。 それなのになぜこんなに少ししか、カナー博士の所に来ていないのでしょうか? 答えは簡単です。 アメリカでは1930年代、1940年代と、自閉症は非常にまれな障害だったのです。 また、カナー博士がはじめに報告した11人の自閉症の子どもはみな、親がインテリの金持ちでした。 当時のアメリカでは、自閉症は非常にまれな障害で、しかも、インテリで金持ちという上層階層の家庭の子どもにかたよっていたのです。 日本の自閉症 では、日本ではどうだったのでしょうか? 日本で最初に自閉症が報告されたのは1952年です。 九州大学で開かれた第49回日本精神神経医学会総会で、名古屋大学精神科の鷲見たえ子という女医さんが、「レオ・カナーのいわゆる早期幼年性自閉症の症例」、を報告しました。 報告された子どもは1945年生まれの男子でした。 治療教育部(1954年) 1954年に、九州大学医学部小児科に「治療教育部」が開設され、医師、教育心理学者、保母さんなどが一体となって障害児の治療教育に当たりました。 しかし、当時の患者は脳性まひ児や精神薄弱児(知恵遅れの子ども)です。 (『乳幼児の早期発達診断』) この頃、自閉症の子どもがいたら、そのほとんどが精神薄弱と診断されていたはずです。 したがって、1000人に3人という現在と同じぐらい自閉症の子どもがいたのであれば、「治療教育部」には、自閉症の子どもが精神薄弱と診断されて大勢来ていたはずです。 ところが、自閉症児の報告はありません。 日本で最初の自閉症の報告が、1952年にこの九州大学でひらかれた学会でおこなわれていることを考えれば、多数の自閉症児が精神薄弱児にまぎれて見逃されていたということは考えられません。 自閉症児と精神薄弱児では多くの点で異なります。 精神薄弱児のなかに自閉症児がまぎれていたら、問題行動の多さと奇妙な行動でかなり目立ちます。 ダウン症の子どもは顔を見れば解ります。 自閉症の子どもはその行動を見れば解ります。 自閉症の子どもはダウン症の子どもと同じぐらい解りやすいです。 自閉症児の診断に慣れた医師なら、診察室に入ってきて椅子に坐る前に自閉症だと解ります。 それほど自閉症児は解りやすいのに、自閉症児の報告がないということは、当時の「治療教育部」には自閉症児は来ていなかったと考えることができます。 児童相談室(1950年) 日本自閉症協会の会長をしている石井哲夫先生は、1950年に大学を卒業して児童相談室に勤めました。 そしてはじめに、児童相談室で15名ほどの知恵遅れの子どもの教育を担当したそうです。 1950年といえば、まだ日本では自閉症という診断名は知られていませんでした。 自閉症の子どもがいれば、ほとんどの子どもは精神薄弱(知恵遅れ)と診断されていたはずです。 したがって、もしも現在と同じぐらい自閉症の子どもがいたのであれば、精神薄弱と診断された子どもの約半数が自閉症の子どもだったはずです。 また、自閉症の子どもの方が知恵遅れの子どもよりも、家庭での養育がより困難です。 したがって、児童相談室には知恵遅れの子どもよりも、自閉症の子どもの方がより多く来ているはずです。 ということは、石井先生が担当した15名の知恵遅れの子どもの半数以上が自閉症の子どもでもおかしくありません。 ところが、15名の知恵遅れの子どものなかに、自閉症の子どもは1人もいませんでした。 自閉症の子どもは、その後、ぼちぼち来るようになったということです。 (石井哲夫著、『自閉症児がふえている』、p12) 自閉症協会の会長が、当時を振り返って、知恵遅れの子どもと自閉症の子どもと混同するはずがありません。 1950年の時点で、児童相談室に来ていた知恵遅れの子ども15名のなかに、自閉症の子どもはひとりもいなかったという報告は、信頼できる報告であり疑う余地はありません。 アメリカでも似たような逸話があります。 『ひとりぼっちのエリー』の自閉症の少女エリーは、1950年代の生まれですが、エリーが小学校で入った特殊学級には、ほかに10人の知恵遅れの子どもがいました。 知恵遅れの子どもが10人いたのですが、自閉症の子どもはエリー1人でした。 知恵遅れの子どもの1人が、「エリーの方が算数はできるけど、お行儀はぼくの方がいいや」、と言ったそうです(p350) お母さんのクララ・パークは、簡単な算数もできない知恵遅れの子どもが、言葉をちゃんと文法通り使えることに驚いています。 自閉症の子どもと知恵遅れの子どもでは、それぐらい違います。 八幡学園 戦前では、のちに画家として有名になった山下清少年が、精神薄弱児主体の収容施設、八幡学園に入っていました。 山下清画伯のそのころの話を読んでも、八幡学園には自閉症らしき子どもはほとんどいません。 (ひとりかふたり、もしかして自閉症かもしれないという子どもがいます。 ) 八幡学園には30人ほどの児童がいましたが、山下少年が、食堂で盗み食いをしたり、近くの農家から桃を盗んだりして、一番の問題児童でした。 自閉症児が何人かいれば、山下少年以上の問題行動をおこしていた子どもがいたはずです。 山下少年が一番の問題児童ということはなかったはずです。 戦前は、子どもは精神病院には入院できなかったそうです。 ですから、家庭での養育が困難になった自閉症児がいたら、八幡学園のような施設に収容されていたはずです。 戦前の日本には、収容施設は5つしかありませんでした。 したがって、八幡学園には自閉症児が大勢いたはずなのです。 ところが、八幡学園には自閉症らしき子どもはほとんどいません。 近江学園 戦後まもなくの1946年に、近江学園が戦災孤児60名と精神薄弱児50名定員の施設として創設されました。 近江学園は、重度の障害を持った子どもでも、頼まれれば断らなかったという施設です。 ところが、その近江学園に自閉症の子どもがはじめて入ってきたのは1955年でした。 (糸賀一雄著、『この子らを世の光に』、282p) それまでは、精神薄弱児50名のなかに自閉症の子どもはひとりもいなかったのです。 自閉症の子どもにはマンツーマンで職員がつく必要があり大変だったそうです。 そののち、自閉症の子どもの数が増えてくると、自閉症の子どもは鍵をかけられた閉鎖棟に入れられるようになりました。 子どもの安全のためには、そうやって保護するしかなかったのです。 現在も、自閉症児の施設では鍵をかけているところがほとんどです。 現在でも、自閉症児の施設のほとんどが閉鎖棟で鍵をかけているということから解るように、八幡学園のような開放されていた施設にはほとんど自閉症の子どもはいなかったと推測することができます。 また、自閉症を研究している玉井収介先生は、自閉症児との最初の出会いは、1952年の前記のはじめて報告された子どもとの出会いであり、次が1959年で、その次が1960年だと書いています(『自閉症』、p32)。 自閉症の研究者が、1960年までに、3人しか自閉症の子どもに出会っていません。 まとめ 日本でも1950年代は、自閉症の子どもはほとんどいませんでした。 かつての日本やアメリカでの自閉症児の少なさと、かつてのアメリカでの上層階層への片寄りは、生得的な脳の障害という説では説明がつきません。 自閉症の原因は、母親の育て方でもなく、生得的な脳の障害でもありません。 では、原因は一体なんなのでしょうか? なぜ、1940年ごろのアメリカでは、自閉症はインテリの金持ちにかたよっていたのでしょうか? そしてその後、全階層に広がったのはなぜでしょうか? ここに自閉症の原因を解く鍵が隠れています。 当時、インテリの金持ちだけがしていたこと。 そしてその後、全階層に広がったこと。 それは一体何なのでしょうか? これを解明できれば、自閉症の原因が解るはずです。 消耗症(Marasmus) カナー博士の論文が発表されたのと同じ1943年に マーガレット・A・リッブルの『乳児の精神衛生』、という本が出版されています。 今では耳にしない病名ですが、消耗症という病気がテーマになっています。 この本が出版された数年前までは 赤ちゃんの病気のなかでは、消耗症という名の病気が一番厄介な病気だったそうです。 赤ちゃんの死因の半分以上が消耗症だったそうです。 ところが、 次のような驚くべき事実が発見されたのでした。 それは、最も良い家庭や病院で、最も注意深く身体的に保護を受けた乳児が、しばしば、この徐々に死んでゆく状態に陥ってゆくのに反して、最も貧しい家庭の乳児でも、母親がよければ、その貧乏と、非衛生的な環境というハンディキャップにうちかって、元気のよい子どもになっていくということです。 つまり前者のような階級の子どもたちの(殺菌消毒のゆきとどいた)生活には欠けていて、どうでもよいような環境のなかで元気になった子どもたちには惜しみなく与えられている要素というものが、実に母親の愛情であるということがわかったのです。 (p11) 貧しい家庭の赤ちゃんは消耗症にかからないで もっとも良い家庭の赤ちゃんが消耗症にかかり亡くなっていたということが調査で解ったのです。 もっとも良い家庭の子どもが消耗症にかかり、もっとも良い家庭の子どもが自閉症になっています。 階層が符合しています。 当時の、最も良い家庭や病院は感染症の予防のために 殺菌消毒といった乳児の身体衛生を第一に考えていました。 乳児の精神衛生のことはまったく考えていなかったのです。 細菌が発見されて、伝染病の原因が細菌だということが解った時代でした。 北里柴三郎や野口秀雄が有名になったように、細菌学が全盛だった時代です。 それで、赤ちゃんの健康のためには、殺菌消毒した部屋に隔離して育てる必要があると考えられたのです。 元気がなくなり消耗して衰弱していく赤ちゃんに、その当時のできる限りの医療をほどこしても、その甲斐もなく亡くなっていったのでした。 消耗症は医療では治療できませんでした。 リッブルは、欠けていたのは母親の愛情だったと書いていますが、 母親の愛情が欠けていたというよりは、ほとんど抱かれなかったということが原因でした。 消耗症にかかった赤ちゃんは、その当時の最高の医療でも治療できませんでしたが、抱くだけで治ったのです。 最も良い家庭の赤ちゃんが消耗症で亡くなりました。 貧しい家庭の赤ちゃんは消耗症にはかからず、元気に育ちました。 当時、乳児の死因の半分以上を消耗症が占めていました。 しかも、消耗症で死ぬ乳児は、少数しかいない最も良い家庭の赤ちゃんに集中していました。 いかに当時の金持ちの家庭の乳児の死亡率が高かったか推測されます。 生まれた赤ちゃんが死なないように、ますます殺菌消毒をして、隔離を強化したのではないでしょうか? アメリカでは1922年に、ヘスが感染症予防のために 赤ちゃんを殺菌消毒された部屋で隔離保育することを考案しました。 当然費用がかかりますから、はじめに隔離保育を採用したのは金持ちのはずです。 また当時は、赤ん坊をあまり抱いて可愛がると、依存心という悪癖がつくという育児論がありました。 あたらしい理論を信じて、はじめに採用するのはインテリです。 日本でも、抱き癖がつくからあまり抱くなという、スポック博士の育児書が一世を風靡した時代がありました。 はじめはインテリの親のあいだに広まりました。 そうやってはじめに、インテリの金持ちが 生まれたばかりの赤ちゃんを、ほとんど抱くことなく、殺菌消毒された部屋で隔離保育したのです。 このことは、カナー博士も指摘しています。 母親たちは、産科医と小児科医のいう規則と制限を文字通り厳密に遂行する義務を負うていると思いこみ、その仕事を立派にやりとげることに腐心し、生真面目にガソリンスタンドの給油機のような機械的なサービスを心がけたのである。 (『幼児自閉症の研究』、p72) 心理学を専攻して卒業したその母親は、子どもは『科学的に』育てられるべきであって、スケジュール以外には泣いても抱きあげてはならないと決心した。 さらに、人間との接触を最小限にすることによって、「子どもたちを伝染病からまもる」、ための努力がなされたのである。 (p110) 新生児室 消耗症の原因が長期にわたる隔離保育だとわかると 長期の隔離保育はおこなわれなくなり、消耗症は姿を消しました。 しかし、生まれてすぐからほとんど抱かれることなく新生児室に入れるという 初期の隔離保育はそのまま続けられました。 そして、近代医療とともに世界中に普及しました。 消耗症で亡くなる赤ちゃんはいなくなりましたが 自閉症になる子どもは全階層に広がり、そして、世界中に広がりました。 (新生児室だけが自閉症のリスク要因だとは考えていません。 しかし、最大のリスク要因だと考えています。 ) 日本では、1950年の病院での出産は4%でした。 その後急激に病院での出産が普及し、1970年には95%になりました。 わずか20年で急激に変わりました。 出産を介助するのは産婆さんから医師へと変わり、自宅出産から病院の分娩室での出産へと変わりました。 また、それとともに新生児室と粉ミルクが普及しました。 赤ちゃんは分娩室で生まれ、新生児室で粉ミルクで育てられるようになりました。 粉ミルクメーカーは、いかに自社の粉ミルクが優れているかということを宣伝しました。 粉ミルクが優れているという宣伝にさらされているうちに 母乳よりも粉ミルクの方が優れているという錯覚さえうまれてしまいました。 (優れているという宣伝にさらされていると、そういった錯覚がうまれてしまうので、現在は、粉ミルクの宣伝は禁止されています。 ) 母乳育児を判定基準にしている、「赤ちゃんにやさしい病院」として認定されている病院は、2004年では、日本には34しかありません。 新生児室にいちども入れられず、母子同室で育てられている赤ちゃんは4%以下です(岡本博行著、『母性を育む』)。 新生児がおかれている環境は、今も恵まれていません。 哺乳類で生まれてすぐに母子分離される赤ちゃんは、人間の赤ちゃんだけではないでしょうか? 母ネコは出産のあと1週間ほどは、トイレと食事以外は子ネコから離れません。 それも、子ネコがお腹が一杯になって眠っているあいだにすませます。 哺乳類で出産直後から母子分離するのは、哺乳類としての自然の摂理に反しています。 自然の摂理に反しているのに、生まれたばかりの赤ちゃんを母子分離して新生児室で寝かせていても、なんの問題もないと考えられています。 母子関係が形成されていない自閉症児のことは 自閉症の学者によって先天的な脳の障害が原因だと解釈されています。 それで、産婦人科医も小児科医も母子分離の問題にまったく気がついていません。 愛着の形成期 では、定型の赤ちゃんの母親への愛と信頼は、どのようにして生まれるのでしょうか? そして、いつごろ生まれるのでしょうか? 母親への愛と信頼というのは、私の大学生のころからの研究テーマでした。 しかし、母親への愛と信頼はいつのまにか生まれていて、その存在は確かでしたがその起源は未知でした。 現在は、出産後の6ヶ月から9ヵ月におよぶ母子の相互作用によって 赤ちゃんの母親への愛着が生まれると考えられています。 人見知りや分離不安といった母親への愛着行動が、生後6ヶ月から9ヶ月ごろに生まれるからです。 半年以上におよぶ母子の相互作用によって母親への愛着は生まれると考えられているので、出産後早期の母子分離は問題にならないと考えられています。 生まれてすぐの赤ちゃんなんて、どうせほとんどなにもわかっていないのだから、母乳を飲ませて寝かせておけばいい、というのが現代の常識ではないでしょうか。 しかし、母親への愛着が生まれるか生まれないかという違いは、母親の育て方の違いではありません。 このことは、自閉症の研究で証明されています。 自閉症の赤ちゃんに母親への愛着が生まれていないのは、母親の育て方のせいではありません。 虐待されている赤ちゃんも、 ネグレクトされていて満足に養育されていない赤ちゃんも、 生後8ヶ月ごろになれば、母親の後を追うようになります。 母親が叩いても蹴とばしても、赤ちゃんは母親の後を追うようになります。 ところが、自閉症の赤ちゃんは、母親が優しく育てても、生後8ヶ月では母親の後を追うようにはなりません。 ではなぜ、虐待されていたり満足に養育されていない赤ちゃんでも母親の後を追うようになるのでしょうか? 赤ちゃんの母親への愛着は一体どのようにして生まれるのでしょうか? 赤ちゃんの母親への愛着が生まれたというのは、人見知りや分離不安が生まれることによって確認されています。 人見知りがはじまるのは、母親と見知らぬ人との識別ができるようになったからだと考えられています。 人見知りがはじまる前は、赤ちゃんは母親と見知らぬ人と識別ができないと考えられています。 母親と見知らぬ人と識別できないので、母親への愛はまだ生まれていないと考えられています。 しかし、小児科医の柳澤慧(さとし)先生は 『いま赤ちゃんが危ない』、という本のなかで書いています。 乳児の1か月検診になると、すぐ近くにいる私や看護婦さんなどには目もくれず、赤ちゃんから1メートルは離れてわきに立っているお母さんを目でずっと追っているのにはいつも驚かされます。 (p27) 赤ちゃんは、生後1ヶ月で母親と見知らぬ人とを識別しています。 母親と見知らぬ人と識別するのに6ヶ月もかかりません。 赤ちゃんは母親だけを見ていて、ほかの人には目もくれません。 なぜでしょうか? 母親のことが好きになっているからです。 デズモンド・モリスによると 赤ん坊は、母親のにおいを驚くほど早い時期に嗅ぎ分けるようになる。 分娩後、寄り添って過ごした母子を観察したところ、新生児は生後わずか四十五時間で、実の母を他の母たちから体臭のみで識別できるとわかった。 (『赤ん坊はなぜかわいい』、p76) これは、母親の乳パッドと他の母親の乳パッドを新生児の顔の左右に置くと 新生児は母親の乳パッドの方へ顔を向ける、という実験で解ったのです。 この実験で見逃してならないのは 実の母親の匂いを他の母親の匂いと識別したという嗅覚の鋭さもさることながら 母親の匂いがする方に顔を向けたということです。 これは、生後2日目には 赤ちゃんは母親の匂いを識別しているだけではなく 母親の匂いが好きになっているということを示しています。 また、井深大氏が ベネズエラの国立産院を訪ねたときのことを報告しています。 ベネズエラでは、お母さんが出産で入院するのは3日間だけだそうです。 2日目に、赤ちゃんを真ん中にしてお母さんが一方から、反対側から他の人が、その子の名前を呼ぶそうです。 すると、何回やっても、お母さんの方を向くそうです。 お母さんに、あなたと赤ちゃんとの絆がいかに強いかということの証拠を見せてあげる為に行われているそうです。 (『親と子の絆』、p284) 生後2日目には母親の声を聞き分けているという聴覚の鋭さもさるものながら 母親の声のほうを向くということが重要です。 生後2日目には、赤ちゃんは母親の声が好きになっています。 また、大藪泰の『新生児心理学』、という本のなかに 「日齢2日の新生児が、母親の生の顔と見知らぬ女性の生の顔とでは、母親の顔を長く見た」と、あります。 母親の顔を長く見たというのも 母親の顔を識別したということだけでなく 生後2日目には母親の顔が好きになっているということを示しています。 生後2日で 赤ちゃんは母親の匂い 母親の声 母親の顔を他の母親と識別しています。 そして、母親の匂いが好きになっていて 母親の声が好きになっていて 母親の顔が好きになっています。 新生児の感覚はまだ分化していないで、共感覚だという指摘があります。 ということは、母親をすべての感覚を動員して認知していて、好きになっているということを意味しています。 赤ちゃんは、生後2日目には、母親を特定していて母親のことが好きになっています。 母親を特定し、母親を好きになるのに6ヶ月もかかるという解釈は誤解なのです。 日本でただ一人自宅出産をおこなっている産婦人科医の大野明子先生は、次のように書いています。 (出産直後から母親に抱かれていた赤ちゃんは)、体重を測り、洋服を着せるだけの間の、ごくわずかな時間、お母さんからほんの少し、30センチほど離れただけなのに、さっきまで静かだった赤ちゃんが泣いたりします。 お母さんにもう一度抱っこされると、すぐ泣きやみます。 うまれたときから赤ちゃんは、お母さんがこんなに好きです。 (『分娩台よ、さようなら』、p261) 大野先生は、赤ちゃんはうまれたときからお母さんが好きです、と書いています。 お母さんのことが好きになるのに、2日もかかっていません。 しかし、母親はうまれた赤ちゃんが我が子だとわかりますが、うまれたばかりの赤ちゃんは誰が母親かわかりません。 誰が母親かわからなければ、うまれたときから母親が好きです、というのは成立しません。 母親として認知する課程が必要です。 したがって、赤ちゃんの母親への愛はうまれたときからあるのではなく、出産後早期に形成されているはずです。 赤ちゃんの母親への愛は、出産後早期に生まれています。 ではどうして、人見知りや分離不安といった愛着行動が生後6ヶ月から9ヵ月ごろに生まれるのでしょうか? 人見知りと恐怖感 生後4ヶ月ころの赤ちゃんは、誰にでも愛嬌を振りまき人気者です。 久しぶりに会った祖父母に抱かれてもニコニコしています。 しかし、生後6ヶ月を過ぎるころになると 久しぶりに会った祖父母を怖がったり、泣いたりして困ったことになってしまいます。 これは、人見知りと呼ばれています。 現在の解釈では 母親と見知らぬ人との識別ができるようになったので人見知りがはじまると考えられています。 しかし、赤ちゃんは生後2日目には 母親を他の母親と、声でも、匂いでも、顔でも、識別できるようになっています。 母親と祖父母を識別できるようになるのに、6ヶ月もかかるという解釈は馬鹿げています。 ではなぜ、人見知りが生後6ヶ月から9ヵ月ごろにはじまるのでしょうか? その理由は、それまでは恐怖感がなかったからなのです。 生後6ヶ月以前には、赤ちゃんに恐怖感は観察できないという報告があります。 サルの研究で有名なアメリカのハーローによると アカゲザルの場合、恐怖反応は生後70〜90日で成熟するということです。 これは、ヒトの6ヶ月から9ヶ月にあたります。 子ネコも産まれて25日ぐらいのあいだ、巣離れする前は恐怖は観察できません。 大きな音を立てても、眠っていると、身体がピクッと反応するだけで目も覚ましません。 また、生後25日ごろの子ネコは掃除機を恐がりません。 掃除機をじっと見ていて逃げません。 しかし、生後30日ごろになると掃除機を恐がるようになり、逃げるようになります。 (生後25日の子ネコが掃除機を恐がらないのは、母ネコと掃除機の区別がつかないからではありません。 ) 生後30日ごろから掃除機を恐がるようになるのは、恐怖感が成熟してきたからです。 ちょうど巣離れの頃で、巣の外にいると、何か危険が迫ったら素早く逃げなくてはなりません。 それで、巣離れの頃が恐怖感の成熟期になっているのです。 腰から下が麻痺している人は恐れや怒りを感じるが、首から下が麻痺した人は、こうした情動をそれほど感じない。 (グッドウィン著、『恐怖症の事実』、p12) 首から下が麻痺した人は、手も足も動かせません。 手も足も動かせないとそれほど恐怖を感じないというのは、動物にとって合理的です。 手も足も動かせなければ、逃げることも戦うこともできません。 逃げることも戦うこともできなければ、恐怖を感じる意味がありません。 動物は動けないうちはそれほど恐怖を感じないようにできています。 生後6ヶ月以前は、赤ちゃんに恐怖はほとんど観察されません。 お腹が減っても泣くし、おむつが濡れても泣きますが、恐いという感情はまだないのです。 恐いという感情がなければ、当然、見知らぬ人も怖がりません。 見知らぬ人を怖がらないのは、母親と見知らぬ人と識別ができないからではありません。 恐怖感がないからです。 愛と愛着 生後4ヶ月ごろの赤ちゃんは、母子分離にそれほど泣かないし、それほど目立った抵抗はしません。 しかし、生後8ヶ月ごろの赤ちゃんは母子分離に激しく抵抗して泣きます。 この現象によって 母親への愛着は、生後6ヶ月から9ヵ月ごろに生まれると解釈されています。 分離の恐怖や、分離不安が現われる以前は、母親への愛は生まれていないと解釈されています。 しかし、これは誤解です。 母親への愛は出産後早期にうまれています。 母子分離の抵抗がうまれたのは、恐怖を感じるようになったからです。 恐怖を感じないうちは、なにも恐くないので 人見知りをしないだけでなく、分離の恐怖も、分離不安も感じないのです。 たとえば、新婚の奥さんは、毎朝夫が会社へ行くのを見送っても泣いたりはしません。 夫がいない昼間も、新婚の奥さんは泣くどころか幸せいっぱいです。 買い物へ行ってもみんなに笑顔を振り撒きます。 夫がいなくても幸せでニコニコしています。 夫は、いてもいなくても良いということでしょうか? 夫への愛はないということでしょうか? そんなことはありません。 愛し愛され、幸せだからこそ、夫がいないあいだもニコニコしているのです。 ところが、夫が兵士となって戦場へ行く別れであれば、新婚の奥さんは激しく泣くはずです。 2度と会えないかもしれないという不安や恐れがあるからです。 新婚の奥さんが夫との別れのときに、泣くか泣かないかは 愛があるか愛がないかの違いではありません。 不安や恐れがあるかないかの違いです。 愛があっても、別れに不安や恐れがなければ、激しく泣くといった分離抵抗は生まれないのです。 それと同じで、生後6ヶ月前の赤ちゃんが 母子分離にそれほど泣かないのは 愛がないからではなく、恐怖感がないからです。 そして、恐怖感がうまれてくると、激しく泣くといった強い抵抗が現われるようになります。 それが、愛着行動として観察されたのです。 愛を行動として観察するのは難しいです。 人見知りや分離の恐怖は観察しやすかったので 今まで科学の対象とされ、確かな知識として認められてきました。 しかし、愛着の形成期と考えられていたのは、恐怖感の成熟期だったのです。 赤ちゃんの母親への愛は、出産後早期にうまれています。 これほど早く赤ちゃんの母親への愛がうまれるというのは、鳥類の刷り込みとおなじです。 刷り込みで有名な動物行動学者のローレンツの本を読みました。 すると、次のような記述が出てきました。 隔離飼育することによって、すべての刷り込み過程を可能な限り妨げると、臆病で、一緒に行動をしようとはしないハイイロガンになる。 そのような障害をもった二羽のハイイロガンを飼育用の囲い地に一緒にしておくと、しばしば向かい合った二つの隅にできるだけ互いに遠く離れて坐るようになる。 同種の仲間に対する彼らの反応は奇妙にメチャクチャである。 この障害の現われ方は、人間において「自閉児」と記載されているものに似ている。 (ローレンツ著、『ハイイロガンの動物行動学』、p145) ハイイロガンは家族や仲間と群れをつくり行動をともにする社会性の強い種です。 夫婦や仲間との関係は人間と非常に良く似ているそうです。 ところが、刷り込みを妨げられた2羽のハイイロガンを一緒に囲いに入れると、行動をともにするどころか、できるだけ遠く離れて坐ったそうです。 通常なら行動をともにするはずの同種の仲間でさえ怖がり、避けました。 また、仲間に対しての反応は奇妙にメチャクチャで、激しい攻撃行動で突進してきているオスを、求愛と勘違いしたメスがいたそうです。 通常なら、読み間違えるはずがない同種の感情を読み間違えました。 ハイイロガンの場合、刷り込みが妨げられると、臆病になって同種さえ避けるようになりました。 また、同種の感情を読み間違えました。 これはまさに自閉症の症状そのものです。 ローレンツのこの文章を読んで、わたしは、自閉症の原因は刷り込みが妨げられたことだと確信しました。 わたしの推測と一致したので、それまでの推測が確信に変わったのでした。 遺伝子説 一卵性双生児の一致率が高いことなどから、私も遺伝子の関与は否定しません。 ニワトリのヒナの実験で、刷り込みが速い遺伝子と、刷り込みが遅い遺伝子があるということが解っています。 ヒナの目の前でニワトリの模型を動かすとすぐに追いかけるヒナと、数回動かさないと追いかけないヒナがいるそうです。 すぐに追いかけるようになるヒナだと、親以外を刷り込んでしまう誤刷り込みの危険があります。 孵化したときに目の前をネコが通ったら、ネコの後を追いかけて食べられてしまうでしょう。 すぐには追いかけるようにならないヒナだと、誤刷り込みの危険は少ないですが、親の刷り込みが遅れたり、刷り込みができなくなる危険があります。 また、明かりに対しての過敏性に関与している遺伝子があるかもしれません。 明かりに過敏だと、それだけ長く目を開けられなくなります。 しかし、いずれの遺伝子が関与していたとしても、出産直後から母子同床で明かりを落とせば、母親の刷り込みに障害がうまれる確率は限りなく0になります。 エビデンス(証拠) 刷り込み障害説にはエビデンスが無いと、日本自閉症スペクトラム学会の発表を2012年、2013年と、2年連続で拒否されました。 学会で発表を拒否されたというのは、これまで長年学会で発表してきましたが、初めてのことで衝撃的でした。 自然出産を行っている吉村医院に自閉症の発症率の調査をお願いしたことがあるのですが、統計を取るのは難しいということでした。 中国の奥地とか、アフリカの奥地とか、南米の奥地での調査が考えられます。 しかし、これらの調査は国家レベルの大がかりな調査になります。 医師でもない私が個人で行えるレベルではありません。 しかし、北米の宗教集団であるアーミッシュでは自閉症の発症率が1万人に1人という統計がネットで見つかりました。 アーミッシュは避妊をしないので子どもの数がとても多いそうです。 基本は助産婦さんが立ち会う家庭出産で、電気の使用も限られています。 祖母などの親類が2週間ほど家事をとりしきってくれるそうです。 初産や難産だと病院出産もあるそうですが、保険に入っていないので高額になります。 家庭出産だと出産前後のケアも含めて約10万円、病院出産だと約70万円、帝王切開だと約220万円ということです。 (ドナルド・B・クレイビル著、『アーミッシュの昨日 今日 明日』) 家庭出産では新生児室のような母子分離はないはずです。 母子分離がなく照明を落とせば自閉症にはならないというエビデンスになります。

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アユニDが高校時代から自閉症と発達障害でおかしい?帝王切開であごがやばい?

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スポンサーリンク 産道から細菌を獲得 新生児の腸内細菌の種類と、母親の産道の最近には明らかな相関関係があることが分かっています。 つまり、自然分娩では新生児は母親の産道を通り、そこで有益なラクトバチルス属の菌を得るのです。 逆に、帝王切開で生まれた新生児は、母親の皮膚の表面に多く見られる細菌群を得ています。 皮膚の表面では有害なブドウ球菌も多く住んでいます。 現在アメリカで生まれる新生児の3分の1は帝王切開で生まれ、このことに対してニューヨーク大学のブレイザー博士は、このように言っています。 「細菌にどんな名前をつけようが重要ではない。 もっと大事なことは、 帝王切開で生まれた子供が持つ最初の細菌は、長年にわたる人類の進化の歴史が選んでこなかった細菌だということである。 」 帝王切開のリスク ブレイザー博士が言うように、自然分娩ではなく帝王切開で子供が生まれるようになったのは、最近のことです。 帝王切開については次のようなリスクがあることが統計結果で得られています。 アレルギーのリスクが5倍に増加• ADHDのリスクが3倍に増加• 自閉症のリスクが2倍に増加• セリアック病のリスクが80%増加• 成人になってからの肥満のリスクが50%増加• 1型糖尿病のリスクが70%増加 などです。 帝王切開は母親や子供の命を救うことができる大切な方法ですが、帝王切開を選ばなくても自然分娩可能であるならば、そちらの方がいいかもしれません。 2001年のアメリカ人の出産の26%が帝王切開でしたが、そのうち45%は医療的に帝王切開が必要がなかったのです。 親になる方は、この事実は知っておいた方がいいと思います。 まとめ いかがだったでしょうか? 近年、腸内細菌が人間に与える関係性が次々に明らかになっています。

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帝王切開って大丈夫なの?痛みや傷跡はどうなるの?

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「帝王切開なんてダメ、あんなの本当のお産じゃない」「赤ちゃんには母乳が一番」「子どもが3歳になるまでは、お母さんがつきっきりで子育てしないとダメ」……よく聞く言説ですが、近年の経済学の研究によって、これらはすべて間違いであると証明されています。 現在東大で経済学を研究し、本人も子どもをもつ山口慎太郎先生が、データ分析から分かった結婚・出産・子育ての真実を語る『「家族の幸せ」の経済学』(7月18日発売・光文社刊)より、帝王切開は子どもの健康にリスクがあるのか、検証します。 お母さんについては、帝王切開のために入院期間が長くなり、分娩後の出血や心停止のリスクが上がることが報告されています。 また、その次以降の妊娠にも悪影響があるとされており、胎盤の異常が発生しやすくなったり、早産が起こりやすくなったりするようです。 帝王切開で生まれてくる子どもについては、肺や呼吸器の機能に問題を抱えたり、免疫発達に問題が生じ、アレルギーや喘息を患いやすくなったりするようです。 また、腸内細菌の種類が減少したりすることも報告されています。 一方で、注意欠陥・多動性障害や自閉症との関係はないものと考えられています。 さまざまな研究が帝王切開の持つ健康上の悪影響を報告していますが、これらにも限界はあり、確定的な知見を得るには至っていないことには注意が必要です。 一般的に言って、帝王切開を行う場合には、そうでない場合と比べて、お母さんと胎児の健康状態が悪い可能性があります。 もしそうならば、帝王切開を行ったお母さんと子どもには健康上の問題が生じやすくなりますが、それはもともとの健康状態が悪かったせいで、帝王切開が原因ではありません。 多くの研究では、もともとの健康状態を考慮に入れて統計学的な分析がなされていますが、そうした取り組みが完璧に行われていない可能性は十分にあるため、まだまだ確定的な評価を下すのは難しく、さらなる研究が必要とされています。 帝王切開が子どもの健康に及ぼす悪影響について、決定的な証拠が出てきてはいないものの、そのメカニズムについては三つの仮説が提示されています。 一つめは、お母さんが持つ細菌や微生物を、赤ちゃんがうまくもらうことができないというものです。 こうした微生物は免疫機構の発達に必要で、特に生まれてからの数週間には重要な役割を果たすと考えられています。 二つめは、通常分娩の際に生じるお母さんのストレスホルモンと、産道を通る際にかかる物理的な力を受けられなくなってしまうためだというものです。 これらは赤ちゃんにとって生理学上重要な刺激ですが、帝王切開では生じないものです。 三つめは、出産方法により遺伝子発現が影響を受けて変化してしまい、赤ちゃんのその後の健康に影響を及ぼすというものです。 いずれの説も、その正しさが十分検証されたとは言えないようですが、出産方法と生まれた子どもの健康の間に関係があることは、生物学的にも説明がつきうるようです。 一方で、繰り返しになりますが、医学上の必要があって行われる帝王切開が多くのお母さんと赤ちゃんの生命を救ってきたことも忘れてはなりません。 今後も、お医者さんが必要と認めれば、ためらわず帝王切開を行うべきことは間違いないのです。 また、帝王切開にはマイナス面が伴うとはいえ、帝王切開を行ったお母さんを批判するようなことはあってはなりませんし、帝王切開で生まれた子どもは問題のある子どもだというような偏見は誤りですから、そうした見方をすべきではありません。 帝王切開がお母さんと子どもの健康に悪影響を及ぼすのならば、その問題を軽減するための支援を提供する制度を築いていく必要があります。 そして、医療制度や法的リスクの問題、人々の認識の変化といった理由によって、不要な帝王切開が生じているのならば、それらを減らすような形で社会制度を調整していくことも同様に必要でしょう。

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