ハセカラ騒動 年表。 長谷川亮太(チンフェ)の現在!ハセカラ騒動炎上で住所・顔画像バレ!

唐澤貴洋の現在!ハセカラ騒動で炎上・逮捕者続出の笑えない殺人予告とは

ハセカラ騒動 年表

その日のうちに本名、出身高校、合格大学、交友関係、およその住所まで特定される。 これをきっかけに、H君への積年の恨みを晴らすような誹謗中傷が始まる。 その直後、Twitterが非公開設定になる。 翌日、唐澤弁護士のカードのみが本人からの申請に基づき削除される。 掲示板では 無差別開示と呼ばれ、一気に「祭り」状態になる。 (通称カラケー) これ以降、カラケーは頻繁に移転を繰り返しながらも、「なんでも実況J」板から少しずつユーザーの移行が進む。 この後、一時閉鎖するまでの約1年間で、数百曲のパカソンが制作される。 (以前から目星を付けられていた住所で完全に確定する) H君の小学校・中学校の卒業アルバム写真が公開される。 しかしその後の騒動で何故かうやむやになり、実害はなかったとされる。 これを受け、唐澤弁護士は約1ヶ月にわたりFacebookに怒涛の投稿。 「~ですを」「声なき声に力を。 」などの発言が話題になる。 この日以後、複数のK大学関係者からのリークが相次ぎ、H君の学籍番号等が判明する。 騒動関係者では初の逮捕者。 掲示板では「玉音放送」などと呼ばれ、一気に「祭り」状態となる。 山岡裕明弁護士と共同。 翌日、山岡弁護士の顔写真も公開される。 唐澤貴洋の例の似顔絵イラストが初めてテレビ放映される。 しかし直前になって唐澤貴洋がドタキャンし、以降は非公開の裁判となる。 ドローンで居宅の外観を撮影、父親の愛車へ悪戯などされるが、賛否両論であったため次第に沈静化。 しかし、裏取り・検証が行われているうちに唐澤貴洋が急いで転居し、再び住所がわからなくなる。 弁護士3人体制となる。 掲示板では、同年8月の天皇陛下のご発言になぞらえて「お気持ち表明」と呼ばれ、一気に「祭り」状態になる。 しかし、翌日には利用が停止される。 2日後、ソーシャルエンジニアリングにより女性画家と唐澤貴洋のFacebookのチャットが流出し、祭りとなる。 弁護士の唐澤貴洋を名乗る人物が直接サーバーにクレームをいれ閉鎖させており、もし本人であれば騒動が始まって以来初めての事例となる。 親族・関係者による公表より早い第一報であったことから炎上し、マスコミでも大きく取り上げられる。 comの電子書籍サービスであるKindleにおいて、唐澤貴洋のなりすまし本が出版される。 なおその後(4月末ごろ)Tokyo Sweets Mafiaは閉店。 これにより、恒心教徒にとって唐澤貴洋尊師が唯一の尊師となる。 所属弁護士であった山岡裕明は新たに八雲法律事務所を設立、山本祥平は弁護士法人ニューポート法律事務所へ所属することとなる。 2ちゃんねる管理人のひろゆき氏と念願の公開対談を果たす。 4月にはニコニコ動画に『唐澤貴洋ちゃんねる』を開設。 これに反発した教徒により、ゆゆうたと関東サウンドプロジェクト、およびその周辺人物への大規模な攻撃が開始される。 この日以降Twitterでの動きが活発化。 以降封印する旨の宣言を行う。 時期 名称 住所 所属弁護士 2010. 12~ 坂本総合法律事務所 東京都千代田区内神田3-20-3 小鍛冶ビル8階 立石邦男、小西一郎、 唐澤貴洋ほか 2011. 7~ 恒心綜合法律事務所 東京都品川区西五反田1-11-1 アイオス五反田駅前1008 唐澤貴洋 2013. 7~ 〃 東京都港区虎ノ門3-16-7 ピュア虎ノ門4階 唐澤貴洋 2015. 2~ 法律事務所クロス 東京都港区虎ノ門3-16-7 ピュア虎ノ門4階 唐澤貴洋、山岡裕明 2016. 2~ 〃 東京都港区虎ノ門5-11-1 オランダヒルズ森タワーRoP707 唐澤貴洋、山岡裕明、 山本祥平 2018. 4~ 〃 東京都港区六本木4-2-45 高會堂ビル301 唐澤貴洋、山岡裕明、 山本祥平 2018. 10~ 法律事務所Steadiness 東京都港区三田2-2-15 三田綱町デュープレックスR's301 唐澤貴洋 2019. 4~ 〃 〃 唐澤貴洋、原田學植.

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ハセカラ民→ネットで爆破予告などをする

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どうも、木村()です。 「」を読みました。 長いので以下、 ネット歴史教科書と呼びます。 前々から買ってあって読もうと思っていたのですが、積み本になっていました。 だって、500ページ近く長いんですもの……。 また、文章的に論じる部分と、資料的な羅列が混ざっているので、どこから読めばいいか迷いました。 しかも 2005年の本です。 でも読みました。 読み始めたきっかけは、 今年2019年1月にNHK教育で放送された「」です。 平成の約30年間をまとめたもので面白かったのですが、当然「 歴史に載るものと載らないもの」が出てくるわけです。 では、「ネット教科書」には何が残されているのだろう?と気になり、読んでみたのでした。 目次 序章 JUNETとfj〜ワールドワイドウェブ以前 第1章 ニッポンの商用インターネットの創成期 第2章 インターネットブームの光と影 第3章 ウワサ話はネットにのって 第4章 個人サイト新世紀〜そしてウェブログへ もうひとつの序章 パソ通フォーエバー 補章 資料 教科書の名にふさわしく、出典が詳しく事実をベースにして語っています。 それに合わせ、サイト運営者によるインタビューなど、 ユーザー目線というか、俗的な歴史が感じられる本となっています。 FLASHやWinny、ブログの話は個人的に体験していた部分ではあったのですが、 テキストサイトやあめぞう(2ちゃんねる誕生の経緯)の話はリアルタイムに経験していなかったので、参考になりました。 この文章では、「昔も今も変わらないもの」と「教科書に載っていないもの」について書いていきます。 昔も今も変わらないもの 羅列的に、今も昔も変わらないなと思ったものを紹介していきます。 ハッキングと捏造 掲示板荒らしやハッキングの話。 1997年5月に、農林水産省の掲示板にアクセスすると オウム真理教のテーマソングが流れるクラッキングを設置した人がいたそうです。 結果として、オウムに強制捜査が行った事件がありました(もちろんオウムは関係ないのですが)。 行政機関のウェブサイトに宗教系のいたずらを仕掛けるという点では、現在の と完全に同じですね。 オウム真理教の部分が恒心教に置き換わった。 そもそも、隠語(ジャーゴン)の使用などの流れは受け継がれています。 参考: 荒らし、炎上への対処方法 掲示板やサイトが荒らされた時の対応策の話は、現在の炎上対策に通じるものがあります。 まず荒らしに対して「警察に通報します」とか「やめてください。 こんなことをして何が楽しいんですか?」などと反応してしまうのは逆効果で、内容は何であれ反応した時点で荒らしの目標は達成されてしまう。 場の空気を乱すことが目的だからだ。 引用:151 僕もハセカラ騒動からまず反省的に学ぶべきこととして、「不用意に削除や法的手段に訴えないこと」があると考えています。 もちろん法的事案で対処すべき段階のことはそうですが、第一段階としては「むやみに反応しない」のがSNS時代の炎上に対しても有効ではないでしょうか。 参考: 新住民と旧住民の対立 インターネットを歴史を整理するときに、何かすべてを網羅し尽くすのは難しく、対立が起こる話もありました。 2002年11月の「blog騒動」と呼ばれるもので、ちょうどウェブログの文化が輸入され盛り上がってきたときに、「ウェブログ的なサイトなら昔からあるではないか」と個人サイト側から反発が起きました。 土地における 旧住民と新住民の対立のようなものですね(これは今のネットでもあります)。 新しい文化と呼ばれ評価されるものが生まれると、これまで自分たちが築いてきた文化がなかったことにされるのではという不安があったのではないか、という分析がされています。 僕もこの「文脈をつなぐ」というサイトで一般にはまだ評価されていないネット文化を残していきたいと思っているので、共感するところがありました。 参考: ネット有名人、ネットウォッチ 2002年に はてなダイアリーが誕生しますが、この時点で「 ネット有名人」という概念が生まれているのは驚きでした。 東浩紀さんや町山智浩さんが、「ネットで有名な有名人」と呼ばれています。 また彼らにはアンチが伴い、 ネットウォッチの文化がすでに確立されているのが驚きでした。 17年経った今でも、変わらないものがあります。 教科書から15年、何が記されているはずなのか? ネット歴史教科書は、素晴らしい本でした。 ……2005年以降のことが記されていないこと(当然)を除けば。 今僕は2019年に生きています。 この15年の空白には、何が描かれているべきなのか。 ネット歴史教科書に取り上げられてしかるべき2005年以降のトピックは、何なのか? 適切な本を僕は知りません。 それを部分的にでも良いから描きたいものです。 まず難しい部分が、 ネットが発達すればするほど、「ネット」というくくりで全体像を描くのが難しくなることです。 「平成ネット史」でもそうだったのですが、00年代の記述は充実していても、10年代になるとふわっとした、あるいは偏った記述で終わってしまった印象があります。 ネット歴史教科書でも、個人サイトやウェブログの「誕生」は描けるのですが、発展して数が増えていくともはやどこを描けば「歴史」と言えるのか定かではなくなってきます。 2005年以降のネットの歴史を記述するなら、例えば「ニコニコ動画の歴史」「Twitterの歴史」など、 サービス単位に限定して描くことが求められるかと思います。 部分的な歴史記述を増やすことで、ようやく全体的な理解にたどり着けるのではないでしょうか。 (例えばTwitterの歴史を記述していく中で、2ちゃんねる時代のコピペが伝承されていることがある……といったように) 特にこの2010年代に起こった変化は、「ネット=PC(ケータイは別の文化を作っていた)」図式だったものが、 モバイル環境が発達してきたことです。 より一般の人が日常的に外でもネットに接続するようになった。 ネットが趣味人の場から、日常的コミュニケーションのインフラとしての位置するようになってきた。 これによって大きな行動の変化が起こっているはずです。 2011年に「」という本が書かれていますが、スマホの登場により、ウェブコンテンツとして SNSとアプリ(そーしゃるゲーム)が新たに登場してきました。 ここでは、ブログや掲示板、動画共有サイトの時代とは異なる文化が生まれてきていることでしょう。 2017年末から盛り上がってきた バーチャルYouTuberについて、僕は「」を書きました。 書いてみて感じるのが、「YouTuber文化論」や「ニコニコ動画文化論」や「Twitter文化論」もまた必要だということです。 民族的な視点からの信頼できる歴史的記述がもっとあってほしい。 Vtuber以外でも、10年代ネットの歴史の記述に部分的に貢献していきたいと思っています。 2010年台のネットって整理するの難しいね。 自分のところだと歴史が書いてある入門記事は 例のアレ: ハセカラ: Vtuber: あたりかな。 TwitterやYoutube、ニコ動全体、なんJあたりの単位では整理できてない。 「」でミームの個人史を少し書きましたが、より体系的な文章を完成させたいです。 ネット全体の歴史を記述するのは難しくても、ミームの歴史という観点なら確かに描けるものがあると確信しています。 ミームについてはこれからも書いていくので、お楽しみに。 木村すらいむ()でした。 ではでは。 こちらもおすすめ.

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「ハセカラ騒動」とは?その原因や経緯まとめ!ハセカラの現在も

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ネット掲示板・2ちゃんねるの「なんでも実況J板」に、「八神太一」と名乗るユーザーがいました。 「八神太一」は、出身地や学歴で人を激しく差別する投稿や、執拗な自分語りでとても迷惑がられていました。 くわえて、東日本大震災の被災者を嘲笑し侮辱する発言や、児童ポルノの「オススメ作品」を挙げるなど、誹謗中傷や犯罪自慢の悪質な書き込みでも知られていました。 そのうえ「自分を特定して追い込んでみろ。 それが出来ないお前らは怖くもなんともない」「俺は嫌な思いしてないからお前らが嫌な思いをしようと関係ない」などと、他のユーザーを挑発する発言を繰り返していました。 そんなある日、掲示板上の言い合いにカッとなった「八神太一」は、自分の合格した大学の合格証を自らネット上に公開してしまいます。 これをきっかけに、日頃から彼の書き込みを不愉快に思っていたユーザー達により、彼の本名や住所などの個人情報が次々に特定されてしまいました。 以下、この高校生を H君と呼びます。 (別名 チンフェ。 本名は有名ですがこのサイトには掲載しません) H君は特定された直後も、その状況を楽しんでいるかのような余裕の発言を繰り返し、「有名人になった」などとはしゃいでいました。 しかし、過去の悪質な書き込みと自分の個人情報が紐づけられることの重大さに気づくと、一転して自分の個人情報などを書かないように要請しはじめます。 とはいえ、H君自身過去に炎上したユーザーの個人情報をばらまいていたこともあり、掲示板ユーザーはまったく聞く耳を持ちません。 追い詰められ八方塞がりになったH君は、ここで最終手段に出ます。 「ネットの誹謗中傷対策に詳しい」と称する弁護士 唐澤貴洋に依頼し、法的措置をちらつかせて鎮火を試みたのです。 まさかの弁護士の登場に、H君の本名などを書き込んでいた多くの掲示板ユーザーは驚き、震え上がりました。 このとき、H君に対する反感はさらに高まりましたが、唐澤貴洋弁護士を逆恨みして攻撃する者はほとんどいませんでした。 むしろ、自業自得で炎上したクソガキの弁護をしなければならない唐澤先生が可哀想だとか、こんなくだらない案件でも業務の一環として真摯に対応する唐澤さんは立派だ、という意見さえみられました。 しかし、唐澤弁護士の過去の職務上の不手際や、非常識な言動が次々に発見されてしまい、次第に彼の弁護士としての能力や人間性に疑問符がつくようになります。 そのうえ、唐澤弁護士のとった法的措置(IP開示請求)には実際にはほとんど意味がなく、こけおどしにすぎない、という見解がユーザー間で多数を占めるようになります。 こうして、掲示板上には唐澤弁護士を小馬鹿にする書き込みや「無能弁護士」などと評価する書き込みが次第に目立つようになっていきました。 この時点で唐澤弁護士の受けた被害といえば、「ひょんなことから掲示板ユーザーに注目され、茶化されたり馬鹿にされたりした」だけでした。 このような炎上騒ぎはネット上ではままあることですが、たいていは黙っていれば自然に鎮火し、忘れ去られていくものです。 しかし、プライドを大いに傷つけられた唐澤貴洋弁護士は、掲示板ユーザーからの悪口や茶化し、さらには純粋な批判にさえ、いちいち過剰反応してしまいました。 特に、自らを話題にした書き込み239件に片っ端から法的措置(IP開示請求)をとったことは有名です。 このとき法的措置をとられた書き込みの中には、「うんこたれ弁護士」などの小学生レベルの悪口や、「唐澤貴洋さんを犯罪者呼ばわりするのはやめようよ」などの擁護意見すら含まれていました。 この「無差別開示」は、唐澤弁護士に対する掲示板ユーザーの心証を決定的に悪化させてしまいました。 その後も、唐澤弁護士は突如Twitterでポエムを披露したり、Facebookで演説を始めたりします。 これらの発言は、掲示板ユーザーの目には「奇行」と映り、面白がられたり、ふざけて真似されたりしました。 こうして、唐澤弁護士を茶化せば茶化すほど、普通なら見られないような反応が返ってきたことから、「唐澤貴洋弁護士をもっと馬鹿にして、もっと面白い反応を見たい」という機運が高まってしまいました。 唐澤弁護士の反応を引き出すために、嫌がらせやおちょくりはエスカレートし続け、唐澤貴洋弁護士は「ネット上の玩具」のような扱いになってしまいます。 ついには、ネット上の空気に乗せられて、半ば冗談のつもりで唐澤弁護士への殺害予告をする者まで現れてしまいます。 こうした流れの一方で、掲示板ユーザーたちは唐澤弁護士のルーツや弁護士としての活動実績について着々と検証・考察を進めてゆきました。 その結果、唐澤弁護士は勝ち目のない裁判を受任したり依頼を放置したりする悪徳弁護士であるとか、上流階級の世間知らずなお坊ちゃまであると結論づける者も現れました。 (もご覧ください。 ) もともと、唐澤弁護士はH君の炎上騒動を解決するために登場した人物でした。 しかし、自己顕示欲のきわめて強いH君がネット上で活動をやめた後も、唐澤弁護士は「面白い反応」を続け、ネットユーザーとバトルを繰り広げてしまいました。 そのため「ハセカラ騒動」はまったく鎮火することなく、H君への攻撃も止むことなく延々と続いてしまいました。 このことから、唐澤弁護士はインターネット上の誹謗中傷を解決するどころか、唐澤弁護士のせいで炎上規模が拡大し、騒動が長期化してしまった、との見方さえあります。 事実、同時期に炎上していたユーザーは弁護士など雇わなかったため、今ではすっかり忘れ去られています。 こうして騒動が長期化した結果、唐澤貴洋弁護士とH君は、発端の「2ちゃんねる・なんでも実況J板」だけでなく「Twitter」や「ニコニコ動画」など、ネット上の他のコミュニティでも次第に知名度を上げていきます。 その結果、普段は他のコミュニティに所属する多くのネットユーザーが、騒動に興味をもち集まってきてしまいました。 良くも悪くも多様なユーザーが集結してしまったことにより、次々に新しい茶化し方・嫌がらせが考案され、実行に移されていきます。 訴求力のあるコンテンツは騒動をさらに広め、ネットユーザーをさらに呼び寄せます。 こうして騒動はひとり歩きし、「自給自足」の時代に突入します。 ここまで膨れ上がると、もはや誰にも鎮火できません。 H君と唐澤弁護士への茶化し・いじり・嫌がらせは「不謹慎で面白いネットコンテンツ」の一種と化してしまったのです。 例えば、 唐澤貴洋弁護士を「尊師」と呼んで崇拝する新興宗教( 恒心教)が成立したり、 唐澤貴洋やH君を茶化す歌が多数作曲されたり、 唐澤貴洋やH君のCGアニメーションが作られたり、 唐澤貴洋をモチーフにしたシールが街中いたるところに貼り付けられたり、 唐澤貴洋の法律事務所を勝手に宣伝する10円硬貨が流通したり、 唐澤貴洋と同僚や父親との倒錯的な官能小説が多数投稿されたり、 唐澤貴洋を名乗って多数のウェブサイトがハッキングされたり、 H君の実家の玄関マットや傘立てや置物が盗難されたり、 H君や唐澤貴洋が凶悪事件の犯人であるというデマが拡散されたり、 H君や唐澤貴洋の誕生日を記念する競馬の協賛レースが行われたり、 H君の父親の自動車が汚損されてGPSを取り付けられたり、 H君や唐澤貴洋になりすまして近所に年賀状が送られ、電子書籍が勝手に出版され、 爆破予告のメールが公的機関に送りつけられたりしました。 こうして「インターネットに強い弁護士」唐澤貴洋弁護士は、日本のインターネット史上類を見ない規模の炎上の爆心地になってしまいました。 ネットユーザーのおふざけ・嫌がらせと、それに対する唐澤貴洋弁護士の反応によって長年続いてきた「ハセカラ騒動」ですが、2017年頃から事態は大きく動き始めます。 唐澤貴洋弁護士が、一連の騒動を自身の営業に利用し始めたのです。 唐澤弁護士は「インターネットの炎上事件に詳しい弁護士」兼「国内最大のインターネット炎上被害者」として、数々のメディアに精力的に出演。 「ネット炎上の被害者である高校生の依頼を受けた瞬間から誹謗中傷の被害を受けるようになった」 「弁護士として活動しただけなのに100万回殺害予告を受けた」などと騒動の原因を分析したうえ、 「私のような炎上被害者に対する法整備は不十分だ、発信者をもっと容易に特定できるような法改正が必要だ」と主張しはじめます。 特にNHKでは1時間近いドキュメンタリー番組が制作され、一連の騒動についての詳しい紹介が唐澤弁護士に寄り添った視点でなされました。 さらに唐澤弁護士は、「炎上弁護士 なぜ僕が100万回の殺害予告を受けることになったのか」 「そのツイート炎上します! 100万回の殺害予告を受けた弁護士が教える危機管理」と題する書籍を上梓。 バラエティ番組に出演した際は、サイン本のプレゼント企画まで行っています。 「炎上弁護士」というアンデンティティを得た唐澤貴洋は、ついにはYouTubeチャンネル『弁護士唐澤貴洋のCALL IN SHOW』を開設し、YouTuberデビュー。 こうした動きに対してネットユーザーの間では「100万回空き巣に入られた人の防犯術を誰が欲しがるのか」と呆れる声や、「H君の炎上を解決できなかったことに何の罪悪感もないのか」と批判する声もみられました。 その一方で、唐澤貴洋は政治活動団体「しばき隊」や「NHKから国民を守る党」などと親交を深め、政治的発言を繰り返すようになります。 さらに、AV監督とコラボした「おっさんずラボ。 」なる企画や「唐澤貴洋のゲーム実況」など、面白コンテンツとして自らを売り出し始めます。 こうして「ハセカラ騒動」は、今日では唐澤貴洋弁護士を中心とした炎上事件として知られるようになりました。

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