明治 時代 出来事。 明治時代の良いとこと悪いとこ教えてください 人物 出来事色々...

1889年にあった出来事や活躍した人物 Weblio辞書

明治 時代 出来事

詳細は「」および「」を参照• 頃 の統一。 の成立。 以後 しばしば中国に遣使()。 (任那)4県を百済に譲渡• 国造、。 (一説に) の、及びを献ず(伝来、)。 (任那)問題で失脚• 552年 とがを展開• (任那)の日本府がに滅ぼされる。 (帰化人)の来航。 によりがを滅ぼす。 史料上初の派遣(より)。 - の。 を制定。 を制定。 をに遣わす。 607年 の創建。 をに遣わす。 の初め。 (元年) と によって、宗家が滅ぼされる()。 始まる。 (大化2年)• 高句麗が唐・新羅に滅ぼされる。 高句麗人渡来()• に遷都する。 頃 を鋳造する。 を制定する。 、諸国で官舎・民家が倒壊、で田畑が海没。。 にする。 (元年) 、国号を日本に改める。 の成立。 (和銅元年) 銀銭及び銅銭を鋳造する()。 奈良時代 [ ] 詳細は「」を参照• (3年) に遷都する。 (和銅5年) 『』の成立。 (2年) の成立(実施は(元年)から)。 (養老4年) 『』の成立。 ら、による社会事業が諸国で行われる。 (養老7年) を定める。 (6年)• (天平元年) の后にを冊立。 (12年)• (天平13年。 一説に) 諸国にを造らしむ。 (天平15年) を定める。 (4年) の開眼供養。 (天平勝宝6年) 唐僧 、来朝してを伝える。 (天平宝字元年)• (天平宝字3年)頃 『』の成立。 (天平宝字8年)• (元年) 、禅師となる。 (3年)• (元年)• (延暦3年) に遷都する。 平安時代 [ ] 「」も参照• (延暦13年) に遷都する。 (延暦20年) 、を平定する。 (延暦24年) が行われる。 (元年) を置く。 (弘仁元年)• (弘仁7年) このころを置く。 (10年) の撰上。 (9年)• (2年) 、摂政の職務を行う。 (8年)• (貞観11年) 、地大震動、大津波。 (2年)• (3年) 、となる(関白の初め)。 、諸国大震、大津波。 (仁和4年)• (寛平5年) 初めてを置く。 の登場• (6年) 遣唐使を廃止する。 (4年) (、に左遷される。 (5年) 『』の成立。 (5年) の撰上(施行は(4年)から)。 (5年) - (4年)• (承平7年) を下して、を追捕せしむ。 (天慶2年) の乱• (天慶2年) の乱(天慶の乱)• (天慶3年) ・押領使ら、平将門を誅する。 941年(天慶4年) ・追捕使ら、藤原純友を誅する。 939年(天慶2年) - 941年(天慶4年)• (2年)• (2年) の・ら、の非政を訴える()。 1000年 - 1014年頃 の『』、 の『』が成立する。 (元年) 、となる。 (寛仁3年)• (元年)• (6年) 起こる。 (元年)。 初めてを置く。 (延久5年) 院の蔵人所を置く。 (3年) 起こる。 (3年) 、を始める。 (3年) 、大津波。 (2年) 、昇殿を許される(初めて武士がとなる)。 (元年) 、昇殿を許される。 (元年)• (元年)• (2年) 、太政大臣となる。 または(3年)) の編による『』が成立。 起きる。 (元年)• (治承4年) - 1185年(4年) (源平合戦)• 1180年(治承4年)4月 、平家追討のを発し、らとともに挙兵する()。 1180年(治承4年)6月• 1180年(治承4年)8月 、で挙兵する()。 1180年(治承4年)10月• (治承5年)4月• (寿永2年)5月• 1183年(寿永2年)11月• (寿永3年)1月• 1184年(寿永3年)2月 ら、で平家軍に大勝する()。 (寿永4年)2月• 1185年(寿永4年)3月 (平氏滅亡)• (5年)7月 - 同年9月• 1189年(文治5年)8月 中世 [ ] 鎌倉時代 [ ] 「」も参照• 1184年(寿永3年) 頼朝、に・を置く。 1185年(文治元年) 頼朝、を得て、諸国にとを置く。 (3年) 頼朝、に任ぜられ、鎌倉にを開く()。 (2年)• (3年)• (2年)• (2年) の『』が成立。 (元年)• (建保元年)• 1220年(承久2年) の『』が成立。 (3年)• (元年)• (元年) を制定する。 (元年)• 琉球王が即位したと伝わる。 (5年) がに就く。 (文永9年)• (蒙古襲来)• (11年)• (4年)• (8年) (岩戸合戦)• (弘安9年) の議、起こる(翌年、のが譲位し、のが即位。 (元年)• (元年)。。 (永仁5年)• (3年)• (元年)• (元年)• (正中2年)• 1331年? (元弘元年) の『』が成立。 (元年) - (元弘3年)• 1331年(元弘元年) 、で挙兵する。 1333年(元弘3年)5月11日• 1333年(元弘3年)5月12日• 1333年(元弘3年)5月15日• 1333年(元弘3年)5月16日• 1333年(元弘3年)5月22日。 ら、自害して滅亡。 1331年(元弘元年) が即位する(の初め)。 室町時代 [ ] 詳細は「」を参照• 1336年(元年) 後醍醐天皇、へ還幸(の初め)。 (延元4年) の『』が成立。 (3年(北朝 4年))• 1336年(北朝 建武3年) 足利尊氏、・らに命じて『』を制定し、政権の骨格を示す。 (北朝 元年) 足利尊氏、征夷大将軍に補任され、京都に幕府を開く()。 (北朝 2年)• (北朝 元年、南朝16年) 、大津波。 (北朝 元年) を施行する。 (北朝 4年) 、京都今出川付近に新弟()を造営し始める。 (北朝 元年)• (北朝 康応元年) - (北朝 明徳元年)• (北朝 2年)• (9年(北朝 明徳3年)) 室町時代 [ ]• (元年) 足利義満、となる。 (応永6年)• (応永7年)• (応永8年) (勘合貿易)の開始((18年)まで)。 (応永23年)• (応永26年)• (元年)• (正長2年)• が興る。 (10年) - 1439年(永享11年)• (永享12年)• (元年)• (嘉吉3年)• (3年) - (14年) (東国における戦国時代の始まりとする説もある)• (元年)• (元年) 戦国時代 [ ] 詳細は「」を参照• (元年) - 1477年(文明9年) (始まる)• (17年) - (2年)• (文明18年) 、『山水長巻』を完成させる。 (元年) - (2年)• 1487年(長享元年) - (3年)• (2年)• (延徳元年) 、を完成させる(の創建は、翌(延徳2年))。 (2年) (これを戦国時代の始まりとする説もある)• (明応7年) 、東海道大津波。 (永正4年)• (永正7年)• (3年)• (4年)• (天文元年) - (天文4年)• (天文5年)• (天文12年、一説に1542年(天文11年)) 人、に漂着し、。 (天文18年) の 、に上陸し、。 1550年代 はじまる。 (天文22年) - (7年)• 1553年(天文22年) 第1次合戦• (天文24年) 第2次合戦• (3年) 第3次合戦• (永禄4年) 第4次合戦。 最大の激戦。 1564年(永禄7年) 第5次合戦• (元年)• (3年)• (永禄11年) 、を奉じて入京する。 (元年)• 1570年(元亀元年)• (元亀3年)• 1572年(元亀3年)• (元年) 織田信長、足利義昭を追放して、滅亡。 近世 [ ] 安土桃山時代 [ ] 詳細は「」を参照• 1575年(天正3年)• 1576年(天正4年) の築城開始。 1578~1579年(天正6~7年)• 1581年(天正9年)• 1582年(天正10年)• 1582年(天正10年)• 1582年(天正10年) -• 1582年(天正10年) - 1590年(天正18年) が渡来。 1582年(天正10年) - 1598年(慶長3年)• 1584年(天正12年)• 1585年(天正13年) 、となる(翌年、となり、の姓を賜う。 1586年(天正13年11月) 、埋没、倒壊、の娘、乳母ら圧死。 1587年(天正15年) 豊臣秀吉が、を定め、のを追放する。 1588年(天正16年) 豊臣秀吉が、を定める。 1590年(天正18年) 、(豊臣秀吉の関東平定、全国統一)• 1591年(天正19年) 豊臣秀吉、にを命じる。 1591年(天正19年) 豊臣秀吉が、を定め、の身分体系を確定する。 1592年(元年) を定め、全国の戸口調査を行う。 (朝鮮出兵)• 1592年(文禄元年) - 1593年(文禄2年) 文禄の役• 1597年(慶長2年) - 1598年(慶長3年) 慶長の役• 1596年(元年)。 、大破。 1598年(慶長3年) 豊臣秀吉、伏見城(後の桃山)で没する。 1600年(慶長5年) 、・のが日本に上陸。 江戸時代 [ ] 詳細は「」を参照 初期• 1601年(慶長6年) ・鋳造開始。 1603年(慶長8年)• 、伏見城で征夷大将軍の宣下を受け、を開く。 現在のが築城され、将軍宣下に伴う賀儀が挙行される。 1609年(慶長14年)• 琉球王国は薩摩藩の支配下に入る• 朝鮮とを結ぶ• 1611年(慶長16年) 、大津波で伊達領大被害。 1614年(慶長19年) - 1615年(元和元年)• 1614年(慶長19年) 大坂冬の陣• 1615年(元和元年) 大坂夏の陣。 豊臣氏滅ぶ。 1615年(元年) (元和令)、を定める。 1616年(元和2年) 欧船の来航を平戸・長崎に制限する。 (元和3年) のがに浮かぶを発見。 1623年(元和9年) 、伏見城で征夷大将軍の宣下を受ける。 1624年(寛永元年) スペイン人の来航を禁じる。 1629年(6年)• 1633年(寛永10年)• 1633年(寛永10年) 以外の海外渡航を禁じ、海外渡航者の帰国を制限する。 1635年(寛永12年)• 1635年(寛永12年) 制を確立する。 1636年(寛永13年) ・・で鋳造開始、確立。 1637年(寛永14年) - 1638年(寛永15年)• 1639年(寛永16年) ポルトガル人の来航を禁じる。 1641年(寛永18年) オランダ人を長崎に移す(の完成)。 1642年(寛永19年)頃• 1643年(寛永20年) を定める。 1651年(4年) 由井正雪の乱()• 1657年(明暦3年)• 1660年(万治3年)• 寛文の二大美事(武家諸法度の改定(寛文令))• 1663年(寛文3年) を禁じる。 1665年(寛文5年) のを廃止する。 1666年(寛文6年) (現存する邦文最古のもの)の初め。 1669年(寛文9年)• (寛文10年) の船がを発見。 1679年(延宝7年) - 1681年(天和元年) 中期• 1682年(天和2年) 、『』を発表。 1683年(天和3年) 事件• 1684年(貞享元年) 、を作る。 1687年(貞享4年) を定める。 (5年) 日本と朝鮮の間にをめぐる領土問題が発生()。 1695年(元禄8年) 元禄の貨幣吹替、・の品位を下げ、通貨量を増大。 1697年(元禄10年) 、『』を刊行する。 1701年(元禄14年)• 1703年(元禄16年) の『』、により初演される。 、大津波、関東諸国大被害。 1707年(宝永4年) 、五畿七道諸国強震、東海道・に大津波。 (誕生)• 1709年(宝永6年) ・を登用する。 1712年(正徳2年) を再び設置する。 1715年(正徳5年) を定める。 1716年(享保元年) 、征夷大将軍となる。 1717年(享保2年) をに登用する。 1721年(享保6年) を設置する。 1722年(享保7年) を定める。 1723年(享保8年) を定める。 1742年(寛保2年) を定める。 1753年(宝暦3年)• 1758年(宝暦8年)• 1767年(明和4年)• 田沼時代• 1767年(明和4年) 、となる。 1771年(明和8年) 、・に大津波。 1772年(安永元年) 田沼意次、となる。 1782年(天明2年) を開墾する((天明6年)に中止。 1784年(天明4年) 開拓を企図し、調査させる。 1785年(天明5年) 下総国を開墾する(翌年完成、洪水にて流失。 1786年(天明6年) 田沼意次、罷免される(翌年、減封され、を収公される。 1783年(天明3年) 噴火• 1783年(天明3年) - 1788年(天明8年)• 1787年(天明7年) 、老中筆頭となり、を発する。 1789年(寛政元年) を定める。 1790年(寛政2年)• 1791年(寛政3年) にを建て、を創設。 1792年(寛政4年) の『』(前年に出版)による筆禍事件。。 1789年(寛政元年) が実父にの尊号を贈ろうとするも、幕府に拒絶される。 1791年(寛政3年) 、新たに関白となり、再度幕府に要求。 1793年(寛政5年) ・ら、関東へ下向して幕府の審問を受け、免職される。 1788年(天明8年) 京都、炎上する。 寛政元年。 1791年(寛政3年) 商船号が、に来航。 1792年(寛政4年) 使節、伊勢の漂民・を伴いに来航、通商を要求するも幕府は拒絶。 1797年(寛政9年) イギリス船、蝦夷地に来航。 1797年(寛政9年) (聖堂)を官学校とする。 1798年(寛政10年) 本居宣長、『古事記伝』を完成させる。 1800年(寛政12年) 、蝦夷地を測量する。 1804年(文化元年) ロシア使節、長崎に来航し通商を要求。 1807年(文化4年) 箱館奉行を廃止し、を置く。 1808年(文化5年) 沿岸の砲台修築を起工する。 がを探検しを発見する。 イギリスのフェートン号が長崎に来航して補給を強要、・が引責して自殺()。 1811年(文化8年) ロシアの軍艦艦長、で捕らえられる()。 1825年(文政8年) (外国船打払令、異国船無二念打払令)。 1828年(文政11年) 付のドイツ人医師に諜報の嫌疑がかけられ、連座した・ら処罰される()。 1833年(天保4年) - 1839年(天保10年)• 1834年(天保5年) 、老中となる。 1835年(天保6年)• 1837年(天保8年)。。 アメリカ船モリソン号、漂民を伴いに入港するも、打払令により撃退される()。 1839年(天保10年)• 1842年(天保13年) 天保• 1844年(弘化元年) オランダ国王、親書を送り開国を勧告する。 1846年(弘化3年) アメリカ使節、相模国浦賀に来航し通商を要求。 末期(幕末) 詳細は「」を参照• 1853年(嘉永6年) :艦隊、艦隊来航。 11月改元。 1855年(安政2年) ()、日露和親条約調印。 1856年(安政3年) が下田に着任• 1858年(安政5年)• 、大老となる。 (- 1859年(安政6年))• 3月、改元。 2月、改元。 1862年(文久2年) 、、• 1863年(文久3年) 、、、、。 2月、改元。 、・、、。 (長州征伐)• 1864年(元治元年) 第一次長州征討• 「」に改元。 1865年(慶応元年) 第二次長州征討• 1866年(慶応2年)• 1867年(慶応3年) ・• 1868年(慶応4年)• 、、、、 近代 [ ] 明治期 [ ]• (2年)、、からに改称。 (3年)。 (4年)、締結、の派遣)• (5年)廃止、公布、から間に日本初のが開通、がへ。 (6年)採用、公布、禁教解禁、、。 (7年)設立、設立。 (8年)公布、設立、締結、。 (9年)締結、公布、殺人事件。 (10年)、設立。 (11年)。 (12年)。 (14年)、、結成。 (15年)結成、、強盗事件。 (17年)、、。 (18年)廃止。 (19年)。 (21年)施行。 (22年)発布、全線開通。 (23年)実施。 (24年)。 (26年)。 (27年)締結、。 (28年)締結、。 (29年)第一回開催• (31年)。 (32年)。 (33年)結成。 (34年)建設。 (35年)締結。 (37年)。 (38年)署名、設置、、。 (41年)、。 (42年)。 (43年)締結、。 (45年)崩御、に改元。 大正期 [ ]• ()、、。 (3年)、。 〜 開戦。 「」も参照 戦後の占領期(1945年(昭和20年) - 1952年(昭和27年))についてはも参照。 1946年(昭和21年) - 1950年(昭和25年)• 公布(1947年(昭和22年)5月施行)、、。 ・締結。 (28年)放送開始、返還。 (29年)設置。 (30年)発生。 発効、。 (33年)完成。 発効、、、放送開始。 発生、開催。 (40年)締結。 (43年)開業、返還。 (44年)、が人類初の月面着陸。 (大阪万博)開催。。 、、、調印。 、移行。 (51年)• (53年)、開港、締結。 (60年)開催、。 (63年)。 (64年)崩御、に改元。 平成期 [ ].

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昭和からの贈りもの 明治時代の出来事 明治31年〜明治40年

明治 時代 出来事

広告 幕末によって江戸幕府が倒れ、代わりに明治政府が生まれました。 明治政府はイギリスなどの外国に対抗するため、富国強兵と殖産興業をスローガンに日本を強くしていきます。 八幡製鉄所や富岡製糸場などの大規模な工場が作られたり、東京に鉄道がしかれたりしました。 製鉄所、鉄道、銀行、郵便、電話、小学校、大学、新聞といったあらゆるものが生まれたおかげで、日本は他国に負けない国力をつけることに成功し、日清・日露戦争に勝利する土台が整いました。 国内の政治で成功したからこそ、戦争でも成功したといえます。 明治政府を作った人たち(画像はパブリックドメイン。 以降、当記事の画像はすべてパブリックドメインになります) 戦争 明治時代に起きた戦争は日清戦争と日露戦争の二つ。 特に日露戦争はその後の世界に大きな影響を与えたことからテストや入試でよく出る。 1894年 日清戦争 1894年に起きた日清戦争は日本と中国が朝鮮をめぐって対立した戦争です。 もともと朝鮮は中国(当時は清という名前)と朝貢関係にあり、清に従うような形をとっていました。 朝鮮への影響力を高めたかった当時の日本は、朝鮮から清を排除しようと日清戦争を引き起こしました。 日清戦争で日本は勝利し、日本の伊藤博文と陸奥宗光(むつむねみつ)と清の李鴻章(りこうしょう)の間で下関条約が結ばれました。 この下関条約で清は朝鮮の独立を認め、さらに日本に遼東半島(りゃおとんはんとう)を渡しました。 しかしここで思わぬことが起きます。 これは三国干渉と呼ばれます。 日本はしぶしぶこれを認め、遼東半島を清に返しましたが、以降日本とロシアは対立を深めます。 1904年 日露戦争 詳しくはを参照。 日露戦争が起きる前、日清戦争で負けた清はロシアなどのヨーロッパ各国に支配されるようになってしまいました。 これは中国分割と呼ばれます。 中でもロシアは中国東北部の満州という地域を支配しましたが、これにイギリスとアメリカが反対しました。 また満州の下には朝鮮があり、日清戦争勝利によって朝鮮への影響力を強めていた日本にとって、ロシアの南下は認められないものでした。 日本とイギリスは日英同盟を結び、ロシアに満州支配を止めるように説得するも、ロシアはこれを拒否。 こうして日露戦争が始まりましたが、当時のロシアは列強の一国であり、明治維新によって近代化したばかりの日本は苦戦を強いられます。 しかし日本海において日本海軍がロシア海軍を破ったことをきっかけに、日本はロシアに勝利しました。 日露戦争後、日本(代表は小村寿太郎)とロシアはポーツマス条約を結びますが、日本は清の旅順・大連と樺太の北緯50度以南を手に入れただけで賠償金をまったくとれませんでした。 当時の日本人はこれに激怒し、日比谷焼打事件などが起きました。 広告 1910年 韓国併合 日露戦争のポーツマス条約によって日本の韓国への影響力は確かなものになり、ついに日本は韓国を植民地化しました。 これを韓国併合といいます。 なお、日清戦争と日露戦争の年号、条約名、代表者名は中学入試で頻繁に出題されます。 整理するとこのようになります。 年号 戦争 条約 日本代表 1894年 日清戦争 下関条約 伊藤博文 陸奥宗光 1904年 日露戦争 ポーツマス条約 小村寿太郎 国内の政治 徳川家康、秀忠、家光の三代将軍が武家諸法度や参勤交代を制定して全国を支配したように、新しくできた明治政府もまたいくつかの制度を通して全国を支配しました。 それが廃藩置県、地租改正、そして大日本帝国憲法。 まずはこの三つをおさえることが大切です。 明治政府が明治政府として本格的に機能するのは廃藩置県が終わってからです。 1871年 廃藩置県 江戸時代、各地域は藩という形で大名に治められていました。 例えば島津家は薩摩藩(鹿児島県)を、毛利家が長州藩(山口県)を治めていましたが、明治政府はこの藩制度を解体し、明治政府に任命された知事が各地域の行政を行うようにしました。 そして藩という旧式の名前を廃止し、新たに県という名前に変えました。 薩摩藩は鹿児島県に、長州藩は山口県に、土佐藩は高知県になりました。 それまで各藩を統治していた大名は地域を追い出されるような形で東京にやってきます。 こうして明治政府は全国をまとめ上げることに成功したのです。 写真は陸奥宗光。 陸奥宗光は廃藩置県などの重要な政策に携わった。 廃藩置県が行われる前までは明治政府はいわば江戸幕府の代わりにすぎず、地方はあいかわらず各大名によって統治されていたため、明治政府に代わる政府が別のところで生まれる可能性もあったわけです。 廃藩置県が行われたことでようやく明治政府は日本のすべてを統治する大きな政府となりました。 1873年 地租改正 江戸時代まで農民は各地の大名から土地を借りて、米などを耕し、年貢を納めていました。 農民はその土地を勝手に売ることはできず(田畑永代売買の禁止令)、決められた作物以外の作物は作ってはいけませんでした(田畑勝手作りの禁止令)。 農民は土地を持っているようで持っていなかったのです。 明治政府は田畑永代売買の禁止令と田畑勝手作りの禁止令を廃止し、 地券を発行して農民に与えました。 地券はその土地を持っているという証明書です。 地券の発行によって農民は土地を持つことができるようになりました。 地券を与えられた農民は、それまでの大名でなく明治政府に税金を払うことになります。 江戸時代の税金は米などの作物でしたが、明治政府になって税金が貨幣になりました。 地租改正は以下のようにまとめられます。 地券を与えられた農民が明治政府に税金を払う• 税金は米でなく貨幣とする 広告 1889年 大日本帝国憲法 憲法は国の最高法規です。 国がどのような国になるか、国のあり方を決めるものが憲法といえますが、明治政府のあり方を決めることになった大日本帝国憲法は1889年に完成しました。 憲法ができて政府ができたのでなく、政府ができてから憲法ができたという順番はよく理解しましょう。 では大日本帝国憲法によって明治政府はどのような形になったのでしょうか?• 天皇に大きな権力が与えられた• 衆議院と貴族院からなる帝国議会ができた• 人々が政治に関わるようになった の三つがあげられます。 現在はの二院制ですが、当時は衆議院と貴族院でした。 最も重要なポイントが天皇。 憲法によって天皇は陸海軍の統帥権を持つようになりました。 また議会というものができました。 議会はさまざまな法律を作る場所です。 さらに選挙制度が生まれたおかげで人々が政治に関わるようになりました。 それまで明治政府は薩摩藩や長州藩などの藩士たちが中心にいましたが、ここから少しずつ一般の市民が政治に参加し始めます。 とはいえ選挙制度は不十分で、現在のきちんとした選挙制度が整うまで五十年以上の年月が必要でした。 明治時代に発展した技術と文化 明治時代に起きた日清戦争と日露戦争を直接支えたものは日本の貿易と重工業です。 各地に大規模な紡績工場(綿糸などを製造する工場)が作られましたが、その一つに富岡製糸場があります。 富岡製糸場は世界遺産に認定されたのでテストに出やすいでしょう。 逆に各地に工場ができると貿易もますますさかんになりました。 重要なポイントは富岡製糸場などの工場が機械を用いていたことです。 機械を用いることで商品をより大量により安く生産することができます。 富岡製糸場のような「機械を用いた工場」によって国の産業が発展することを、 産業革命といいます。 機械生産を中心とする工業を工場制機械工業といいます。 明治時代初期に産業革命が起きたことで、日本国内にたくさんのお金が流れるようになり、大きな会社が生まれてきます。 これらの会社はやがて鉄や船といった戦争に必要になるものを着々と作り始めていきます。 産業革命によって日本の各地に製鉄所が作られ、北九州に八幡製鉄所が作られました。 八幡製鉄所はやがての一つである北九州工業地帯になりました。

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日本史に登場する重要人物と出来事・特徴 一覧

明治 時代 出来事

7key. html list• 1868(明治1)年1月:鳥羽伏見の戦いが起こる(戊辰戦争のはじまり)。 1868(明治1)年3月:西郷隆盛と勝海舟が会見し、江戸開城を決める。 1868(明治1)年3月:五箇条の御誓文が出される。 1868(明治1)年3月:五榜の掲示が立てられる。 1868(明治1)年5月:奥羽越列藩同盟ができる。 1868(明治1)年5月:討幕軍が上野で彰義隊を破る。 1868(明治1)年7月:江戸をと改称する。 1868(明治1)年9月:明治と改元し一世一元制とする。 1868(明治1)年9月:政府軍が会津若松城の総攻撃を始める。 1868年:革命でイサベラ女王がに亡命する。 1869(明治2)年:この頃、全国で世直し一揆が盛んに起こる。 1869(明治2)年1月:薩長土肥の四藩主が版籍奉還を上奏する。 1869(明治2)年5月:五稜郭の榎本武揚らが降伏し、戊辰戦争が終る。 1869(明治2)年6月:版籍奉還を許可し、藩知事を置く。 1869(明治2)年6月:公卿・諸大名を華族と改称する。 1869(明治2)年12月:・横浜間に電信が開通。 1869(明治2)年12月:士族・卒の称を定める。 1869年:スエズ運河が開通する。 1869年:清がと通商条約を結ぶ。 1870(明治3)年:この頃から廃仏毀釈が盛んになる。 1870(明治3)年8月:・神戸間に電信が開通する。 1870(明治3)年9月:平民が姓を名乗ることを許される。 1870(明治3)年10月:中村正直訳の『西国立志編』ができる。 1870(明治3)年12月:最初の日刊新聞『横浜毎日新聞』が創刊される。 1870年:普仏戦争が起こる。 1870年:パリで革命が起こりが共和制になる。 1870年:が統一される。 1871(明治4)年4月:戸籍法が定められる(翌年実施、壬申戸籍)。 1871(明治4)年7月:廃藩置県が行われ、三府三百二県ができる。 1871(明治4)年8月:斬髪・廃刀が許される。 1871(明治4)年8月:穢多・非人の称を廃止する。 1871(明治4)年9月:田畑勝手作を許可する。 1871(明治4)年11月:岩倉具視らが欧米に出発する(岩倉使節団)。 1871年:が統一されてウィルヘルム一世が皇帝になる。 1871年:パリ・コミューンが成立する。 1872(明治5)年2月:福沢諭吉が『学問ノスヽメ』を、中村正直が『自由之理』を刊行する。 1872(明治5)年7月:マリア・ルーズ号事件が起こる。 1872(明治5)年7月:全国に郵便が施行される。 1872(明治5)年8月:学制を定める。 1872(明治5)年9月:新橋・横浜間に鉄道が開通する。 1872(明治5)年9月:琉球藩を置く。 1872(明治5)年10月:富岡製糸場が開設される。 1872(明治5)年11月:太陰太陽暦を太陽暦に改め、12月3日を明治6年1月1日とする。 1873(明治6)年1月:徴兵令を布告する(この年、各地で徴兵令反対の一揆が起きる)。 1873(明治6)年7月:地租改正条例を布告する。 1873(明治6)年8月:西郷隆盛の朝鮮派遣を決める。 1873(明治6)年9月:岩倉具視らが帰国する。 1873(明治6)年10月:征韓論がやぶれ、西郷隆盛・板垣退助、江藤新平らが参議をやめて下野する。 1873年:・・の三帝協商ができる。 1874(明治7)年1月:板垣退助らが愛国公党を創立する。 1874(明治7)年1月:板垣退助らが民選議員設立建白書を出す。 1874(明治7)年2月:江藤新平らが佐賀の乱を起こす。 1874(明治7)年4月:板垣退助らが土佐で立志社を作る。 1874(明治7)年5月:に出兵し征台の役がおこる。 1874(明治7)年6月:開拓のための屯田兵制度ができる。 1874年:にディズレリー内閣ができる。 1874年:安南がの保護領となる。 1875(明治8)年2月:大久保利通・木戸孝允・板垣退助がで会談、板垣・木戸が政府に戻る(大阪会議)。 1875(明治8)年4月:立憲政体に漸進するとの詔書が出される。 1875(明治8)年5月:と千島・樺太交換条約を結ぶ。 1875(明治8)年9月:江華島事件が起こる。 1875年:がからスエズ運河の株を買い取る。 1875年:西太后の親政が始まる。 1876(明治9)年2月:日韓修好条規が結ばれる。 1876(明治9)年3月:廃刀令が出される。 1876(明治9)年4月:官庁が日曜全休土曜半休制になる。 1876(明治9)年8月:華・士族の家禄・賞典禄をやめ、金禄公債を発行することを決める(翌年実施)。 1876(明治9)年10月:で神風連の乱、福岡で秋月の乱、で萩の乱が起こる。 1876年:ベルが電話を発明する。 1877(明治10)年1月:地租を地価の2. 1877(明治10)年1月:西南戦争が起こる。 1877(明治10)年5月:佐野常民らが博愛社(後の日本赤十字社)をつくる。 1877(明治10)年6月:万国郵便連合に加盟する。 1877(明治10)年6月:立志社の片岡健吉らが国会開設建白書を出す。 1877(明治10)年8月:第一回内国勧業博覧会が開かれる。 1877(明治10)年9月:西郷隆盛が自害し、西南戦争が終る。 1877年:露土戦争が始まる。 1877年:領インド帝国ができる。 1878(明治11)年5月:大久保利通が暗殺される(紀尾井坂の変)。 1879(明治12)年3月:府会が開かれる(府県会の初め)。 1879(明治12)年4月:琉球藩を廃しを置く。 1879(明治12)年4月:植木枝盛の『民権自由論』ができる。 1879(明治12)年7月:前大統領グラントが来日。 1879(明治12)年10月:徴兵令を改め免役の範囲を狭める。 1879(明治12)年12月:モースが大森貝塚を発見する。 1879年:南アフリカでズールー戦争が起こる。 1880(明治13)年4月:集会条例が公布される。 1880(明治13)年4月:片岡健吉、河野広中ら8万7000人が署名し国会開設上願書を出すが受理されず。 1880(明治13)年11月:官営工場の払い下げが通達される。 1881(明治14)年3月:参議大隈重信が早期国会開設・政党内閣制を内容とする意見書を出す。 1881(明治14)年7月:開拓使官有物払い下げを決定(世論の反対で10月に中止)。 1881(明治14)年10月:明治23年に国会を開く旨の詔勅がでる。 1881(明治14)年10月:大隈重信を罷免する(明治14年の政変)。 1881(明治14)年10月:自由党が結成される。 1882(明治15)年1月:軍人勅諭が出される。 1882(明治15)年2月:開拓使が廃止される。 1882(明治15)年3月:伊藤博文が憲法調査のためにヨーロッパへ行く(翌年8月帰国)。 1882(明治15)年4月:板垣退助がで暴漢に刺される。 1882(明治15)年8月:大隈重信らが立憲改進党を結成する。 1882(明治15)年11月:令三島通庸が県内の自由党員を厳しく弾圧する(福島事件)。 1882年:朝鮮で壬午の軍乱が起こる。 1883(明治16)年3月:北陸の自由党員が逮捕される(高田事件)。 1883(明治16)年4月:新聞紙条例を改定し言論の取り締まりを強化する。 1883(明治16)年11月:鹿鳴館の開館式が行われる。 1883年:がを属領化する。 1883年:がを保護領とする。 1884(明治17)年5月:自由党員がで蜂起する(群馬事件)。 1884(明治17)年7月:華族令が公布され、公・侯・伯・子・男の五爵が定められる。 1884(明治17)年9月:自由党員がの加波山で蜂起(加波山事件)。 1884(明治17)年10月:秩父の農民が秩父困民党の指導で減税・徴兵令反対等をかかげて蜂起(秩父事件)。 1884(明治17)年10月:愛知自由党員による政府転覆計画が発覚する(名古屋事件)。 1884(明治17)年12月:自由党員が飯田事件をおこす。 1884年:が南西アフリカの占領をはじめる。 1884年:朝鮮で甲申事変が起こる。

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