消えたいと言われたら。 死にたい、消えたい、疲れた、もうダメだ、と思った時のおまじない

「死にたい」「消えたい」あなたへ

消えたいと言われたら

この記事に書かれていること• 死にたい、消えたい、と友達から言われた時、必ず覚えておいて欲しいこと どうしたら良いかと言ったら、 共感、あるいは理解しようとしてあげること。 共感は実際には難しいことかもしれない。 でも、共感や理解そのものができなくとも 理解しようとする姿勢を見せることが大切。 その重要性を知るために、3つのパターンに分けてみよう。 3つは 1、正論 2、励まし 3、共感、理解しようとすること これらひとつひとつについて考えてみよう。 スポンサーリンク 1、正論 正論は例えば、 「死ぬなんて言っちゃいけない」 「命を粗末にしてはいけない」 「世界には生きたくても生きられない人がいるのだから」 といったもの。 どうだろう? もしも自分が死にたいと思っていたとしたら、 それを言われてどう感じるのか考えてみて欲しいんだ。 きっと、正論だから言ってることはわかるけど、 本当に言って欲しい言葉ではないと思うんだ。 正論というのはまさに正しいからこそ正論なんだけど、 その正しさが人を傷つけてしまうことだってあるんだよね。 正しいってさ、何も言い返せない、 その通りのことだから。 それによってどうなるかと言ったら、 逃げ場を失ってしまうんだよ。 命を粗末にしてはいけないって、その通りよ。 でも、だからと言って「死にたい」私の気持ちは本当で、 命を粗末にしようとしている私はダメな人間なの?? そうね。 私はダメな人間。 こんな人間だから生きてる価値もない。 死んだって誰も悲しまないから。 逃げ場をなくしてしまうと こんな風に追い込まれてしまうことだってあるんだ。 友達が「死にたい」と言ったとしても、 正論で追いやることはやめよう。 2、励まし 励ましは例えば、 「もうちょっと頑張ろうよ」 「気分転換したら大丈夫だよ」 といったもの。 なんとなく良さそうに思えるよね。 それに、ついつい言ってしまいそうな言葉でもあるよね。 また、その立場になって考えてみて欲しいんだ。 あなたが死にたいと思ってる時、 頑張れ!って言われたらどうなのか。 きっとね、辛いと思うんだ。 その理由は、 「死にたい」と思うほど追い込まれた人は、 これまで頑張り過ぎるくらいに頑張ってきたから。 どう頑張ってきたかと言ったら、 いろんなことを我慢して我慢して耐え抜いて来ているんだよ。 こういった頑張りは、 バリバリの体育会系の人には理解しづらいかもしれないね。 そういう人にとって頑張りは努力であり、 結果を出すという目標に向かって進んでいくことだから。 実はこの体育会系の頑張りとは違う頑張りがあるんだよ。 それが、我慢し続けてきたってこと。 一見、ニコニコしてて幸せそうにしている人が 実は苦しみを頑張って抑え込んでいるだけだったりする。 いつも怒らない仏のような人が いつも必死に耐えているだけだったりする。 そんな見えない頑張りがあるんだ。 「死にたい」って 思うところまで追い込まれた人の多くが そういう見えない頑張りをし続けてきた人。 つまり、もうこれ以上 頑張れないところまで頑張ってきてるから、 頑張れ!って言葉は追い込む言葉になってしまう。 もう頑張れないよ、、って。 大丈夫って言葉もそんな時は重くのしかかる。 もう大丈夫じゃないから 「死にたい」って思っているのに、、 3、共感。 理解しようとすること これは 「死にたいと思っているんだね」 「疲れてしまったんだね」 といったもの 共感するのはちょっと難しいかもしれない。 でも、共感しようとすることは大事。 そして、理解しようとすることが大事。 死にたいんだね。 そう思ってしまうくらい疲れてしまったんだね。 消えてしまいたいとも思っているんだね。 そうか。 どこか遠くに行きたいんだね。 こんな感じで理解しようとしてもらったら、どうだろう? きっと、正論や励ましのように追い込まれて 逃げ場をなくしてしまう感覚はないんじゃないかな? ちょっとわかってもらえている気もしたり、 ちゃんと話を聴いてもらってる、という気もしてくるかもしれないね。 実際に「死にたい」と言われた時、 して欲しいのはこの共感、 或いは理解しようとすることなんだ。 理解しようとする姿勢を見せるためのオウム返し さて、ちょっとだけテクニック的な話。 理解しようとしているその姿勢を示すためには オウム返しが基本になってくる。 「死にたい」 と言われたら 「死にたいんだね」 「もう消えたい」 には 「もう消えたいんだね」 「どこか遠くに行きたい」 「どこか遠くに行きたいんだね」 「生きてる価値も見出せない」 「生きてる価値も見出せないんだね」 こんな感じ。 ちゃんと相手の言ったことを聴いて、 それをそのままオウムのように返していく。 これだけでも理解しようとちゃんと 私の話を聴いてくれているんだな、と思ってもらえるよ。 そっと寄り添うことの重要性 ここまでで言葉を通してどう答えたら良いか ということについて話したけど、 時には何にも声をかけてあげられない、なんて時もあるかもしれない。 どんな言葉もかけられないような空気。 そんな時はどうしたらいいんだろう?? そんな時は、 ただ寄り添ってあげること。 例えば、相手が座っていたら、 そばに同じように座っていてあげる。 相手の気が済むまで、 黙ったまま静かに座っていてあげる。 でもそばにいる。 実はこのなんでもないようなことが、 その相手にとってはものすごく力になることがある。 言葉にはならないけど、理解しようとしていること、 見守ってくれていること、寄り添ってくれていることが ちゃんと相手に伝わるんだよね。 本当に辛い時、心の助けになるのは 特別なカッコいい言葉や行動よりも、 ただそばにいてくれた、ということだったりする。 だから、言葉にならないような時は、 寄り添うことを考えよう。 スポンサーリンク まとめ ・友達や身近な人が「死にたい」と言っていたら、 共感、或いは理解しようとしている姿勢を示そう。 ・そのためにもオウム返しが有効。 ・「死にたい」と言っている人に正論や励ましはNG ・かけてあげる言葉がなければただ寄り添ってあげよう スポンサーリンク インスタグラムもやってます.

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今日の仕事終わり、首を吊ろうと紐を持って車で山に登った。 いつも通り、愛してやまないロックバンドの曲を流しながら。 その声も私の心には届かなかった。 どうせ死ぬんだし、最後にミスドくらい食べたっていいよね... そう思ってドーナツを3個買った。 人生最後にしたいことが食べることなんて笑っちゃうな、そりゃ食べるなって言われたらしんどいよなと思った。 山道には至る所にお墓や神社があって先も見えない真っ暗な細道で そこらで首を吊ってる人がいたらどうしようとハンドルを握る手が震えた。 自分がこれから死のうとしてるくせに、他の死体や暗闇やお墓が怖いなんて笑っちゃうよな、と思った。 どれくらい走っただろうか。 ふと視線を横にやると、街の灯りが無数に散らばった景色が広がっていて あまりに綺麗で、車をそっと停めた。 ここの夜景は久しぶりに観たな、こんなに綺麗だったっけ。 星を見たのはいつぶりだろう。 車に戻ると、久しぶりに聴く曲が流れていて 「どうしても消えないままの 残酷時計は 真実を指してるから 厳しくも見えるだろう だけどいつか 誇れるくらいには 人生はよくできてる だから、生きてほしい!」 愛するロックバンドが、見ず知らずの私にそんなことを叫んでいて 赤ん坊みたいに大声をあげて泣いてしまった。 25歳女児。 ロックバンドさん、私がどんな人間かなんて知らないでしょ。 どれ程使えない人間で、どれ程人に迷惑をかけて生きていて、 どれ程無駄に食べて醜く太っているか。 何も知らないでしょう。 生きてていいですか。 ごめんなさい。 惨めだけど。 何の役にも立てないけど。 ぶくぶく太って醜いけど。 「生きてほしい!」その言葉に縋りついて生きたい。

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消えない希死念慮の原因や対処法|うつ病・双極性障害の関連について

消えたいと言われたら

こんにちは、みのりんです。 みなさんは「死にたい」と思うことってありますか? 「死にたい」とまで積極的な気持ちでないにしても、「消えたい」と思ったりしたことはありませんか? 今日はそんなお話です。 このブログは予約更新なのでみなさんの目にふれる頃にはもう過去の話になっていると思いますが、私は数日間猛烈に死にたい衝動に襲われていました。 私は別に普段から「元気ハツラツ!人生サイコー!」という陽性のキャラクターというわけではなくて、「死ねないから生きている。 どうせ生きるからにはよりよく生きたい」くらいのゆるい気持ちで生きている人間なのですが、今回はもう死ぬほど死にたくて今にも死にそうでした(日本語崩壊)。 「死にたい」という感情は、本当の意味で生命を終わらせたいのではなくて、なんらかのつらい感情から 「逃げたい」という意味なのだといいます。 しかし、生きている限り逃れられそうにないから「逃げる=死ぬ」になるのでしょうね。 私が今回どうして死にたかったかというと、今が人生のピークだと思ったからです。 家族もいて、親友もいて、彼氏もいて、お金にも困っていなくて、仕事もそこそこ楽しくて、見た目もキレイで、ブログも好調で…… ってことは、あとはもう落ちるだけじゃない? と思うと、この先の自分の惨めさを想像して耐えられなくなったんですよね。 「死にたい」というと全てを失った人生どん底の人だけが持つ感情のように思う人もいるかもしれませんが、負けず嫌いの私としてはむしろ逆で、「どん底で人生を終わらせると永遠に負けたままになってしまうから悔しい。 勝ったままの状態でキレイに終わらせたい」という思考回路なのです。 これを読んで、みなさんもいろいろ思うところがあると思うんです。 でも、あなたが私に言いたい言葉が厳しいものであればあるほど、あなたがあなたに普段かけている言葉も厳しいものなのだと推測できます。 つまりこういうことです。 私は普段、SNSなんかで「死にたい」「死にたい」と言っている人に対して 「死ぬなら黙って死ねよ。 甘えるな」と思っていました。 ひどいでしょ?笑 私は普段からこういう思考だったので、いざ自分が死にたくなったときも自分に優しくしてあげられなかったんですね。 自分に対しても 「死ぬなら黙って死ねよ。 甘えるな」という言葉しかかけられませんでした。 私は死にたい気持ちがつらかったのではなくて、死にたい気持ちを自分にすら許してもらえないことがつらかったのかもしれません。 私は幸いにも自分のその矛盾に気付いたので、そこからは自愛的な対応を心がけました。 自愛的な対応とは、 「ひたすら認める」です。 言い換えれば 「垂れ流す」ですね。 死にたいと思ってはいけない、とか、 生きたいと思わなければならない、とか、 死んだら周りに迷惑がかかるよ、とか、 本当に死ぬ気なんかないんでしょ?とか、 いざ死にそうになったら生きようとして必死にもがくくせに、とか、 恵まれすぎて暇だから余計なこと考えるんだよ、とか、 そういうことを自分に言い聞かせてなんとか正しい思考に修正しようとするのではなくて、ただただ「死にたい」という気持ちを認めました。 死にたいねぇ。 生きるのつらいねぇ。 でも死ぬのも怖いよねぇ。 パチンと一瞬で消えることができたらいいのにねぇ。 その繰り返しです。 ちなみに、これは立ち直ろうとしてやっちゃダメなんですよ。 「こんなに共感して認めてあげてるのにいつまでくよくよ悩んでるのよ!?」などと自分を責めては本末転倒です。 いつまでもいつまでも、それこそ 「死ぬまで」寄り添い続けます。 それが自愛。 自愛ってめんどくさいし終わりがないし達成感もないしなんかダルいですよね。 自分でもそう思います。 そりゃあ、「一度きりの人生!悔いのないように生きるぞ!」と自然に思えるのがベストに決まっています。 でも、そう思えないから死にたくなっているわけなので、そうなってしまった以上私たちにできるベターな方法は自愛だということです。 できるだけ死なないほうがいいだなんて、誰に言われなくてもみんなわかってると思うんです。 わかっているからこそ、できるだけ死なないようにこの世に思いとどまれる方法を知る必要があると思います。 それが自愛ではないでしょうか。 「生きたい私」だけをかわいがって、「死にたい私」を排除するなんて、そんな息苦しくて窮屈な人生誰だって退場したくなりませんか? だから、「死にたい私」も排除しないんですね。 「そこにいるんだね」と認めるだけです。 なんの解決にもなっていないかもしれませんが、私はそうやって今日も生き延びています。 個人情報の収集について 利用者は匿名のままで、当サイトを自由に閲覧する事ができます。 お問合せ等、場合によっては、利用者の氏名やメールアドレスなどの個人情報の開示を依頼する事があります。 しかし、利用者の個人情報を利用者の許可なく、当サイトから第三者へ開示・共有する事はありません。 広告の配信について 当サイトはGoogle及びGoogleのパートナーウェブサイト(第三者配信事業者)の提供する広告を設置しています。 その広告配信にはCookieを使用し、当サイトを含めた過去のアクセス情報に基づいて広告を配信します。 DoubleClick Cookie を使用することにより、GoogleやGoogleのパートナーは当サイトや他のサイトへのアクセス情報に基づいて、適切な広告を当サイト上でお客様に表示できます。 お客様はで、パーソナライズ広告の掲載に使用される DoubleClick Cookie を無効にできます。 また にアクセスして頂き、パーソナライズ広告の掲載に使用される第三者配信事業者のCookieを無効にできます。 その他、Googleの広告におけるCookieの取り扱いについての詳細はをご覧ください。 ウェブサーバの記録 当サイトのウェブサーバは、利用者のコンピュータのIPアドレスを自動的に収集・記録しますが、これらは利用者個人を特定するものではありません。 利用者が自ら個人情報を開示しない限り、利用者は匿名のままで、当サイトを自由に閲覧する事ができます。 免責事項 利用者は、当サイトを閲覧し、その内容を参照した事によって何かしらの損害を被った場合でも、当サイト管理者は責任を負いません。 また、当サイトからリンクされた、当サイト以外のウェブサイトの内容やサービスに関して、当サイトの個人情報の保護についての諸条件は適用されません。 当サイト以外のウェブサイトの内容及び個人情報の保護に関しても、当サイト管理者は責任を負いません。 当サイトで引用している文章や画像について、著作権は引用元にあります。 万が一、不適切な記事、画像、リンク等がありましたら早急に削除等の対応を致しますので、恐れ入りますが下記お問い合わせフォームからご連絡くださるようよろしくお願い致します。 お問い合わせ 当サイトの個人情報の取扱に関するお問い合せは下記までご連絡ください。

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