加賀 賢三。 松江哲明が性的暴行で告発される

加賀賢三プロフィール年齢は?舞台挨拶で珍事!ブログから恨みが!

加賀 賢三

ご批判の大部分は川上さんのTwitterや論考に対する部分が多かったので、具体的な点に関しては彼の応答を参考にしていただければと思います。 確かに「作り手によるドキュメンタリー雑誌」という、けったいな雑誌を理解してもらう努力が足りなかったように思います。 作り手たちの言論の場を提供する事が目的です。 本当は極力前へ出ずに皆さんの話をニコニコと聞きながら編集長として触媒役に徹したいのですが、人生なかなかうまく行きませんね。 集団というと組織として一つの方向に向かって活動するように思われがちですが、そうではありません。 思想も職能も背景も違う作り手たちが、一つの色に染まらずに、個人としての思いや声を届けること大切にしています。 2)誌面における作り手の言論の場を保証する事。 3)雑誌の販売に関連するイベントや営業活動、ウェブサイトの管理をおこなう。 1)についてはご存知のとおり。 編集会議を行い、誌面の方向性を決定。 あとは各編集員が原稿作成に取り掛かり、それを編集長がまとめる。 2)はついては、異なる意見を尊重するということです。 誹謗中傷や法に反するような内容である場合を除き、どんな言論でも保障します。 (今回の場合は、編集員・川上さんの論考や発言に対してのご意見が主だった為に本人が対応しています。 ) 3)について。 これまで雑誌の刊行以外にイベントの開催や上映会、ウェブでの記事公開などを行ってきました。 そこで何か議論をすることはありません。 次に『童貞をプロデュース』問題について。 これは上記1)~3 に該当しない少々イレギュラーな事案です。 テープ起こし起しの公開。 c 直井卓俊氏と加賀賢三氏の対談記事を公開したこと。 この3点になります。 とはいえ、そこまで理解して頂くのはなかなか難しいと思います。 次に富樫さんからの問いについて応答します。 ここからは、編集長である私個人の見解となります。 ご批判の意図を汲み取りながら応答できればと考えていますが、誤解や見当はずれな意見になってしまった場合はご指摘いただければと思います。 ドキュメンタリー業界(そもそもそんなものがあるのか?)というあまりに弱く小さい世界の更に隅っこで、権威と名指して戦う相手は果たして「そこ」なのか? これは川上さんのtweetや論考への問いですね。 私を含め川上さん以外の編集員はネットでの発信が控えめですので、どうしても彼が目立つことになっています。 川上さん、すいません・・・。 さて、この問いの意図としては、批判するのであれば同業者ではなくもっと大きな敵がいるのではないか?狭い世界で戦って内ゲバみたいでみっともない、ということだと理解しました。 まず川上さんの思いを私なりに乱暴に解釈すると「同業者として恥ずかしいからもうちょっとしっかりしてくれよ!」「自分たちの業界のことなんだから自分たちの手で改善しないと誰がやんの?」ではないでしょうか。 ジャーナリストではなく一人の作り手としての立場は崩していません。 内ゲバ上等です。 森さんや座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルへの批判は風通しを良くするための過程であると私はとらえています。 また、「権威」として批判したことに違和感を覚えていらっしゃるようですが、「権威」は「影響力」と言い換えると如何でしょうか?その影響力を認めているからこその批判と読めば、それほど無理筋な批判ではないし、ましてやルサンチマンではないとご理解いただけるかと思います。 逆に富樫さんご自身は森さんのツイートや座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルについてどのようなご意見をお持ちなのでしょうか?ぜひお聞かせください。 ですが、SNSでの加害性と批判するという行為は切り分けて考えるべきです。 当然、ネット上においても誹謗中傷は許されませんし、支持しません。 私は松江さんに対してどれくらい誹謗中傷がなされたのか把握していません。 ドキュメンタリーを作り続ける以上、作品が意図せずに被写体への誹謗中傷に利用される可能性は排除できません。 今回のように結果的に加害を扇動する可能性はあります。 難しい問題なので今すぐにはお答えできず申し訳ありません。 その為に冷静になれていない部分もあったかもしれません。 私の意識として、その時は最善の判断をしたつもりですが、周囲の眼にはそう映らなかったのかもしれません。 ネット上の祭りを扇動しない形で事実を公表する方法はあったのでしょうか? そしてあなたたちが「正しい」と考えるドキュメンタリー表現はどのようなものなのか? 正直なところ、これまで「正しさ」という価値基準で発言していませんし、作品作りをしていないので、ちょっとピンときません。 「正しい」ドキュメンタリー表現はない、と乱暴な返答もできますが少し考えまてみます。 この問いに関連した記述を本文から少し引用します。 自分はドキュメンタリーはあくまで「表現手法」であり、報道やジャーナリズムのように必ずしも真実を明らかにし、権力を監視し、弱者を守り、さらに被写体に敬意を払ってその尊厳を守る「べき」ものであるとは定義出来ない。 ドキュメンタリーそれ自体は必ずしも「社会的」なものであるとは限らないし表現されるものが「正義」であるともまた限らない。 各々の作品においてそれらのバランスはゼロ or 100ではなく、「程度」であり、その程度の範疇で被写体との関係性を構築していく。 そのようなあやふやな表現手法だからこそ、程度の淡いで「加害」が発生するものだと考える。 (中略) これは邪推だが、このような否定しがたいドキュメンタリー表現が持つ「業」そのものを法的に禁じられる危険性を直感的に察しているからこそ、この問題の当事者たちは互いに司法の場に出ないのではないか?もしそうだとするならばその直感は正しい。 言わずもがな表現の自由が揺るがされる可能性があるからだ。 富樫さんのご意見をまとめると、ドキュメンタリーに「正しさ」や「~すべき」ものという概念は存在しないし、仮にそれらを持ち込むと表現の自由と対立する。 (司法に出ない理由は川上さんが説明していたので省略します。 ) さて、似たような理屈で松江さんから批判されたような記憶があるのですが、それは一先ず置いておきます。 そもそも撮る者・撮られる者の問題である本件に、表現の自由という概念を持ちこむことに対して私は疑問があります。 もしくは、この件に関しては社会的な問題提起のみでとどめておくべきだった、ということを言いたかったのでしょうか?ドキュメンタリーの方法論にまで射程を伸ばすと表現の自由にぶち当たるので避けるべきだと。 ですが、ドキュメンタリーの方法論にまで射程を伸ばさないのであれば、それこそ地に足のつかない理屈だけの主張になってしまいます。 それに今の日本において表現の自由(私はざっくりとして口当たりが良いこの言葉が苦手です。 )は守ったり、揺らいだりするものではなく、各々の表現者が獲得するものだと私は考えています。 仮に、この問題を表現の自由という文脈で真剣に考えるのであれば、例え社会的に非があると判断されても、松江さんは決して謝るべきではなかったし、加賀さんをあらゆる手段で徹底的に叩きのめして黙らせなければならなったと私は思います。 その覚悟もなしに、表現の自由や被写体の尊厳は守らなくてよい、と主張するのはあまりにも傲慢ですし、作り手の身勝手ではないでしょうか。 だから私や川上さんが主張しているのは、表現の自由よりも倫理的な「正しさ」が勝るとか、そういった議論ではありません。 富樫さんがおっしゃる「程度」を見極める為に、よくよく考えよう、という事です。 そして、同じドキュメンタリーの作り手として「『絶対に』加害者にならない」作品を作り得るのかどうか? ドキュメンタリーに限らず、加害者になる可能性は生きている以上ゼロにはなりません。 身近な例でいえば、自動車を運転すれば人を殺す確率はグンと上昇しますが、だからといって運転しないということはないでしょう。 というわけで、大事なのは加害者になることを恐怖するよりも、加害者になった時にどうするのか?ということではないでしょうか?もちろん加害者にならないように気を付ける必要はありますが。 そういう意味では、松江さんが加賀さんと和解してその後どのように立ち直るのかという点は、とても大事なことだったんですが・・・。 自ら社会的責任を問うた相手の祭りに乗っかって営利行為を行うことに対してはどのように考えているのか。 この辺りも知りたいところである。 批判することと、関係を保つことは両立します。 批判しつつも利用できる部分は互いに利用し合うのはとても健全な関係性だと思います。 また、委託販売ですので主催者側にもお金が入り両者にとってメリットがあります。 批判したから縁も切らねばならないというのは、あまりにも寂しい考え方だと思います。 逆にお聞きしたいのですが、営利行為はそんなにイメージ悪いんでしょうか?松江さんからも掲載を拒否する理由の一つとして挙げられていましたよね。 少なくとも今こうやってキーボードをたたいている時間はお金にならないし、ウェブの記事についても当然赤字です。 改めて、まとまったご批判をしてくださった富樫さんにお礼申し上げます。 結果的に何がベストな方法なのかは誰にも分かりません。 だから私は川上さんのやり方を尊重しますし、私は自分のやり方を通します。 一つではなく色々な方法があるからこそ意味があると私は思います。 つまり本件は「社会的な問題」にすらなりえていないというのが現状です。 「同業者としては・・・」という議論を始める為には、社会的な問題であるという位置付けが議論の前提として必要なのですが、本件はそうではありませんでした。 出来ればこのような背景までご理解して頂けると幸いです。 長々と失礼いたしました。 ご不明点ありましたら気軽にご連絡ください。 12月8日 森達也さんがイベント登壇を受諾。 12月17日 松江哲明さんから取材依頼。 12月24日 カンパニー松尾さん対談。 12月30日 直井卓俊さん対談。 12月31日 松江哲明さん対談。 1月20日 松江・直井・松尾の三者から掲載拒否の連絡。 『ドキュメンタリーの立脚点 撮られる者たちの眼差し』開催 1月21日 松江哲明さんnote 投稿直井卓俊さんのインタビュー記事がシネマトゥデイに掲載 1月22日森達也さんがTwitterで「f22のシンポで言ったことをくりかえす。 松江哲明は僕自身でもある。

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加賀賢三氏と直井卓俊氏の対談記事公開について — f/22

加賀 賢三

これだけ聞くと変態が舞台に上がって事件を起こしていると、とらえるでしょうが実はこの映画に対する恨みによる行動だったのです。 そもそもこの男とは誰なのか?? なんとこの映画に出演していた加賀賢三さんという方なのです。 加賀賢三 プロフィール 今年のゆうばり国際ファンタスティック映画祭では新作2本を上映させていただきます。 最初に行った時は、先輩たちから「みんな大麻とフリーセックスをしている映画祭」と聞いて割と信じていたのですが、もう4回目なので騙されません。 釣具を持参する予定なので付近の釣り場を知る方、ご教示ください。 — 賀々贒三(加賀賢三) catme05 生年月日:1982年11月? 年齢:34歳 出身:新潟県 この方現在は松江哲明監督と同じ映画監督をされています。 映画「童貞。 をプロデュース」に出演していた加賀賢三さんは、 この映画の中で性行為の強要があったと訴えているのです。 実際に映画の中でセクシー女優が加賀賢三さんのアレをくわえるシーンがあったのです。 このシーンについては加賀賢三さんは知らされていなかったようで当時、あまりのショックから精神的苦痛受けるのです。 しかし当時の関係性から見ても加賀賢三さんは出演者、松江哲明さんが監督という上下関係にあったことから強くは言えなかったのでしょう。 そのため第一回ガンダーラ映画祭用の映画であったためこの映画祭だけでの上映は承諾したそうです。 その後については松江哲明監督からこう言われていたそうです。 「もし他で上映するようなことになるなら、その時には必ずまた相談するから」 しかし、報告があるのは事後でさらにはDVD化する話まで出てしまい加賀賢三さんの不満は増すばかりです。 結局DVD化されると告知がありましたがその後消滅しています。 何らかの形で阻止したんだろうと思われます。 Ads By Google 今回の舞台挨拶も加賀賢三さんには連絡がなかったにも関わらずポスターには、加賀賢三さんが書いたとされるサインまで。 わざわざ「加賀さんのサインもありますね。 」と触れていただいているのですが、これはぼくが書いたサインじゃないのです…(というか偶然にも梅ちゃんのサインと同じ筆跡!)。 関係者から一方的に連絡を途絶されてしまっていたので、正直なところ、当時は上映していたことすら知りませんでした。 — 加賀賢三 catme05 この件に関しては、さすがに怒りが収まらず今回の騒動になったのではないかと思われます。 映画「童貞。 をプロデュース」はドキュメンタリー作品(演出を加えることなくありのままに記録された素材映像を編集してまとめた映像作品)としながらも 実際にはフィクションであることを出演者らが暴露しています。 梅ちゃん(出演者)の嘔吐物は、松江監督がローションとスポーツドリンクを混ぜて吐かせた偽物だとか性行為の強要があったなどなど・・・。 ただいまだ事実確認がされていないので証拠が必要になるわけですが、加賀賢三さんは前代未聞の ちん事が起こったあの時こんなことを言っています。 「撮影中に交わした会話の素材を僕は持っている。 」 「YouTubeに編集してあげてもいい。 」 さんは深く傷ついて、10年間松江監督を恨んできたのでしょうね。 謝るべきでしょう。 彼が納得するまで。 そうじゃないと2人ともこのまま沈みそう 監督に謝罪の気持ちがあればいいね。 日本人なら謝れるよ日本人ならば! — Nana なな shelly5858 今後この騒動に終止符を打つことができるのか?? 8月25日 金 『童貞。 Ads By Google.

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『童貞。をプロデュース』上映中止騒動の経緯が明らかに

加賀 賢三

ご批判の大部分は川上さんのTwitterや論考に対する部分が多かったので、具体的な点に関しては彼の応答を参考にしていただければと思います。 確かに「作り手によるドキュメンタリー雑誌」という、けったいな雑誌を理解してもらう努力が足りなかったように思います。 作り手たちの言論の場を提供する事が目的です。 本当は極力前へ出ずに皆さんの話をニコニコと聞きながら編集長として触媒役に徹したいのですが、人生なかなかうまく行きませんね。 集団というと組織として一つの方向に向かって活動するように思われがちですが、そうではありません。 思想も職能も背景も違う作り手たちが、一つの色に染まらずに、個人としての思いや声を届けること大切にしています。 2)誌面における作り手の言論の場を保証する事。 3)雑誌の販売に関連するイベントや営業活動、ウェブサイトの管理をおこなう。 1)についてはご存知のとおり。 編集会議を行い、誌面の方向性を決定。 あとは各編集員が原稿作成に取り掛かり、それを編集長がまとめる。 2)はついては、異なる意見を尊重するということです。 誹謗中傷や法に反するような内容である場合を除き、どんな言論でも保障します。 (今回の場合は、編集員・川上さんの論考や発言に対してのご意見が主だった為に本人が対応しています。 ) 3)について。 これまで雑誌の刊行以外にイベントの開催や上映会、ウェブでの記事公開などを行ってきました。 そこで何か議論をすることはありません。 次に『童貞をプロデュース』問題について。 これは上記1)~3 に該当しない少々イレギュラーな事案です。 テープ起こし起しの公開。 c 直井卓俊氏と加賀賢三氏の対談記事を公開したこと。 この3点になります。 とはいえ、そこまで理解して頂くのはなかなか難しいと思います。 次に富樫さんからの問いについて応答します。 ここからは、編集長である私個人の見解となります。 ご批判の意図を汲み取りながら応答できればと考えていますが、誤解や見当はずれな意見になってしまった場合はご指摘いただければと思います。 ドキュメンタリー業界(そもそもそんなものがあるのか?)というあまりに弱く小さい世界の更に隅っこで、権威と名指して戦う相手は果たして「そこ」なのか? これは川上さんのtweetや論考への問いですね。 私を含め川上さん以外の編集員はネットでの発信が控えめですので、どうしても彼が目立つことになっています。 川上さん、すいません・・・。 さて、この問いの意図としては、批判するのであれば同業者ではなくもっと大きな敵がいるのではないか?狭い世界で戦って内ゲバみたいでみっともない、ということだと理解しました。 まず川上さんの思いを私なりに乱暴に解釈すると「同業者として恥ずかしいからもうちょっとしっかりしてくれよ!」「自分たちの業界のことなんだから自分たちの手で改善しないと誰がやんの?」ではないでしょうか。 ジャーナリストではなく一人の作り手としての立場は崩していません。 内ゲバ上等です。 森さんや座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルへの批判は風通しを良くするための過程であると私はとらえています。 また、「権威」として批判したことに違和感を覚えていらっしゃるようですが、「権威」は「影響力」と言い換えると如何でしょうか?その影響力を認めているからこその批判と読めば、それほど無理筋な批判ではないし、ましてやルサンチマンではないとご理解いただけるかと思います。 逆に富樫さんご自身は森さんのツイートや座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルについてどのようなご意見をお持ちなのでしょうか?ぜひお聞かせください。 ですが、SNSでの加害性と批判するという行為は切り分けて考えるべきです。 当然、ネット上においても誹謗中傷は許されませんし、支持しません。 私は松江さんに対してどれくらい誹謗中傷がなされたのか把握していません。 ドキュメンタリーを作り続ける以上、作品が意図せずに被写体への誹謗中傷に利用される可能性は排除できません。 今回のように結果的に加害を扇動する可能性はあります。 難しい問題なので今すぐにはお答えできず申し訳ありません。 その為に冷静になれていない部分もあったかもしれません。 私の意識として、その時は最善の判断をしたつもりですが、周囲の眼にはそう映らなかったのかもしれません。 ネット上の祭りを扇動しない形で事実を公表する方法はあったのでしょうか? そしてあなたたちが「正しい」と考えるドキュメンタリー表現はどのようなものなのか? 正直なところ、これまで「正しさ」という価値基準で発言していませんし、作品作りをしていないので、ちょっとピンときません。 「正しい」ドキュメンタリー表現はない、と乱暴な返答もできますが少し考えまてみます。 この問いに関連した記述を本文から少し引用します。 自分はドキュメンタリーはあくまで「表現手法」であり、報道やジャーナリズムのように必ずしも真実を明らかにし、権力を監視し、弱者を守り、さらに被写体に敬意を払ってその尊厳を守る「べき」ものであるとは定義出来ない。 ドキュメンタリーそれ自体は必ずしも「社会的」なものであるとは限らないし表現されるものが「正義」であるともまた限らない。 各々の作品においてそれらのバランスはゼロ or 100ではなく、「程度」であり、その程度の範疇で被写体との関係性を構築していく。 そのようなあやふやな表現手法だからこそ、程度の淡いで「加害」が発生するものだと考える。 (中略) これは邪推だが、このような否定しがたいドキュメンタリー表現が持つ「業」そのものを法的に禁じられる危険性を直感的に察しているからこそ、この問題の当事者たちは互いに司法の場に出ないのではないか?もしそうだとするならばその直感は正しい。 言わずもがな表現の自由が揺るがされる可能性があるからだ。 富樫さんのご意見をまとめると、ドキュメンタリーに「正しさ」や「~すべき」ものという概念は存在しないし、仮にそれらを持ち込むと表現の自由と対立する。 (司法に出ない理由は川上さんが説明していたので省略します。 ) さて、似たような理屈で松江さんから批判されたような記憶があるのですが、それは一先ず置いておきます。 そもそも撮る者・撮られる者の問題である本件に、表現の自由という概念を持ちこむことに対して私は疑問があります。 もしくは、この件に関しては社会的な問題提起のみでとどめておくべきだった、ということを言いたかったのでしょうか?ドキュメンタリーの方法論にまで射程を伸ばすと表現の自由にぶち当たるので避けるべきだと。 ですが、ドキュメンタリーの方法論にまで射程を伸ばさないのであれば、それこそ地に足のつかない理屈だけの主張になってしまいます。 それに今の日本において表現の自由(私はざっくりとして口当たりが良いこの言葉が苦手です。 )は守ったり、揺らいだりするものではなく、各々の表現者が獲得するものだと私は考えています。 仮に、この問題を表現の自由という文脈で真剣に考えるのであれば、例え社会的に非があると判断されても、松江さんは決して謝るべきではなかったし、加賀さんをあらゆる手段で徹底的に叩きのめして黙らせなければならなったと私は思います。 その覚悟もなしに、表現の自由や被写体の尊厳は守らなくてよい、と主張するのはあまりにも傲慢ですし、作り手の身勝手ではないでしょうか。 だから私や川上さんが主張しているのは、表現の自由よりも倫理的な「正しさ」が勝るとか、そういった議論ではありません。 富樫さんがおっしゃる「程度」を見極める為に、よくよく考えよう、という事です。 そして、同じドキュメンタリーの作り手として「『絶対に』加害者にならない」作品を作り得るのかどうか? ドキュメンタリーに限らず、加害者になる可能性は生きている以上ゼロにはなりません。 身近な例でいえば、自動車を運転すれば人を殺す確率はグンと上昇しますが、だからといって運転しないということはないでしょう。 というわけで、大事なのは加害者になることを恐怖するよりも、加害者になった時にどうするのか?ということではないでしょうか?もちろん加害者にならないように気を付ける必要はありますが。 そういう意味では、松江さんが加賀さんと和解してその後どのように立ち直るのかという点は、とても大事なことだったんですが・・・。 自ら社会的責任を問うた相手の祭りに乗っかって営利行為を行うことに対してはどのように考えているのか。 この辺りも知りたいところである。 批判することと、関係を保つことは両立します。 批判しつつも利用できる部分は互いに利用し合うのはとても健全な関係性だと思います。 また、委託販売ですので主催者側にもお金が入り両者にとってメリットがあります。 批判したから縁も切らねばならないというのは、あまりにも寂しい考え方だと思います。 逆にお聞きしたいのですが、営利行為はそんなにイメージ悪いんでしょうか?松江さんからも掲載を拒否する理由の一つとして挙げられていましたよね。 少なくとも今こうやってキーボードをたたいている時間はお金にならないし、ウェブの記事についても当然赤字です。 改めて、まとまったご批判をしてくださった富樫さんにお礼申し上げます。 結果的に何がベストな方法なのかは誰にも分かりません。 だから私は川上さんのやり方を尊重しますし、私は自分のやり方を通します。 一つではなく色々な方法があるからこそ意味があると私は思います。 つまり本件は「社会的な問題」にすらなりえていないというのが現状です。 「同業者としては・・・」という議論を始める為には、社会的な問題であるという位置付けが議論の前提として必要なのですが、本件はそうではありませんでした。 出来ればこのような背景までご理解して頂けると幸いです。 長々と失礼いたしました。 ご不明点ありましたら気軽にご連絡ください。 12月8日 森達也さんがイベント登壇を受諾。 12月17日 松江哲明さんから取材依頼。 12月24日 カンパニー松尾さん対談。 12月30日 直井卓俊さん対談。 12月31日 松江哲明さん対談。 1月20日 松江・直井・松尾の三者から掲載拒否の連絡。 『ドキュメンタリーの立脚点 撮られる者たちの眼差し』開催 1月21日 松江哲明さんnote 投稿直井卓俊さんのインタビュー記事がシネマトゥデイに掲載 1月22日森達也さんがTwitterで「f22のシンポで言ったことをくりかえす。 松江哲明は僕自身でもある。

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