清少納言名言。 『徒然草』に見る吉田兼好の名言5選+1

清少納言についての意外な事実6つ!枕草子がさらにおもしろくなる本も

清少納言名言

「私はお前をいちばん憎む。 なぜなら、お前は牽くことをなし、しかも、お前のもとへ牽きよせる十分の力をもたないからである。 」 ニーチェ 「ツァラトゥストラ」 ありとあらゆる形の死は、不幸なる人にとりて憎悪に満つれど、最悪の憎しみは飢えによる死なり。 ホメロス 「オデュッセイア」 みずから愉しむことのできない人々は、しばしば他人を恨む。 イソップ 「寓話」 われわれが、人生で当面する憎しみの大半は、単に嫉妬か、あるいは辱かしめられた愛にほかならない。 ヒルティ 「眠られぬ夜のために」 われわれがある人間を僧む場合、われわれはただ彼の姿を借りて、われわれの内部にあるなに者かを憎んでいるのである。 ヘッセ 「デーミアン」 世の中に、なほいと心憂きものは、人ににくまれんことこそあるべけれ。 清少納言 「枕草子」 人が愛したことのない…けっして愛しそうもない人々に対しては真の憎しみはありえない。 憎まれるに値しないような人に対しては極端な愛はけっして生まれない。 ヴァレリー 「ありのまま」 人類の胸中をじゅうりんした最悪の憎悪の墓であり、典型である残酷無比の天才…狂乱患者の伍長ヒトラー! ウィンストン・チャーチル 「第二次世界大戦」 共通の憎しみほど人間を団結させるものはない。 チェーホフ 「断片」 怨恨は愛情に劣らず浮気である。 ヴォーヴナルグ 「省察と格言」 愉しみが終わるや、たちまち侮蔑の念を生じ、理も非もなく追い求むれど、思いをとぐれば、たちまち理も非もなく憎むにいたる。 シェイクスピア 「ソネット-肉欲」 愛と憎しみとは、相反馳する心的作用の両極を意味するものではない。 憎しみとは人間の愛の変じた一つの形式である。 愛の反対は憎しみではない。 愛の反対は愛しないことだ。 有島武郎 「惜しみなく愛は奪ふ」 愛の僧しみほど激しきものなし。 プロペルティウス 「断片」 愛はつまり憎しみであり、憎しみは愛である。 対立する者への憎しみは、一致する者への愛であり、後者への愛は、前者への憎しみである。 ブルーノ 「原因と原理および一者について」 愛多ければ憎しみいたる。 「亢倉子」 憎しみは、それをいだいた人間のうえにはねかえってくる。 ベートーベン 「語録」 憎しみは、人を盲目にする。 ワイルド 「獄中記」 憎しみは積極的な不満で、嫉妬は消極的な不満である。 したがって、嫉妬がすぐに憎しみに変わっても怪しむに足りない。 ゲーテ 「格言と反省」 憎しみは自分に仕えるすべての者にとっては、たしかに寛大な主人なのである。 ワイルド 「獄中記」 憎悪は抑えられた連続した怒りである。

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平安時代のベストセラー/名作

清少納言名言

清少納言とは? 清少納言 枕草子絵巻 鎌倉時代 出典:Wikipedia 清少納言は平安時代中期に活躍した女性です。 優れた教養を持ち、藤原定子の女房として活躍する傍ら、枕草子を書き上げています。 清少納言が宮廷で出仕したのはわずか7年程ですが、その時のエピソードは枕草子でいきいきと描かれています。 定子が亡くなった後は出仕を辞め、その後については良く分かっていません。 容姿 平安時代は真っ直ぐな黒髪が女性の美しさとして、大きな意味合いを持っていました。 清少納言はくせ毛だったようで、かなりのコンプレックスを持っていました。 枕草子で「灯した灯で自分の髪の節が昼間より見えて恥ずかしい」等と何度も自身の髪について触れています。 宮廷では付け毛をしていたとも言われます。 また顔については不明ですが、百人一首のイラストでは横向きに描かれている事が多いです。 一説では容姿が良くないから正面から描くのを避けたとも言われています モンストでは美女ですが。 とは言え清少納言は2回結婚しており、宮廷では多くの男性からアプローチを受けています。 容姿は優れなかったとしても、人間的な魅力に溢れていた事は想像出来ます。 本名は? 清少納言の本名は不明です。 この時代、女性は結婚する男性にしか名前を教えないという習わしがありました。 清少納言に限らず多くの女性は名前が分かっていません。 諾子 なぎこ と言う説もありますが、確証はありません。 また清少納言の少納言とは職名の事であり、正式な読み方は「せい・しょうなごん」です。 しかし親族に少納言職を務めた人物はおらず、名前の由来は不明です。 清少納言の生涯・年表 清少納言の前半生 清原元輔 出典:Wikipedia 生没年は不明で、966年頃と言うのが定説です。 父親は 清原元輔と言う著名な歌人であり、万葉集の訓読や後撰和歌集の編纂をしています。 曽祖父は 清原深養父と言い、古今和歌集を代表する歌人でした。 清少納言は幼少期から漢学を学び、この時代の最高水準の教育を受けています。 981年頃、15歳前後で陸奥守の 藤原則光と結婚し翌年には 則長を生みます。 しかし則光は無骨な性格だったようで教養深い清少納言とそりが合わず、10年程で離婚しています。 宮廷への出仕 藤原定子 枕草子絵巻より 出典:Wikipedia 993年の27歳頃に、関白藤原道隆から娘の定子の女房として出仕をお願いされます。 定子は977年生まれなので、清少納言より10歳程年下でした。 女房は政務、朝廷行事等の必要事項を主人に伝える仕事です。 男性貴族からの贈答や、機知をかけた応酬等に対し返答も求められます。 女房は優れた教養も必要だったので、清少納言には天職でした。 道隆が清少納言に定子の女房役をお願いしたのは、定子の教育係も兼ねていたからです。 当時は藤原家が権力を握りつつあった時代。 道隆は定子を 一条天皇に嫁がせました。 定子が一条天皇の子を産めば道隆の権力はさらに高まります。 道隆は定子が一条天皇から寵愛される教養ある妃になって欲しかったのです。 定子は清少納言に教育を受ける前から聡明な資質を持ち、父親譲りの明朗快活な性格でした。 清少納言は定子に献身的に仕え、強い尊敬の念を持っていました。 清少納言は貴族と対等に応酬を交わし、その教養は評判を呼びます。 定子のサロンは活気に満ちていました。 また多くの貴族と親交を持ち、特に藤原実方とは恋仲であったと言われます。 定子の没落 一条天皇像 出典:Wikipedia 清少納言が定子に仕えた頃、道隆の家系は隆盛を誇っていましたが、995年に道隆が糖尿病で病死すると、家運は傾いていきます。 道隆の弟である 藤原道長が朝廷で力を持つようになり、定子の兄弟も左遷させられ、道隆派は朝廷内で没落していきます。 清少納言はそんな中でも定子に献身的に仕えていましたが、「藤原道長と通じている」と噂を立てられてしまい、定子の為に宮中での出仕を辞めてしまいます。 定子も権力闘争に疲れ出家をしていましたが、一条天皇は定子を深く愛しており、宮廷に呼び戻します。 定子は清少納言に再び女房として出仕して欲しいと要請し、清少納言は再び出仕を始めます。 2人には年齢を超えた信頼が芽生えていたのです。 定子と一条天皇の仲は良好でしたが、1000年に定子は難産の末に24歳で亡くなります。 清少納言の悲しみは大きく、朝廷への出仕を辞めてしまいます。 出仕を辞めた後の清少納言 藤原実方(菊池容斎『前賢故実』より)出典:Wikipedia 宮廷での出仕を退いた後は親子程離れた年の 藤原棟世と再婚し、 子馬命婦と言う娘が生まれます。 再婚の時期ははっきりせず、離婚後まもなくと言う説もありますが、宮廷で実方と恋仲だったと言われる事から、朝廷時代に夫がいるとは考えづらいです。 1000年頃の再婚だとすると当時ではかなりの晩婚かつ高齢出産です。 その後は藤原棟世がいた摂津国で暮らしたと言われます。 死因やその時の状況は不明ですが、晩年には父親の山荘のあった東山月輪に住み、宮廷で親交のあった貴族や女房と親交を持った形跡があります。 後述する枕草子は1008年頃まで執筆していたようです。 清少納言の死因 その後は1025年頃に59歳で亡くなったと言われます。 醜い老婆になったとも言われますが、これは「才を持つ女性は不幸になる」という鎌倉時代の思想から来ています。 実際には宮廷の事を思いながら慎ましく暮らしたのではないでしょうか? 清少納言の生涯年表 966年 誕生 981年 藤原則光と結婚。 翌年に則長誕生 991年 則光と離婚 その後も宮廷で関わりあり 993年 藤原道隆の要請で定子の女房となる 995年 道隆死去。 翌年に定子の兄弟が左遷 この頃に定子も清少納言も宮廷から退く。 997年 定子の還俗に伴い出仕再開 1000年 定子死去に伴い宮廷から退く 後に藤原棟世と結婚し子馬命婦誕生 1008年?頃まで枕草子を執筆する 1025年頃死去 清少納言と紫式部との関係は? 紫式部 (土佐光起筆 石山寺蔵)出典:Wikipedia 清少納言と紫式部はライバルだったと言われていますが、2人に面識があった記録はありません。 999年に藤原道長が権力を掌握する形で、娘の 彰子を一条天皇に嫁がせます。 この時点で一条天皇には妃が2人いました。 しかし1000年には定子は死去。 清少納言は宮廷勤めを辞めてしまいます。 道長は彰子の女房を勤めて欲しいと打診しましたが断られています。 1006年に紫式部は彰子の女房となり宮廷勤めをしています。 2人が宮廷に出仕した時期はずれているのです。 紫式部日記に書かれた事 紫式部日記絵巻 出典:Wikipedia 面識がないとは言え、紫式部が清少納言の事を強く意識していた事が紫式部日記から伺えます。 現代語訳すると ・清少納言は得意顔で漢字を書き散らしてるけど、よく見たら間違いも多い。 風流を気取る人は、周囲と違う感性を持とうとするあまり、大した事ではない事に感動したり『素敵』と思う。 いずれ一般的な感覚とかけ離れてしまい、中身のない人間になる。 そんな人は将来ロクな事にならない。 と辛辣な評価を下しています。 紫式部が宮廷に出仕する頃は枕草子は貴族の間でも評判になっており、その中には清少納言が教養で男性をやり込めたり、いきいきとしたサロンの様子が綴られていました。 紫式部は漢字が読めるのに読めないフリをする等、優秀さを表に出さない性格でした。 清少納言の社交的な性格は根本的に合わなかったのでしょう。 紫式部は一方的に清少納言の事を悪く言っていますが、清少納言は紫式部の存在さえも知らないままだったのかもしれません。 歴史にifはありませんが、もし2人が同じ時期に宮廷にいたら、性格の違いや立場の違いからライバル関係にあった可能性はありますね。 清少納言の代表的な作品 枕草子 枕草子絵巻 出典:Wikipedia 清少納言を代表する作品です。 紫式部の執筆した源氏物語は日本最古の長編小説ですが、枕草子は日本最古の随筆でありブログです。 「をかし」という知的な趣を楽しむ様はこの枕草子から始まったと言われます。 枕草子は定子が冊子を清少納言に持ってきた事から始まります。 定子 「この冊子に何を書こうか迷っています。 一条天皇は史記 中国の歴史書 を書き写しているようです」と尋ねると 清少納言は 「 それは枕でございます」と答えました。 定子は返答に感嘆し、その冊子を清少納言に渡します。 当時は紙は貴重であり、天皇の妃から頂くのは名誉な事でした。 清少納言はその日から枕草子を書き連ねます。 枕の意味 白楽天・『晩笑堂竹荘畫傳』より 出典:Wikipedia 清少納言は中国の詩人、白居易の詩文集の一節である 「書を枕にして眠る」を引用して答えたと言われます。 書を枕にして眠るという事は、枕元に冊子を置いておき、気づいた事を書き留めておけばどうですか?という事になりますね。 枕の意味は諸説あり、他にも一条天皇が書いている史記を敷きと掛け言葉にし、 「帝が敷き布団だから、皇后は枕ですね」と返答したとも言われます。 枕草子の内容 清少納言が感じた事を書き綴ったものです。 内容は大きく3つに分けられます。 憎たらしいもの。 長話するお客。 硯に髪の毛が入ってすられたもの…etcという感じです。 あるテーマで感想を書きながら、清少納言の独自の感性が書き記されています。 定子との思い出や、とある貴族をやり込めた話等、清少納言の生き方がありありと記されています。 例は後の百人一首の項を参照して下さい。 最も有名なのはやはり枕草子の冒頭のフレーズでしょう。 春はあけぼの やうやう白くなりゆく山ぎは 少し明かりて紫だちたる雲の細くたなびきたる こちらは随想的章段と言われています。 これらの章段が約300あります。 実際には各章段は区切られておらず、時系列もバラバラです。 章段数については未だに議論が分かれています。 枕草子の歴史的な意味は? 藤原道長 出典:Wikipedia 枕草子が作られた背景には、清少納言が生涯尊敬し続けた定子の存在があります。 枕草子を読むと定子の聡明さを示した文章が随所に盛り込まれています。 枕草子を執筆し始めた頃、宮廷では藤原道長が台頭し道隆派は左遷されます。 定子も宮廷で居場所をなくして、出家していた事もありました。 後に復帰はするものの、定子の立場は微妙なものでした。 清少納言は女房として枕草子を通じて、定子の魅力や楽しかったサロンの様子を皆に発信しようとしたのです。 広報やSNSに近い意味合いもあったのです。 日記的章段の項目は定子が没落した頃のエピソードは描かれず、定子が唯一の一条天皇の妃だった頃の楽しかったエピソードばかりが書かれています。 定子死去後も執筆は続き、1008年頃までその様子が確認されます。 枕草子は定子が存命時から既に宮廷で読まれ始めており、定子死去後は評判となっていました。 藤原彰子が子どもを産み、権力が道長に定着した後も枕草子を読んで 「定子がいた頃は良かった」と懐かしむ貴族や女房はいたようです。 清少納言と百人一首 小倉色紙(蝉丸)出典:Wikipedia 清少納言は枕草子だけでなく、和歌にも優れていました 本人は苦手だと枕草子で言っていますが。 清少納言の和歌は漢詩の知識を活かした作品が多く、象徴する歌が百人一首に選ばれています。 夜こめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ 意味は 「函館谷の鳥の声真似は騙せても、逢坂の関は開きません。 私は騙されて扉を開ける事はしませんよ」です。 この和歌だけだと意味が分かりませんが、この作品は宮廷での清少納言の様子や性格等を端的に表したものなのです。 和歌の意味 新安県の函谷関 出典:Wikipedia この和歌は清少納言と藤原行成のやり取りの中で生まれたもので、枕草子にも載っています。 夜明けまで清少納言と話が弾んできた藤原行成ですが、突然帰ってしまい、後日 「鶏の鳴き声が聞こえたから、朝だと思って帰ってしまった」と手紙を送ってきます。 清少納言は 「鶏の声は、函谷関の鶏の声だったのではありませんか?」の手紙を送ります。 函谷関の鶏の声とは、孟嘗君が函谷関の関所を越える際に鶏の鳴き声を真似し、門を開けさせたエピソードの事です。 行成が聞いた鶏の声は嘘であり、早く帰りたかったのではないか?と尋ねているのです。 行成は 「開いたのは逢坂の関です」と手紙を送ります。 逢坂とは実際にある関所ですが、逢という言葉と掛け、逢坂の関を抜けて清少納言に逢いたいと言っているのです。 その返答に対して清少納言が歌ったのが、先程の和歌になります。 函館谷の鳥の声真似は騙せても、逢坂の関は開きません。 私は騙されて扉を開ける事はしませんよ と返答したのです。 清少納言は深い教養を駆使して、男性相手に一歩も引かずに、機知に富んだやり取りを行なっていたのです。 清少納言の性格は? 枕草子絵巻 出典:Wikipedia 先程の和歌からも分かる通り、清少納言はとても強気な性格でした。 枕草子にはこのような応酬が多く収録されています。 当時は漢字や漢詩は男性が書くもので、女性が学ぶものではないと言われていました。 そんな宮廷においても、漢詩を使った応酬で、多くの男性をやり込めています。 現在に例えるなら、バリバリのキャリアウーマンというところでしょう。 とは言え枕草子には清少納言が始めて宮廷に出仕した時に、緊張のあまり半泣きになり、物陰に隠れていたエピソードが残されています。 また宮廷での仕事も定子が亡くなるとあっさりと辞めてしまう等、定子を尊敬する思いは生涯変わりませんでした。 勝ち気な性格の中にも、繊細で優しい一面もあったのですね。 清少納言にゆかりのある地 京都御所 京都御所 御所正門・建礼門 出典:Wikipedia 清少納言が宮廷に出仕していた京都御所・内裏の清涼殿です。 現在の御所はその時よりも小さいようです。 枕草子で語られるエピソードはこの地で沢山生まれました。 清水寺 清水寺 本堂 舞台 出典:Wikipedia 京都で最も有名なお寺の1つです。 平安時代も由緒正しい神社として、枕草子に何度も出てきます。 さわがしきもの 走り火。 板屋の上にて烏の齋の産飯食ふ。 十八日に清水に籠りあひたる…等です。 千年前も十八日の縁日の日は大混雑だったのですね。 清少納言は生没年も不明であり、居住地等も不明な点が多いです。 枕草子には清水寺等、現在の京都の名所の話が多く執筆されています。 html 枕草子 山本淳子:枕草子のたくらみ 「春はあけぼの」に秘められた思い 朝日選書 最後に 今回は清少納言の生涯と枕草子について紹介しました。 清少納言の性格や、枕草子に込められた思いを知ることが出来たでしょうか? 枕草子は千年経っても色褪せる事はなく、私達も共感できる部分が沢山あります。 読みやすく現代語訳されたものもあるので、ぜひ「をかし」を感じてみませんか?.

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憎しみ │ 名言集および格言集

清少納言名言

流行に敏感なキラキラ女子たちは、自分たちが「いい」と感じたものをSNSで積極的に発信します。 そんなキラキラ女子は、今からおよそ1,000年前にも存在していました。 それは、 随筆『枕草子』の作者として知られる清少納言。 彼女は自らの宮仕え生活の中で気づいたこと、感じたことを生き生きと『枕草子』に綴りました。 「これって素敵!」、「あれは正直ちょっとないよね」と感覚的に紹介する様子は、SNSを活用するキラキラ女子に近いものがあります。 今回はそんな1,000年前のキラキラ女子こと、清少納言の日常を現代のInstagram風に超訳。 今も昔も変わらない、キラキラ女子の姿を見てみましょう。 キラキラインスタグラマー、清少納言の日々。 枕草子の内容は、主に自然や人々の美しい面について述べた 「随想的章段」、宮仕えをしていた日々を描いた 「回想的章段」、そしてあらゆる物事の特色を集めた 「 類想 るいそう( 類聚 るいじゅう)的章段」の三種類にわけられます。 清少納言はそこにウィットを効かせた言葉遊びをしたり、共感を呼ぶ物事を挙げています。 では、実際に「あてなるもの」(上品で美しいもの)の章段を見てみましょう。 あてなるもの、うす色に白がさねの 汗袗 かざみ。 かりのこ。 削った氷にあまずら入れて、あたらしき 金鋺 かなまりに入れたる。 水晶の 数珠 ずず。 藤の花。 梅の花に雪の降りかかりたる。 いみじううつくしきちごの、いちごなど食ひたる。 第四十二段「あてなるもの」より 【超訳】 上品で美しいものといえば、薄紫の下着に合わせる汗取りの衣。 カルガモの卵。 削った氷に甘茶をかけて、ぴかぴかの金のお椀に入れたもの。 水晶の数珠。 藤の花。 梅の花にふりかかった雪。 すっごくかわいい小さい子どもが、いちごを食べる様子。 目指せ上品女子 cute love like4like 宮廷女子と繋がりたい ただ無作為に「美しいもの」を挙げているように思えるかもしれませんが、雪や氷からは冷たく澄んだイメージ、幼い子どもの肌の美しさといちごの鮮やかな対比など、実は 読者の五感を刺激するものをピックアップしています。 清少納言は自分のアンテナにビビッときたものについて、思わず相手が「いいね!」を送りたくなるような構成作りに長けていたことが伝わってきますね。 女子必見。 清少納言の思う、「情けないもの、興ざめなもの、嘆かわしいもの」とは。 InstagramをはじめとするSNSにおいて、「いいね!」を誘う話題の多くは、「わかる〜!」と共感を誘うもの。 続いて、「あさましきもの」(情けないもの、興ざめなもの、嘆かわしいもの)の章段を見てみましょう。 刺櫛 さしぐしすりてみがくほどに、物に突き 障 さへて折りたるここち。 車のうちかへりたる。 さるおほのかなる物は、 所狭 ところせくやあらむと思ひしに、ただ夢の心地して、あさましうあへなし。 人のために恥づかしうあしきことを、つつみもなく言ひゐたる。 かならず来なむと思ふ人を、夜一夜起き明し待ちて、暁がたに、いささかうち忘れて寝入りにけるに、烏のいと近く、かかと鳴くに、うち見上げたれば、昼になりにける、いみじうあさまし。 見すまじき人に、ほかへ持て行く文見せたる。 無下に知らず見ぬことを、人のさし向ひて、あらがはすべくもあらず言ひたる。 物うちこぼしたるここち、いとあさまし。 第九十七段「あさましきもの」より 【超訳】 櫛を磨いていたら、うっかりものに引っ掛けて折ってしまったとき。 牛車がひっくり返ってしまったとき。 (あんなに大きいものだからひっくり返ったりしないわ、と思っていた) 聞いているこちらが恥ずかしくなる悪口を、遠慮なく言われたとき。 必ず来てくれると思ったあの人を一晩中起きて待っていたのに、結局明け方になってついつい寝てしまったらカラスの鳴き声で目を覚ました。 気づいたら昼になってしまったなんて、すごく情けない。 見せてはならない人に、うっかり手紙を見せてしまったとき。 こちらが全然知らないことを、私が言ったように責められてしまったとき。 ものをひっくり返してこぼしたとき。 どれもこれも、すごくしょげてしまう。 life me nofilter 「あさましきもの」は大まかに言うと、取り返しがつかないほどの失敗や、予想外の出来事に目を疑ったり、しょんぼりしてしまう感覚を指す言葉です。 櫛を折ってしまったことに落ち込む描写は、お気に入りのアクセサリーを壊してしまったということ。 そう考えると、多くの人が「わかる!」と共感するはずです。 また、想いを寄せる人がやってくるかもしれない可能性を最後まで信じ続けるも、結局約束が果たされなかったエピソードは、女性は「切ない」「でも信じちゃうよね」と静かに頷いてしまうでしょう。 そんな共感を呼ぶ表現もまた、 清少納言があらゆるInstagramユーザーから「いいね!」を誘う「キラキラ女子」のようであるからこそなのかもしれません。 「こんな男は嫌だ」?キラキラ女子がもの申す! キラキラ女子に共通しているのは、恋愛面において充実した生活を送っている点。 そうでなくとも、彼女たちは「付き合えるのなら誰でもいい」のではなく、毅然とした態度で、情けない男性を寄せ付けない強さがあります。 清少納言はというと、「暁に帰らむ人は」という章段で、あじけない男性とはどういった存在なのか、こう述べています。 暁に帰らむ人は、 装束 しょうぞくなどいみじううるはしう、 烏帽子 えぼしの緒・ 元結 もとゆいかためずともありなむとこそ、覚ゆれ。 いみじくしどけなく、かたくなしく、 直衣 のうし・ 狩衣 かりぎぬなどゆがめたりとも、誰か見知りて笑ひそしりもせむ。 人はなほ、暁の有様こそ、をかしうもあるべけれ。 わりなくしぶしぶに、起き難げなるを、強ひてそそのかし、「明け過ぎぬ。 あな見苦し」など言はれて、うち嘆く気色も、げに飽かず物憂くもあらむかし、と見ゆ。 指貫 さしぬきなども、居ながら着もやらず、まづさし寄りて、夜言ひつることの名残、女の耳に言ひ入れて、何わざすともなきやうなれど、帯など結ふやうなり。 格子 こうし押し上げ、 妻戸 つまどある所は、やがてもろともに 率 ゐて行きて、昼のほどのおぼつかならむことなども、言ひ出でにすべり出でなむは、見送られて、名残もをかしかりなむ。 思ひいで所ありて、いときはやかに起きて、ひろめきたちて、指貫の腰こそこそとかはは結ひ、直衣、 袍 うえのきぬ、狩衣も、袖かいまくりて、よろづさし入れ、帯いとしたたかに結ひ果てて、つい居て、烏帽子の緒、きと強げに結ひ入れて、かいすふる音して、扇・畳紙など、昨夜 枕上 まくらがみに置きしかど、おのづから引かれ散りにけるを求むるに、暗ければ、いかでかは見えむ、「いづら、いづら」と叩きわたし、見出でて、扇ふたふたと使ひ、懐紙さし入れて、「まかりなむ」とばかりこそ言ふらめ。 第六十段「暁に帰らむ人は」より 【超訳】 朝早く女のところから帰る男が、きちんと身なりを整えて、烏帽子の紐をぎゅっとしめていくのはちょっとね。 服を無造作に着ていたとしても、誰も笑いっこないんだもの。 むしろ、去り際の姿こそ心に残るのにね。 渋々起きてきた男に「ほら、もうすっかり朝になってしまったわ。 まあ、なんてお寝坊さんなのかしら」と女に急き立てられて、それでもどこか名残惜しげに女の耳元に昨晩の睦言を繰り返していたかと思えば、さっといつの間にか帰る支度をしているのがいい。 格子をあげて、ふたりで出口まで行ったときに男が「また会えるまでがもどかしいよ」なんて口にしながらも出て行ってしまう姿を見ると、ついつい名残惜しくなってしまう。 逆に、さっぱりと起きてきて、慌ただしく「あれはどこだ」とがさがさ暗いなか物音を立てて、「じゃあ帰るから」と去っていく男のあじけなさったらないわ……。 love fit HAPPINESS alone HowToLove 一晩の思い出について、余韻を残してくれるような男性かそうでないか…… 本当にスマートな男性のあるべき姿について、清少納言は恋にも全力なキラキラ女子の視点から語りました。 たしかに、どたばた慌ただしく身支度をし、あっさりと帰ってしまう男性よりも、必要最低限の身支度を整えたら名残惜しい姿を見せてくれる男性のほうが、「また会いたい」と女性の心を掴みやすくなるでしょう。 女性は思わず納得してしまう反面、男性は「なるほど」とアドバイスとして心に留めておきたくなる章段なのではないでしょうか。 いつの時代においても、女性を夢中にする男性の特徴はそれほど大きく変わっていないことがうかがえますね。 キラキラ女子VSクリエイター女子。 相容れなかった清少納言と紫式部の関係。 平安のキラキラ女子こと清少納言と同じく、宮廷で皇后に仕えていた 紫式部。 ふたりは「ライバルだった」、「仲が悪かった」とされることも多いですが、実際は「年齢が離れていた」、「宮廷にやってきた時期がずれていた」という理由から「日常的に直接顔を合わせていた」とは言い切れない見方もあります。 江戸時代の学者、本居宣長は『源氏物語』について、「しみじみと心に湧き上がってくる感動」を表す 「あはれ」という言葉を用いて「あはれの文学」と称しました。 一方で『枕草子』に見られる 「をかし」は、瞬間を切り取った感動を指すこともあるため、双方の感動は大きく異なるタイプのものといえます。 現代風に言い換えるのならば、 「あはれ」は創作物において崇高で近寄りがたく、神格化したキャラクターや展開に抱く「尊い……」といった感動に近く、「をかし」はInstagramで大量に流れてくる投稿にボタンひとつで賛同できる「いいね!」のようなもの。 紫式部は「こんな素敵な男性がいたらいいのに」と夢物語を書くクリエイターである一方、清少納言は目に入るあらゆる素敵なものを「こんなことがあったの!」と全世界に報告するインスタ女子です。 紫式部はそんな清少納言が気に入らなかったのか、『紫式部日記』にて激しい批判を行っています。 清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。 さばかりさかしだち、 真名 まな書き散らして侍るほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。 【超訳】 清少納言って、ドヤ顔をしているわりにはたいしたことのない人でした。 あれほどインテリぶってるくせに、漢字を書けば間違いばかり。 その程度の学力、まだまだ足りない点だらけ。 当時、漢字を書くことは相当の身分の男性でしか身につけられないスキルでした。 「でも、私はそれができるのよ」とドヤ顔で書き散らしていた清少納言に対し、「間違いだらけでよく言うわ」と紫式部は冷たく批判していました。 誇りかにきらきらしく、心地よげに見ゆる人あり。 【超訳】 プライドが高く、キラキラしている人はとっても気分が良いでしょうね。 紫式部はどちらかといえば控えめな女性。 『紫式部日記』には、乗り気でないまま宮仕えをすることになってしまった苦悩や、宮廷で同僚に無視されたショックから引きこもりになってしまった出来事が綴られています。 繊細で落ち込みやすい性格の紫式部からしてみれば、我が強い清少納言は少し鼻持ちならない存在だったことは想像に難くありません。 キラキラ女子とクリエイター女子、平安時代を代表する女流作家ふたりの性格を踏まえて作品を読んでみれば、印象が変わりますね。 (合わせて読みたい ) 今も昔も変わらない、キラキラ女子の姿。 自分が良いと思ったものを積極的に発信し、恋も仕事も全力投球。 そんな元祖キラキラ女子といっても過言でもない清少納言の鮮やかな日々が、『枕草子』には描かれています。 あなたもぜひ、宮廷を舞台にした、きらびやかで素敵な毎日を『枕草子』で味わってみてはいかがでしょうか。 (合わせて読みたい: ).

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