俺ガイルなぜ。 俺ガイルの葉山隼人がうざいし嫌い?アンチの声や嫌われてる理由まとめ

#7 なぜだか雪ノ下雪乃は見守られている。(俺ガイルSS)

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【俺ガイル】由比ヶ浜結衣は八幡に恋していた きっかけは由比ヶ浜が飼っているサブレ(ワンちゃん)をかばって車にひかれたことだと思います。 由比ヶ浜は八幡に恋するようになりました。 罪悪感がある由比ヶ浜は、お礼をするために八幡の家まで行くも、会えないままで終わります。 学校で姿を見かけるも、きっかけを作り出すことができずに話しかけることができないでいましたね。 そこで八幡が部活に入ったことをきっかけに、同じ「奉仕部」に入部することで話すきっかけを作った由比ヶ浜。 お礼を言うだけのはずが、長い間意識してしまっていて、それが恋へと変わっていました。 【俺ガイル】由比ヶ浜結衣は雪ノ下と友好関係を築いていた また、由比ヶ浜は雪ノ下雪乃とも良い友好関係を築いてきました。 雪乃は性格上親しく話せるクラスメイトがいませんでした。 そんな雪乃をサポートするような存在でしたね、由比ヶ浜は。 二期に入り最初の依頼である戸部の告白を手助けする依頼を受けるときの描写で、雪乃は奉仕部の活動ではないと判断して依頼を断ろうとします。 しかし恋愛話に興味深々な由比ヶ浜は依頼を受けたくて仕方ありません。 結局由比ヶ浜のお願いに抗えず依頼を引き受けています。 ここで分かるように、雪乃にとって「由比ヶ浜の願い」は叶えてあげたいと想える対象になっていると考えられます。 【俺ガイル】由比ヶ浜結衣が「全部欲しい」と言った意味を考察 由比ヶ浜らしいことといえば、空気を読んで誰(自分を含め)も傷つかないように振る舞い、共感して相手に合わせることですね。 やはり由比ヶ浜の生き方には「自分の考えを言葉に出せない」という、由比ヶ浜の苦手な部分が露出して見えます。 言葉を抽象的にすることで誰も傷つかないように「全部」という言葉を選んだと思います。 つまり、「全部欲しい」=「八幡とも結ばれたいけど、雪乃ともこのまま友達でいたいし、部活も友好関係も、全部が壊したくない」ということでしょう。 【俺ガイル】由比ヶ浜結衣のかわいそうな最後まとめ 「俺ガイル」の最後は、八幡が雪乃を選んで由比ヶ浜は失恋する形となりました。 由比ヶ浜としてはあれだけアプローチをかけた相手に振られたということです。 悔しい気持ちでいっぱいでしょう。 八幡と恋人になることも「全部」の中に含まれていると思いますし、雪乃さえいなければうまくいったかもしれません。 ですが、由比ヶ浜にはどうすることもできません。 空気を読んでしまう由比ヶ浜には二人が選んだことに口を出すことを恐れていると思います。 そうしてしまうと三人でいられる日常までもがなくなってしまうかもしれないからです。 由比ヶ浜は二人の決定には意見できなかったために、自分の願いは口にすることができなかったと思われます。 八幡と雪乃って、どこか似た部分がありますよね。 「日陰に咲く美しい花」というか、「周り環境に対する絶望感の中で潰されずに生きようと必死なところ」とか。 まず八幡が雪乃を放っておけない理由としては、八幡には雪乃の気持ちがよく分かるからでしょうね。 雪乃が何に押しつぶされそうになっているのかが八幡には分かるので、絶対助けてあげたいと思っていると思います。 ある意味、「俺以外に雪乃を分かってやれる奴がどこにいる」的な。 だから、八幡と雪乃は、似ているものを持つ同士、一緒になるのも必然だったのかなという気がします。 一方、由比ヶ浜は雪乃ほど八幡の心の奥深くに入ってこないのですよね、きっと。 八幡も由比ヶ浜のことはかなり認めていると思いますが、「凄い良い友達」以上には発展しないのでしょうね。 「俺じゃなくても大丈夫でしょ」的な…。 ドラマティックな八幡との出会いに心揺れ、異色の八幡に惹かれ、と、もしかしたら、恋ではなかった可能性もあります。 それに、仮にもし、八幡が由比ヶ浜を選んだとしても、由比ヶ浜が雪乃に気を使わずに付き合うことができたかどうかも疑問です。 由比ヶ浜の願いはこの三人でいる空間がいつまでも続けられることだと思います。 あわよくば、八幡と恋人関係になりたいと考えていたでしょう。 ですが、ここではやさしい由比ヶ浜が出てしまったと思います。 由比ヶ浜は、三人の関係が続けられる方を優先したのだと考えられます。 【俺ガイル】由比ヶ浜結衣の切ない最後の依頼とは 最後の由比ヶ浜の依頼の内容とは、 「私が勝ったら全部もらう」 すごく曖昧な依頼です。 でも、本人の中では明確になっていると思います。 由比ヶ浜はこの関係がずっと続いてほしいと願っていると思います。 欲を言ってしまえば八幡と恋人関係となり、雪乃とは親友であり続けることだと思います。 それが叶わないのであれば三人が親友としていつまでも同じ時間を過ごしていたいと思っているでしょう。 八幡が誰とくっついたとしても、この3人の関係が壊れないことが、由比ヶ浜の依頼の真意だと思います。 【俺ガイル】由比ヶ浜結衣のその後を考察 八幡との恋は果たせないことが分かった由比ヶ浜は今後どうするでしょうか? その部分を考察していきます。 考察1: 材木座義輝に恋をする 八幡と関わりが深い同系統の人物といえば「材木座義輝」。 中二病全開のたくましいメンタルを保有しています。 八幡並みにコミュニケーションが取れないボッチライフを極めていますね。 就学旅行では別のクラスなのに八幡の部屋に来て友達いないアピールをしています。 由比ヶ浜が恋心を抱くとしたらあり得るかもしれませんが、あくまでも可能性の話ですね 笑。 この組み合わせは意外といえば意外で面白いと思います。 考察2: 戸塚彩加 に恋をする もう一人関わりがあるとすれば「戸塚彩加」。 見た目は完璧に女の子であるが実は男。 テニス部では部長をしているがあまり運動ができる様には見えない。 八幡のことをいつも気にかけていて、八幡にとって心から親友と呼べる相手なのではないでしょうか? この二人の共通していることといえば「八幡のことが好き」であることだと思います。 八幡のためにサプライズを考えようといったイベントで、二人で行動するうちに恋人になる。 みたいなスピンオフがあったら面白いですね 笑。 「材木座義輝」と「戸塚彩加」この二人の可能性を考えると「戸塚彩加」の方が可能性としてはあるかもしれません。 というかそうであって欲しいです。 この組み合わせで四人で遊んでいる様子を想像すると自然に感じます。 完璧に八幡ハーレムの完成です 笑。 考察3:八幡を諦めずに、雪乃を応援しつつ、2人が別れるチャンスを狙う 由比ヶ浜の「全部ほしい」を叶える可能性として雪乃と別れることを待つ可能性も捨てきれませんね。 これは一番濃厚な展開でドロドロした昼ドラのようなお話だと思います。 やはり間違った青春ラブコメのストーリーの方が視聴者としては期待してしまいますね。 想像するに、雪乃と八幡は問題解決の場面で意見が対立して雪乃は由比ヶ浜に相談します。 八幡は相談できる相手がいないので小町が気づいて聞きだされるかもしれません 笑。 ここで由比ヶ浜はチャンス到来で小町と協力して八幡と恋人になるストーリーが描かれるかもしれません。 個人的に言えば昼ドラ展開は万々歳です 笑。 その後の三人で過ごすようになるまでが長いかもしれませんが、そこについては由比ヶ浜の願いの部分にもなると思うので、八幡と小町で雪乃を説得する展開になるかもしれませんね。 まとめ 最終的に選ばれなかったかわいそうな由比ヶ浜。 「全部欲しい」の依頼は成し遂げられないと思います。 ですが、最低限の三人でいられる状況については叶えられているはずです。 その後に新たな恋に発展する可能性も考えられますが、それは妄想の中に秘めておきます 笑。 展開としてはかわいそうでした。 しかし、由比ヶ浜はそれでも幸せだったと思います。 親友である雪乃に恋人ができたことを心から喜んでいると思います。

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『俺ガイル。続』第3話の感想・考察。なぜ比企谷と雪ノ下雪乃は対立しているのか

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俺ガイルの葉山隼人がうざいし嫌い?アンチの声 容姿も性格もすごくいい印象がある葉山くんに対して苦手意識がある人いるのかなぁ~と疑問を持ちながらTwitterを調べてみたら・・・あるわあるわ・・・いやめっちゃある。 ほんの一部ツイートを紹介していますが、なぜこんなに嫌われてるんだと思うほどありました。 俺ガイルと言えば葉山。 あいつ嫌い。 綺麗事ばっかで汚れ仕事は比企谷に押し付けるって感じ。 優しいふりして自分が満足したいだけ、みたいな? — D. P majunia7asahi 俺ガイルを見直してるんだけど 葉山嫌いだわ 天敵だわ イケメン近寄ってくんな — 平成フランスパン girisupan 本当葉山嫌い!俺ガイルのキャラの中で1番腹立つ!性格悪すぎんだろコイツ — H. Z UverTbpal 俺ガイルの中では葉山が嫌い。 こういうタイプは現実でも結構苦手なタイプだったりする。 裏表がない人というのはほとんどいないかもしれないけど,正直な人が好き。 僕が割と騙されやすい素直な性格しているのでw — アツシ Atsushisippu なぜ彼の事をよく思わない人が多いのか、次項ではその理由を考察していきたいと思います。 スポンサーリンク 葉山隼人が嫌われてる理由は? それでは葉山隼人がファンから嫌われている理由についてもまとめていきます。 正義感も強く、クラスのみんなからも慕われていて、クラスの中心人物。 さらに、サッカー部のエースかつ次期部長候補でもあり、絵に描いたようなリア充だと言えるでしょう。 ちなみに、成績も学年トップクラスのまさに文武両道なイケメンキャラクターです。 もし「俺ガイル」が少女漫画だとしたら、間違いなくお相手のヒーローでしょう。 ただし、「俺ガイル」の主人公はぼっち系を極める比企谷八幡です。 彼は、葉山隼人のことも好ましく思っていません。 「俺ガイル」の支持層が、どちらかと言えば八幡に感情移入をしてストーリーを追っていく中で、八幡からみて「うざい」「邪魔だな」というキャラクターは読者、視聴者からも嫌われてしまう傾向があるようです。 ましてや、八幡と葉山隼人は正反対の対照的なキャラクター。 意見が敵対することも多く、しかし作中のモブから支持されるのは葉山隼人だという状況を好ましく思わない読者、視聴者がいてもおかしくはないでしょう。 ちなみに、葉山隼人と一緒にカースト上位のキャラクターとして、三浦優美子もいるのですが、こちらも結構なアンチがいるようですね。 こちらはまた別のようですが、カーストが低めなキャラクターを主役に据えた場合、カースト上位のキャラクターは好ましく思われない傾向にあるようです。 こういった完璧人間はリアルでもいますが、影で敵を作っていることも少なくありません。 あなたの周りにも葉山隼人のような人物がいませんでしたか?その人は誰からも嫌われていないようでも、実は影でこっそり嫌われていませんでしたか? 私の学生時代にも1人や2人完璧人間がいましたが、確かに人気者ではありましたが一部の人間から八方美人という見方をされ嫌われていました。 「天は二物を与えず」なんてことわざがありますが、二物も三物も四物も与えてられている人を見ると、自分と比べ、世の中不公平だと思ってしまい、その矛先がその人物に向かってしまうということもあるようですね。 カースト上位のキャラクターが好ましく思われない理由のひとつもここにあるのかもしれません。 スポンサーリンク 逆に葉山隼人が好き!その理由は? 一方で、葉山隼人のことが好き!だというファンも多いです。 なんと言っても、公式イケメン設定で、(前項でも何度もお伝えしましたが)文武両道、性格も良し・・・という設定だけ見ると完璧な男性ですから、女性からは人気が高いようです。 彼は彼なりに悩んだり、苦しんだりしているのです。 葉山隼人は、最初は比企谷 八幡の名前を間違えるなど、彼に全然興味を持っていなかったようです。 しかし、ストーリーが進むにつれ、比企谷 八幡のことを対等な存在と認めていきます。 お互いに「お前のことが嫌いだ」と言い合い、悪い奴ではないことを理解しながらも、なぜか相容れない。 そんな存在として、お互いを認識していくようになります。 完璧人間・葉山隼人が苦悩とともに成長していく・・・この過程に好感を持てる、という男性が多くみられました。

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『俺ガイル』14巻 感想・考察 だから青春は「本物」を求め続ける

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言葉への批判意識 言葉一つじゃ足りねぇよ。 本音も建前も冗談も常套句も全部費やしたって、伝えきれる気がしない。 そんな単純な感情じゃない。 たった一言で伝えられる感情が含まれているのはまちがいない。 けれど、それを一つの枠に押し込めれば嘘になる。 (中略) こんな言葉でわかるわけない。 わからなくていい。 伝わらなくても構わない。 (渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 398より) この 言語への批判意識が、『俺ガイル』の 核心部分だと思います。 疑り深い人は 「言葉」の裏を読みたくなる。 すると人の心理が見えた気がして、その人を「知った」気になる。 そうして人を「知る」と今度は心理だけではなく感情が伝わってくる。 そうするともう「うわべ」だけでは我慢できない。 だからこの終わり方は、結果だけ見れば当然の帰結だとは思います。 しかしここまでの筆致で、リアルな等身大で、絶妙な「青春ラブコメ」を書いた作品が他にあったでしょうか? 私はないと思います。 だから私は『俺ガイル』が本当に素晴らしい作品だと思っています。 今読み終わったところなので、考えもまとまっておらず、一発書きなのですが、いまここで感じていることをメモさせてください。 「言葉」という殺害行為 言語化というのは、基本的に 殺害行為です。 ある感覚、ある感情を言葉にすると、 その感覚や感情はある意味死にます。 例えば、「犬のふわふわした温かみのある触感」と書いたとき、読み手はリアルな毛並みや体温を想像するでしょうが、そこにあった本当の犬の感触を言葉だけで完全に再現することはできません。 そのように、 本当にそこにあったはずのリアルな「感覚」というのは、言葉で完全に再現することは不可能です。 だから言葉はその意味で 「殺害行為」だと言えます。 他にも例えば、「彼と彼女は恋人だ」と言えば、聞き手は各々の想像する 「恋人」という概念にその二人をおしこめるでしょう。 「恋人」は「普通」デートをするとか、キスをするとか、そういう 「恋人」という言葉の枠に二人を当てはめようとするでしょう。 でも、実際には二人はもっと特殊な関係かもしれません。 「普通の恋人たち」のようにデートはしないかもしれない、キスもしないかもしれない、傍から見れば仲が悪く見えるかもしれない…… そういう独自の関係性は、「恋人」という言葉に押し込めた途端に捨象されてしまいます。 関係を名付けてほしくなかった だから、『俺ガイル』では「普通に」告白してほしくなかった。 「普通の恋人」になってほしくなかった。 なぜなら、 『俺ガイル』で求められている「本物」というものは、言葉にできない関係性、言葉にしがたい関係性だと思っていたからです。 端的に言えば、いわゆる「誰々エンド」というのは 全くナンセンスだということです。 なぜなら「誰々エンド」という言葉で語れるくらいの関係が 「本物」のはずないからです。 八幡は絶対にそんな関係を選び取らないからです。 実際、彼らが得た関係はそんな 既存の言葉に簡単に当てはめることのできないものでした。 その証拠として、例えば一色に「お二人はどういう関係になるんですか」と聞かれたときに、「どう、なるんですかね……」、「こういうのは説明が難しいのだけれど……」と 雪乃と八幡が逡巡している場面が挙げられます。 これは照れ隠しなどでは決してなく、 言葉で説明できない関係性だということを2人も自覚していたからだと考えられます。 また、嬉しかったのは 由比ヶ浜もそのような2人の言葉にならない絶妙な関係を察知していたという点です。 由比ヶ浜はラストで「あたしの好きなひとにね、彼女 みたいな感じの人がいるんだけど」と、 「みたいな」と言っていて、彼らの関係が はっきりと「彼女」という言葉にできるものではないと察していると考えられます。 以上のように、 言葉に批判意識をもちながら、言葉にならない関係性を、「本物」を、彼ら彼女らが求めていたということを確認できた点が、最終巻で本当に良かったと思える点でした。 『俺ガイル』は共同体論である 私は『俺ガイル』は 共同体論だと思います。 人と人がどれほどの関係を結べるか、どこまで深く付き合えるか、人と人との間にどれほどの可能性があるのか、それを真摯に探究したのが『俺ガイル』だと思います。 だから、彼ら彼女らが最後まで彼らなりの「本物」を求めていたことが、私にとっては救いでした。 その点で、最終巻は本当に良かったです。 「舞台装置」? それに加えて良かったと思ったのは、陽乃の扱いです。 『俺ガイル』でずっとネックだな、と思っていたのは陽乃の扱いでした。 彼女だけが少し浮いていて、彼女だけがずっと 舞台装置っぽいなという感じがしていたからです。 「舞台装置」というのは、 陽乃が作品の都合のいいように「アンチテーゼ」として利用されていた感が大きかったということです。 しかしそれも最終巻を読み、さらに考察を深めていくことで かなり解消されたように思いました。 人間味のある陽乃 というのは、最終巻ではとくに陽乃が舞台装置ではなく、 一人の人間として機能していたと思ったからです。 「ちゃんと決着つけないと、ずっと燻るよ。 いつまでたっても終わらない。 わたしが二十年そうやって騙し騙しやってきたからよくわかる……。 そんな偽物みたいな人生を生きてきたの」 (渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 289より) このあたりに陽乃の 人間味が垣間見えていました。 しかし単純に人間味のあるところが描かれたから良かったというわけでもなく、むしろこれで、陽乃の 人間としての「底」がある程度見えてしまったという感じがしなくもありません。 というのは、これだけだと陽乃が 「うわべ」の代表格、あるいは 捻じ曲がったシスコンというふうに読めなくもないからです。 陽乃=「うわべ」の代表・捻じ曲がったシスコン 1. 「うわべ」の代表 「うわべ」の代表格というのは、 『俺ガイル』において陽乃は強化外骨格みたいな「うわべ」を駆使して、「うまくやって」生きてきた人間の代表として描かれているということです(ただもちろん彼女には「裏の顔」もあってそれゆえに彼女は苦悩しているわけですが)。 陽乃は父親の仕事を手伝う過程で、 「うわべ」をうまく使って人と良好な関係を結び、また、その 「うわべ」によって何でもできる「雪ノ下陽乃」像を構築してきたのだと考えられます。 ここにひとつ陽乃の 「底」があります。 つまり、陽乃がそうした「うわべ」だけで生きてきた人間なら、彼女は ある意味で「偽物」の人生を歩んできたわけで、そういう意味で、 陽乃は八幡の言う「本物」に近いものにすら触れたことがないと考えられるからです。 <追記 2020. 14> しかしむしろここに陽乃が「本物」を求める理由があるわけで、このことによって陽乃はより舞台装置ではなく一人の人間として描かれていると今では考えています(詳しくは参照)。 捻じ曲がったシスコン 「捻じ曲がったシスコン」というのは、陽乃が雪乃のためにわざと嫌がるような行動をとり続けているという読み(解釈)のことです。 この解釈では、陽乃には、自分の通る道を綺麗にたどる雪乃を本当にかわいいと思いながらも、 彼女に違う道を歩んでほしいという願いがあった、と読むことができます。 あるいは、「うわべ」の人生しか選べない自分を自己批判し、 それとは違う「本物」を彼女も求めていて、その「本物」の夢を雪乃に託したと読むこともできます。 どちらかというと個人的には、 陽乃も「本物」を心の底で求めていた、そしてその実現を雪乃に託したという読みの方がしっくりくる気がします。 <追記2020. 14> 陽乃の雪乃に対する感情はそんな生半可なものではないように今では思います。 なぜなら陽乃は雪乃に「偽物」の人生を突き付けられると同時に、 いわば自分の人生をまるごと否定されたようなものだからです。 だからここの読みは甘いと今は思います。 これについては追い追いアニメ俺ガイル完の考察とともに記事にするつもりです。 「雪ノ下雪乃の救済」というテーマ 雪ノ下雪乃の救済というのが後期『俺ガイル』のテーマでした。 「救済」というのは、9巻で 「いつか、私を助けてね」という雪乃のセリフに起因しています。 「いつか、私を助けてね」とはどういうことか そもそも「助けて」とはどういうことかというと、 依存してしまう自立できない私を助けてねということです(もちろん助けを他者に求めてしまう時点でむしろ依存しているわけですが)。 雪乃が依存体質であることは13巻でも陽乃から指摘がありましたが、1巻から雪乃はそのような面を見せていました。 というより、それこそが 雪乃が奉仕部を創った理由だと考えられます。 雪乃が奉仕部を創った理由 そもそもなんで雪乃が奉仕部を創ったかというと、 依存せず自立したいからだと考えられます。 ただそれはいわば隠された理由(はっきりと書かれてはいない理由)であって、彼女が言葉で言っている理由は違います。 彼女が口で言っていた理由は、「持っているもの」が損をする世界はおかしいから、 「変えるのよ、人ごと、この世界を」というものでした。 ではどういうふうに変えるかというと、 魚の獲り方が分からない人=自立できていない人に、 「魚の獲り方を教える」というやり方で「自立」をうながすのでした。 つまりみんなが 「自立」して、皆が 「持っているもの」に近くなる世界を目指していたわけです。 「持っていない」 ただそれは、 雪乃がある意味で「持っていない」ことの裏返しだと考えられます。 たしかに雪乃は何でもできます。 勉強もスポーツも、容姿も端麗。 そういう意味では「持っている」人間です。 しかし、それは 「依存」の延長線上として得てきたものです。 というのはそれらは 誰かに与えられたものを完璧にやり遂げて得たものにすぎないからです。 では誰が救われたかったのか この点で雪乃は「自立」できていないと言えます。 しかしだからこそ雪乃は奉仕部を立ち上げたと考えられます。 すなわち、雪乃は誰かから与えられたことを完璧にこなすのではなく、 自分から主体的に何かを成し遂げる経験をするために奉仕部を立ち上げたと考えられるのです。 したがって、 人に「自立」をうながしながら、本当に「自立」したかったのは雪乃の方だったのではないでしょうか。 人に救いの手を差し伸べておきながら、本当に救われたかったのは雪乃自身だったのではないでしょうか。 「別のものが欲しかった」 おそらく、生まれてからずっとなんでも完璧にこなしてきた雪乃は、それでも常に自分の上をいって何でもそつなくこなす 陽乃に コンプレックスを抱いていたのでしょう。 というよりも、 陽乃に自分のアイデンティティを奪われてきた(消されてきた)という言い方の方が正確かもしれません。 完璧にやる陽乃がいる、親から必要とされているのは陽乃だ、では自分(雪乃)の居場所はどこにあるのか……と、雪乃はそう考えていたのではないでしょうか。 そうして彼女は 「なんで私はそれを持っていないんだろうって、持っていない自分に失望」した。 だから、「別のものが欲しかった」。 そして雪乃は奉仕部を創った。 姉が持っておらず、自分だけが持っている、 雪乃自身のアイデンティティ、それが 奉仕部だったのではないでしょうか。 そのように奉仕部は、 雪乃が自立してできるのだということを示す証のようなものだったと考えられます。 救済は果たされたか? だから、 雪乃が最後に救済されるのか? ということが『俺ガイル』の1つの大きなテーマでした。 雪ノ下雪乃は「自立」という奉仕部設立当初の目的を達成出来たのか、それが1つの大きなテーマだったわけです。 では14巻で雪乃は「救われた」でしょうか? 私は 救われたと思います。 というのは、 雪乃は彼女の意志で父親の仕事を手伝いたいということを伝えたし、また、 八幡を選ぶという選択もしたからです。 父親の仕事を手伝うというのは、一見陽乃の後追いのようにも思えますが、これは 雪乃の意志だと解釈してよいのではないでしょうか。 というのは別に誰にそうなれと言われたのでもなく、彼女自身が言ったことだからです。 それよりも、「わからない」といっていた雪乃が八幡を自分で選択し、そのことを由比ヶ浜にきちんと自ら打ち明けたことは、 明確な「自立」(誰から与えられたわけでない主体的な選択)と言ってもよいのではないでしょうか。 これも一見すると、雪乃が八幡への依存を深めたように見えるのですが、「ちゃんと言うわ」と自ら気持ちを口にする選択は、依存ではないでしょう。 以上のことから、雪ノ下雪乃の救済という大きなテーマは果たされたと、今のところ私は考えています。 <追記>ここの読みは甘かったと思います。 雪乃は一時的に「救われた」に過ぎないというのが今の読みです。 <追記2019. 26>俺ガイルの結末にある意味絶望している話 わけあって、俺ガイルの結末に絶望しています。 詳しくは以下のツイートをご覧ください。 相変わらず俺ガイルの感想を見たり聞いたりしているのですが、14巻で八幡が本物を見つけたという解釈は、私の解釈から言うと絶対に違うのではないかなと思いました。 — 才華 俺ガイル zaikakotoregail 私は「本物」は、そこに究極的に近づくことはできても原理的には到達不可能なものだと思っていて、八幡が最後にたどり着いた雪乃との関係性は、あくまで「本物」までの一過程にすぎないと考えています。 — 才華 俺ガイル zaikakotoregail 何も言わなくても分かり合える、その関係性の一形態として、八幡は雪乃の人生を歪める許可をとろうとした。 人生を分け合った。 でもそれはそれでしかなくて、それが「本物」の到達ではない。 — 才華 俺ガイル zaikakotoregail 大事なのはむしろその後で、その人生を分け合った関係性で、果たして「本物」に近づけるのかということ。 場合によってはその関係性は、人生を歪められた挙句他者に依存してしまう、まさに「共依存」のような関係へと堕ちてしまうこともあるだろう。 — 才華 俺ガイル zaikakotoregail そしてもちろん場合によってはうまく関係を構築して、「本物」に近づくこともできるだろう。 でも問題は、その「うまく関係を構築する」というのはどういうことかということ。 「本物」に近づくには果たしてどういう関係をもてばいいのかということ。 — 才華 俺ガイル zaikakotoregail ここに、私にはある種の絶望があって、「本物」を担保するものなんてあるのか、ひいては「本物なんてあるのだろうか……?」という疑問にたち戻らざるを得なくなった。 — 才華 俺ガイル zaikakotoregail 「本物」なんて、あるのだろうか。 — 才華 俺ガイル zaikakotoregail まとめると八幡たちは「本物」に到達したわけではなく、その途上であるということに気が付いたので、そこにある種の絶望があるという話なのです。 しかしその経過が見事なのであって、またその経過自体を「青春」と名付けることもできるでしょう。 問題はやはりでは「本物」を求めた先に、14巻で八幡と雪乃がたどり着いたその先に何があるのかということです。 例えば人は「恋人」のように親密になっていろいろなことを知った後に互いを嫌いになるということもあるわけで、もちろん八幡と雪乃は「恋人」ではないのですが、では彼らが結んだある種の関係の先にももっと多くの困難が横たわっているのではないかということは思わざるを得ないということです。 終わりの始まり もしも言葉がなかったら、私たちはどういう存在になっているのだろうか。 言葉のおかげで私たちは、現にあるような存在になっている。 言葉だけが、限界で、もはや言葉が通用しなくなる至高の瞬間を明示するのである。 (ジョルジュ・バタイユ『エロティシズム』酒井健 訳 ちくま学芸文庫,2004 p. 470) いささか大げさかもしれませんが、『俺ガイル』はこれに非常に近いところまでいったと思います。 言葉は無力です。 言葉には限界があります。 しかし 言葉はそれが表現しようとするところに究極まで近づき、その当のものを指し示すことができます。 そこに言葉の力があります。 『俺ガイル』が「本物」という言葉で語ろうとしていたことは、そのようなものなのではないでしょうか。 <追記> 後から見返すとかなり甘いところもあったように思います。 甘いところはアニメ3期1話ごとに考察を書きながら、さらに深く考えていきたいと思います。 <俺ガイルの記事一覧> ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・.

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