橘家圓蔵。 橘家圓蔵 (8代目)

橘家文蔵 (タチバナヤブンゾウ)|チケットぴあ

橘家圓蔵

3代目 橘家 文蔵(たちばなや ぶんぞう、1962年3月25日 - )は、東京都江戸川区出身の落語家。 落語協会所属。 本名は込山 豊男。 出囃子は『三下りかっこ』。 橘家圓蔵の弟子筋と思われがちだが、林家彦六(8代目正蔵)の孫弟子に当たる。 なお上方には桂文左衛門という落語家がいたが別人である。 立川志らくとの親交も厚く、志らくプロデュースの演劇では、俳優として舞台に立っている。 かな文の名を貰う。 笑点Jr. メンバーとして 前身番組『BS笑点』の前期から出演しており、当初は準レギュラー扱いだったが、のちにレギュラー格となる。 コワモテキャラを生かした回答が多く、隣の三遊亭愛楽を突き飛ばす流れがお約束。 キャッチフレーズも「楽屋の模範囚」であった。 着物の色は、『BS笑点』のころは緑色と群青色のどちらかを着用していたが、『笑点Jr. 』以降は群青色のみとなる。 日本テレビ『笑点』2011年6月5日放送では若手大喜利に出演。 「50手前なのに若手」と自虐していた。 また、座布団獲得枚数が2代目木久蔵と同数でトップだったため、同点決勝を要求したが、司会者が2代目木久蔵のお父さんにお世話になっているとの理由で却下されていた。 なお、2代目木久蔵が獲得したのは、故障した歌丸フラドールであった。 2020年06月19日 金 06:54UTC 公式サイト• 関連ニュース.

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追悼の森/橘家圓蔵さん死去

橘家圓蔵

【通販限定価格】 NHKで放送された落語の名作を紹介するシリーズ。 収録演目は「死神」~「火焔太鼓」のリレー落語。 無関係な二席の噺を圓蔵一人でつなげて語ってゆく趣向をぜひご覧ください。 【収録内容】 『死神』~『火焔太鼓』(リレー落語) 普通のリレー落語は、長篇の噺を二人以上の演者が交代してリレーしてゆくもの。 今回の圓蔵版「リレー落語」の演者はただ一人、つまり無関係な二席の噺を圓蔵一人でつなげて語ってゆく趣向。 「死神」と「火焔太鼓」をどうつなげるか、そのマジックはご覧になってのお楽しみ。 (1990年4月19日放送) 【プロフィール】 1934年、東京都生まれ。 1953年、四代目月の家圓鏡(後に七代目橘家圓蔵)に入門し、竹蔵。 桂文楽の内弟子をつとめる。 1955年、升蔵で二ツ目、 1965年、真打に昇進し、五代目月の家圓鏡を襲名。 1982年、八代目橘家圓蔵を襲名。 四天王の一人として圓鏡の時代からテレビ、CM等で活躍、爆笑を誘う芸風でお茶の間の人気者となった。 *収録時間 59分.

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橘家圓蔵 (4代目)とは

橘家圓蔵

一般社団法人落語協会相談役の橘家圓蔵(たちばなや・えんぞう、本名・大山武雄=おおやま・たけお)さんが7日午前3時30分、心室細動のため死去した。 81歳。 東京都出身。 葬儀・告別式は近親者で執り行った。 52年に七代目橘家円蔵に入門、橘家竹蔵を名乗る。 65年に真打ちに昇進、三代目月の家円鏡(えんきょう)となった。 60年代から80年代にかけて「ヨイショの圓鏡」と呼ばれ人気に。 トレードマークの黒縁眼鏡、得意のなぞかけと軽妙な語り口で落語家としてだけでなく、テレビCM、映画、ラジオのDJなども務め、「うちのセツコが…」のギャグが大当たりとなった。 78年の落語界内紛のときには、師匠の七代目円蔵らとともに一度は落語協会脱退を表明したが、定席を求めてすぐに協会に復帰。 82年に八代目橘家円蔵を襲名した。 「うまいのは(古今亭)志ん朝、(立川)談志は達者。 だからアタシは面白い落語家を目指す」が口ぐせで、どこまでも面白さを追求した。 最近では高齢のため、口調にきれがなくなり、3年前から高座の出演は控えていた。 楽屋に入るとパーッと明るくなる。 偉くなってもキャーキャー騒いでいた。 そういう方はなかなかいません。 落語は、聴いているうちに忘れてしまうことが多いが、お客さまが覚えて帰ってくれるはなしをするのが魅力です。 亡くなってしまうとあの芸がなくなってしまう。 それが残念です。 ご冥福をお祈りします。 テレビやラジオで忙しい時期もあったが、彼の落語は筋にこだわらない八方破れのところが面白い。 お客も人情話ではなく、腹を抱えるほど笑わせてくれるのを期待した。 その無鉄砲さが魅力だった。 亡くなって寂しい。

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